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タイトル権威主義者
記事No1831
投稿日: 2013/01/16(Wed) 10:18:53
投稿者桃青
人間は人間のようなことしか、考えられない。

NHKの動物番組を見ながら、そんなことを思った。
番組では、木の枝でタワーを造る鳥を紹介していた。
細い木の枝を巧みに組み合わたタワーは見事なものだが、この鳥にはスズメのような巣は造れない。

皆同じなのだ。と思う。
人間もまた。

人間は人間の考えるようなことを考える。
人間が思いつく事は、時と場所が変わってもそんなに変わるものでもない。
何かの「権威」へ傾倒したいという思いもどこにでも普遍的にあるものだろう。
地上の権威を否定して、神という大権威を立てずにはおられないのも、人間は根本的に権威に傾倒したいという思いがあるからだろう。
言いかえれば、権威に傾倒してはじめて心を落ち着かせることができるということは、確かにある。

信仰者の中には、しばしば権威主義者を嗤うひとがいるが、地上の権威以上の権威に従っていることを誇りにしているのであるからして、いわば大権威主義者というものであって、権威への傾倒を持たないわけではない。
信仰者は案外権威主義というか、「権威」が並はずれて好きなこともあるのですね。

タイトル自己評価の高い人ほど傷つきやすい。
記事No1832
投稿日: 2013/01/16(Wed) 11:47:49
投稿者桃青
「自分を高く設定するひと(自己評価の高いひと)ほど傷つきやすい。」
と言われます。

心が傷ついて、宗教を求める場合、
自分を高く設定するひとほど地上の権威ではあきたらず(地上の権威がアホに見えて)、地上の権威を超えた大権威を求めるということもあるのではないかと思います。
権威が好きなひとは、権威に傾倒した途端、なぜか自分と権威との区別がつかなくなる。
自分が権威の一部になったように錯覚してしまう。


「日本人は誇りを取り戻せ」
という文言を最近はよく眼にしますが、その誇りがかってのような「日本は一等国(他は二等国、三等国)」という、他の国に二等国三等国をという立場を勝手に振り当てての一等国に誇りを持つという方向へ行かないことを願っています。

タイトルRe: 自己評価の高い人ほど傷つきやすい。
記事No1836
投稿日: 2013/01/17(Thu) 09:57:15
投稿者桃青
「自己評価の高い人ほど傷つきやすい。」

私は、これを聞いてなるほど、と、思い当たる。
「私は傷ついた。」
と、言うひとに対処する場合、覚えておいてもよい観察だろうと思う。



某M教周辺には相手の言葉尻を捉えて「私は傷ついた、謝れ!」と、攻撃してくるひとが多い。
同じ教会員同志でも、「私は傷ついた。私を傷つかせたお前が悪い謝罪しろ!」と、始まる。
アメリカ流の「褒めて(おだてて)育てる」式の伝道をする弊害かもしれない。
「褒めて育てる」と、「煽てて相手を自分の思い通りにする。」
との差は、たぶん、無い。
等身大以上の自分をイメージしていると、イメージの自分と実際の評価の違いを突きつけられた時、ひとは激しく動揺するのかもしれない。
膨らむだけ膨らんだ自我は、ほんのちょっと針をさされただけでパンとはじける。
「自分を傷つけた者は攻撃して排除しなければならない。」
という大義名分があれば、どうなるか。

攻撃したい相手がそこに居る時、「私は傷つけられた」という事実を造り出すであろう。

タイトル「私はあなたの言葉に傷ついた。」
記事No1838
投稿日: 2013/01/18(Fri) 12:00:48
投稿者桃青
「私はあなたの言葉に傷ついた。謝罪しろ!」

ネットで、実生活の場で、この言葉がしばしば飛び交う。
実に嫌な言葉ですねー。
私は使いません。

この言葉を発した途端、
「私は被害者、あなたは加害者。」
という構図が生じる。
あなたは加害者であるから、私にひたすら頭を下げるべきだ。
以後、私に対しては、あなたは加害者であることを今後一生忘れてはならない。
まあ、そんな言葉に見えるのですよ。
実際、ネットでこの言葉を発するひとの執念深いこと。
いつまでたっても被害者である立場を決して手放さないひとが珍しくない。
たぶんそういうひとは、自分の被害者という立場が大切なだけで、何かの問題を解決したい。という気持ちは全くないのだろう。

この場合の問題とは

<あるひと>⇒<べつのひと>
      ↑
  あるひとがべつのひとに何か言った。

言われると人が嫌な気持ちになる言葉や表現がある。ということです。
そいういう場合、自分が嫌な気持ちになるように、誰かも嫌な気持ちになるかもしれない。
「そういうことを言うのはやめたほうが良いのじゃないか。」
と、提案するというのが仏教的というものだろう。と思います。
続いて「そういう言葉は何故出ているのだろう。」と、考え始めるのも仏教的というものだろう。と、思います。

それかあらぬか、仏教的な場では、「私はあなたの言葉に傷ついた。謝れ!」という応酬は、少ないように見えます。
某M教系は多いですよー。ほんと。

タイトルRe: 権威主義者
記事No1833
投稿日: 2013/01/16(Wed) 18:00:32
投稿者桃青
素直な信仰者は、まず間違いなく権威好きだとみて間違いない。
たとえ普段どんなに世の中の権威を不合理だと否定し、権力に対して辛辣な批判をするようなことを言っているかたでも、何かの折に、ふと、自分の家柄の自慢を語りだしたりする。
自分の家系に自慢するようなことがなければ、配偶者の家系を自慢したりする。

「我はセンダラの子なり。」と、清々しく曇りなく言われた日蓮聖人を師と仰ぐ日蓮門下でも、「日蓮聖人は漁師でも網元の子だったんじゃ。」と、ひとこと言わずにはいられないのであるから、他は押して知るべしであろう。
キリスト教徒も、キリストを神の子とするだけではあきたらず、長々しい家系でダビデ王に結びつけずにはいられない。
しかも、イエスの母マリアの夫ではあるがイエスの実父ではないとされるヨセフの家系である。
いわば養子が養家の自慢をするようなものであって、日本の庶民も同じようなことをする養子はいるが、そう言う場合、
「血が繋がってもいない養子が自慢しているよ。」と、たいてい嗤われる。
庶民の養子が同じことをすれば嗤うひとでも、イエスとなると有り難くなるのであろうか。

最近も、ひごろ常に権威主義者を批判する或る信仰者のかたが
「あなたの家系は?さぞかし、というものなのでしょうね?」と、尋ねて来た。
私は言えば自慢と受け取られない家系であるのと、「センダラの子である。」と言われた日蓮聖人に傾倒しているのと、元から家系自慢するひとが嫌いであるのと、なにやらかにやらで、
「私は先祖代々百姓の家の子です。」
と、答えた。
途端、相手は鼻で嗤い、「私の妻はね、武士の娘なのですよ。」と、嬉しそうに言った。
家系を尋ねて来た時点で、相手が家系という権威に傾倒していることが予測されたので、本当の事を言っておけば良かったかも、と思ったが、家系に権威を求めることが大嫌いな性分なのでこれからも言うことはないであろう。

タイトル権威主義者と信仰者
記事No1834
投稿日: 2013/01/16(Wed) 18:34:08
投稿者桃青
素直な信仰者は、まず間違いなく権威好きとみて間違いない。
よく「マルチの被害者とカルト信者は似ている。」
と言われ、「人が良く信じやすいのでマルチやカルトに騙される。」と言うが、
私には権威に目が無いので嵌るという一面もあるように見える。

常に何かの権威に寄りたいと思っていると、何かの方法で権威ありげな事をちらつかされた時、ふーっと近づいて行ってしまうのではないのだろうか。

タイトル武士と百姓
記事No1835
投稿日: 2013/01/16(Wed) 19:03:06
投稿者桃青
しかし、1947年士族という表記が廃止になって65年、今も士族であったことを自慢するひとはごろごろいる。
かって日本2000年の歴史の中で、ほんの一時期の支配者階級の一員に先祖が連なったことが、そんなに自慢なのだろうか?

先祖が支配者階級であったことが、「今」の「私」が、未来の「私」を扶けることに何か関係するとでも言うのだろうか?
未来の「私」を扶けるのは、「今」の「私」しかいないのに。

タイトルRe: 権威主義者
記事No1837
投稿日: 2013/01/18(Fri) 09:17:15
投稿者しんのすけ
おはようございます。
ニコールキッドマン出演のライラの冒険の原作の第三部にはオーソリティに支配されて地獄で支配されていた人々をライラが救うストーリーが描かれています。そんな事を思い出しました。
 カースト制の中の最高バラモンである宗教者が最下層のセンダラを名のる事により権威を打破していますが、同時にセンダラがセンダラと宣言しても問題は解決しない。
 日蓮聖人も領家の尼御前に援助されたとはいえ、当時の最高機関である比叡山に遊学に出られたのは、それなりのご出身であったのだと思いますが、ご自身はそれを伏せられた。
 人の値打ちに出身や先祖など何も価値は無いと身を持って説いていらっしゃる。狭い日本で何世代も続いていれば百姓の血も貴族や士族の血も何分の一かは流れている。
 先祖が誰であるか自慢するよりも、その先祖の子孫として自分の生き方が恥ずかしくないかどうかが問題だと思う。
 血脈というのは、肉体的なDNAでは無くて魂を受け継ぐ事だと思う。
そういう意味では日蓮門下は考え違いをしている人があまりに多い。
私のセクトにも多いというか、ほとんだと思う。ある意味なさけない。

タイトルRe^2: 権威主義者
記事No1839
投稿日: 2013/01/18(Fri) 19:03:36
投稿者桃青
> カースト制の中の最高バラモンである宗教者が最下層のセンダラを名のる事により権威を打破していますが、同時にセンダラがセンダラと宣言しても問題は解決しない。

では、センダラは何と宣言すれば、権威を打破できるのでしょうか。
ライラのような救い主が救いだしてくれるまで待たなくてはいけないのでしょうか?

こういう場合ねー、
センダラの中かから立ち上がる者がいても、大抵どこでも、そういう者達は今度は自分たちを頂点とした権威機構を造ろうとするんですよね。
現行の権威機構では、どうあがいても良い眼をみれそうもないから、まったく別の権威機構をつくって、自分達が頂点に立とうとする。
歴史を見るとそういうのばっかり。
某M教も要は現行の権威機構を否定して、自分達を頂点とする権威機構を謳っているだけだし。
S学会の末端会員から実生活で「今にS学会の世になったら、桃青さんは謗法罪で糾弾されてヒドイ眼にあうんだから、覚悟しておきなさい。」
て、捨て台詞されたことがありますが、その心情は自分達を頂点とした理想社会を造りたい、と願って登場した無数の人々の心情と似たようなものでしょう。

最下層で呻吟する者、社会構造から弾き出される者が、理想社会を目指すから、最下層を生みだす構造、弾き出される者を生みだす構造の部分を改革するのかといえば、そんなことはなく、自分が頂点に立った別の権威機構をつくって、最下層と踏みつけにし、はじき出す者をつくるのですよね。

タイトル血筋への執着
記事No1840
投稿日: 2013/01/19(Sat) 18:54:01
投稿者桃青
>  日蓮聖人も領家の尼御前に援助されたとはいえ、当時の最高機関である比叡山に遊学に出られたのは、それなりのご出身であったのだと思いますが、ご自身はそれを伏せられた。
>  人の値打ちに出身や先祖など何も価値は無いと身を持って説いていらっしゃる。

そーなんですよ。
清々しいなー。

出自に拘るって、日本人の特性でもない。
世界中どこにでも普遍的にあるのですよね。
血筋、血統への執着も、人間に残るチンパンジーと共通のDNAのなせる技なのかなー。
チンパンジーの雄は、つがった雌が連れている他の雄の子を全部殺してしまいますからね。
どちらかと言うと、男性のほうが「血統」への思い入れが強いように見えるのですよ。
女性の血統派は、そういう男性に教育されてそうなったようなところがある。

日本で最高に権威があるとされる血統は、天皇家ですが、
「男系でなくてはならん。」と、声高に主張する面々は、男性で、御自身も「血統」が自慢でならないかたが多いように見えます。
「日本人には、天皇にどれだけ近い立場であるかで、人間の価値を見て来た歴史がある。日本の歴史とは人々がいかに天皇に近づくかを争ってきた歴史である。」
と、いう歴史観もありますが、
血統に権威を見て、より血統の中心に近づこうとするという行動は、世界のあちこちにある。
またまた某M教を引き合いに出しますが、某M教も
より中枢(この場合は、神、キリスト)に近づくために「イスラエルの部族の養子になる。」
そして「個人の家でも、家系図を聖なるBOOKとして位置付ける。」
この個人の家系図は「奪われたら奪った相手を殺してても奪い返さなくてはならない。」というほど大切なものであるとされていますが、それは先祖への敬いや家族の歴史への尊重という意味合いばかりでなく「権利を受け継ぐ正当性」を証明するものであるからでもあります。

こういう発想は、天皇家の相続から家元の継承、御血脈まで、日本人にはなじみ深いものですが、知った時には、「へー、19世紀のアメリカ人も同じような発想を持っていたんだなあ。」と変な感心をしました。
で、その教義にアメリカ人が集結し、現在、その教義をもって世界中に伝道しているわけですが、その発想に共感するひとは、アメリカのみならず世界中にいるわけです。
ますます「人間の考えることにそう変わりは無い。」という思いが強くなりました。

最近は、血統に拘って口に泡を飛ばしているかたを見ると、
「なるほど、なるほど、あなたもチンパンジーと同じDNAを共有しているのだから、仕方ないよねー。」
と、つい思ってしまう。(笑)

>狭い日本で何世代も続いていれば百姓の血も貴族や士族の血も何分の一かは流れている。

血統権威主義者はね。
そんな科学的推論では、「なるほどなー、考えてみればそうだよなー。」とはなりません。
家系図、もしくは、ずらりを並んだ古い墓、あるいは、ウソかほんとかわからない「世が世ならば」話に、「ははー」っと、頭を下げるのですよ。

> 私のセクトにも多いというか、ほとんだと思う。

ほんと、なんなのだろう。
と、思いますよ。
安楽行品もあるのにね。

日蓮聖人やしんのすけさんもいらっしゃるのですから、人間、チンパンジーのDNAが騒ぐひとばかりでもないさっ!

タイトルRe: 血筋への執着
記事No1841
投稿日: 2013/01/20(Sun) 10:10:50
投稿者しんのすけ
血統や先祖を自慢の人は、その先祖の直系や本家よりも遠縁や
縁の薄い方の方が自慢しますね。意外と直系、本家は冷めている。
まあ、別れを考えているカップルほど「愛してるとか」
「私の事好き?」とか不安な気持ちを言葉で否定するのに似ている。

タイトルRe^2: 血筋への執着
記事No1842
投稿日: 2013/01/21(Mon) 11:50:20
投稿者桃青
> 血統や先祖を自慢の人は、その先祖の直系や本家よりも遠縁や
> 縁の薄い方の方が自慢しますね。意外と直系、本家は冷めている。

確かにそういう傾向はありますね。

男性には、高貴な姫を娶りたいという願望も普遍的にあるのか、
妻の出自を自慢するかたにもよく遭遇します。

> まあ、別れを考えているカップルほど「愛してるとか」
> 「私の事好き?」とか不安な気持ちを言葉で否定するのに似ている。

そのかたが立派な家系だと認めている家系に何らかの形で連なったことがよっぽど嬉しいのかな、と、思いますが・・・・。

タイトルRe^3: 血筋への執着
記事No1843
投稿日: 2013/01/22(Tue) 09:47:55
投稿者しんのすけ
> 妻の出自を自慢するかたにもよく遭遇します。

そういう方もいますが、それはあくまでも、
それほどの出自の妻をめとるほど自分が偉くなったという自慢だと思います。

> そのかたが立派な家系だと認めている家系に何らかの形で連なったことがよっぽど嬉しいのかな、と、思いますが・・・・。

そういう場合ではなくて、遠縁でその繋がりに不安がある人ほど言葉で強調されますね。

タイトルRe^4: 血筋への執着
記事No1844
投稿日: 2013/01/22(Tue) 11:58:54
投稿者桃青
> そういう方もいますが、それはあくまでも、
> それほどの出自の妻をめとるほど自分が偉くなったという自慢だと思います。
>

たしかに、そういうかたもおられますね。

> そういう場合ではなくて、遠縁でその繋がりに不安がある人ほど言葉で強調されますね。

なるほど。
そういうこともありそうですね。

私の周囲でそういう方々は、ほんのかすっただけでも「嬉しくなって舞い上り、誰かに吹聴してみたくてたまらない。」としか見えないかたばかりだったのですが、心の本当のところは伺いしれないですものね。

タイトルRe^5: 血筋への執着
記事No1847
投稿日: 2013/01/22(Tue) 17:21:54
投稿者しんのすけ
まあ、それほど誰かの血筋に頼らなければいけないほど、
自分のアイデンテンティティに自信がないのですよ。
誰と関係があろうと、自分は自分でしかない。
でもその自分はいつも仏と繋がっている。それで充分ではないか?
仏と異体同心することが大切であり、教団で仲良くすることが
異体同心では無い。

タイトルRe^6: 血筋への執着
記事No1850
投稿日: 2013/01/22(Tue) 19:08:05
投稿者桃青
> まあ、それほど誰かの血筋に頼らなければいけないほど、
> 自分のアイデンテンティティに自信がないのですよ。

こういうことは、傍から見透かされやすいので、自ら家系を持ちだして自慢をするひとは、本人の思いとは裏腹に、嗤われている例が多いし、何かと騒ぐけれど怖くはない。
怖いひとは「ちっとも知りませんでしたが、あなたは○○の御子孫なのですね。」と、言われて
「そうですが、そのことが今の私と何か関係あるかと言えば何もありませんよ。」と、笑っているかたです。
自分をしっかりと保って、いつの間にか何事かを成しているかたは、こういうかたです。

「ちっとも知りませんでしたが、あなたは・・・」と、言われて思わず口の端がほころんだり、鼻の穴が膨らんだりするひとは、たぶん怖くないひとでしょう。
最近、安部総理が「皇位継承者を増やすために旧皇族の復籍を」と言いだしてから、急にマスコミへの露出が多くなった旧皇族子孫は、たぶん後者。
カメラは育ちをヨイショする言葉に合わせて旧皇族子孫の鼻の穴が大きく膨らみ動くのを容赦なくアップで捉える。
このかた、様々な思惑で自分に近づく人々を利用するつもりで利用されなければ良いが、と余計な心配をしています。

> 誰と関係があろうと、自分は自分でしかない。
> でもその自分はいつも仏と繋がっている。それで充分ではないか?
> 仏と異体同心することが大切であり、教団で仲良くすることが
> 異体同心では無い。

その通りだと思います。