タイトル | : Re: アレクサンドリア |
記事No | : 1869 |
投稿日 | : 2013/01/31(Thu) 16:06:42 |
投稿者 | : 桃青 |
> 二元論的指導者が大衆をあやつり、知を抹殺していくかが描かれて > いまうす。二元論、宗教のもつ危うさが良く描かれている。
考えるヒントを与えられる映画のようですね。 観てみたくなりました。
二元論に陥るのも人間。 二元論の危うさに警鐘をならすのも人間。
そういうところにも、人間にはチンパンジーと共有するDNAをコントロールする可能性があると見ることができます。 仏教とは、人間の「争い」に傾向する部分も見つめつつも人間の自己をコントロールする可能性を評価している宗教なのだろう、と、思います。
某M教の指導者はね。 「人間は互いに争うように神がお造りになった。 だから人間には(戦争を含めて)争いをコントロール力はない。」 と教えるのですよ。 もちろん某M教の指導者も人間には自己をコントロールする力があることを知っていますので、「自己をコントロールしろ」と教えます。 が、それは「人間同士の争いに勝つためにどう自己をコントロールして行ったら良いのか。」 というところで人間の持つ自己コントロール力を発揮するべきだというものです。
「人間同志争うように神は人間をお造りになった。 争いに勝たなければ、勝ったもののいいようにされてしまう。 俺は絶対に勝つんだーーーー。」 「俺は既に勝っていることを相手に認めさせねば。」
こんな風に考えているひと数多くいらっしゃる。 だから二元論も流行るのでしょう。 チンパンジーと共有するDNAが発見されて以来、神を信奉しないかたでも「争いのDNAを持っているのだから争うしかないのだ。」と、いうコメントをメジャーな週刊誌上で見かけることもあります。
二元論者が持ちだして相手を追い詰める論理にこういうものがあります。 もちろん二元論を教える某M教でもしばしば出てきます。 「それでは、黙ってやられるままでいろ、と言うのか。」
どうしてこういう貧弱な発想しか思い浮かばないのでしょうね。 争いのDNAもさりながら、教育という部分も大きく関与しているのではないかと思われてなりません。
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