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タイトル予防は大切、でも、
記事No1878
投稿日: 2013/02/05(Tue) 19:02:28
投稿者桃青
認知症を発症しているひとが300万人をこえて、最近メディアに認知症が取り上げられることが多くなった。

その取り上げ方は、
認知症の怖さを一通り並べて、では、認知症にならないためにはどうしたらよいのか。
というパターンが多い。

しかし、その予防法たるや、科学的根拠が疑わしいものばかりだ。
(認知症発症のメカニズムに定説がない現在、そうなるのは仕方が無いのだが)
「恐ろしい認知症になるかもしれない。」という恐怖を、科学的根拠の乏しい予防法をすることで紛らわそうとしているように見える。
今、まだ認知症になっていないかたは、「認知症になるかもしれない。」という恐怖に苦しむだけであるが、今現在認知症になってしまった者、認知症の家族を看る者は、認知症がもたらす恐怖や苦痛にとまどっている。
だが、それらの苦痛にどう対処したら良いのか、については、あまり語られることはない。
おそらく、それを語ろうとすれば、「人間とは何か」という深いところまで降りて行かなければ、ならないことになるからだろう。

タイトルRe: 予防は大切、でも、
記事No1879
投稿日: 2013/02/06(Wed) 00:13:42
投稿者大悲山
うちの母も数年前に還暦を迎えて、だんだんと歳を取ることの恐怖心が強まってきたのか、例えば「ためしてガッテン」みたいな番組を見ては、「こうすれば大丈夫」などと、熱心に番組を見てるんですよね(-_-;)

私は精神障害者のケアをしている組織にも出入りしていることもあって、ああいう番組は首肯できません^^;
実態を隠して報じているというより、きちんと察知できてないのかもしれませんね。

「認知症の本質は物忘れすることじゃないのよ。判ってても判ってなくても同じことを繰り返す常同行為とか強迫観念とか衝動制御不能とか、あるいは被害妄想なの。精神病の一種と考えたほうが適切なの」

このように何度言っても通じないのです。私の表現が拙いのかもしれませんが・・・。


精神医学に「内因性」という言葉があります。
統合失調症や双極性障害は、ある年齢が来れば、あるいは条件がそろえば予定されていたかのように自動的に病気になるという見解です。
内因性というのは、思春期に顕在化する精神疾患のことであって、認知症のような病気は該当しないのでしょうが、「どうやっても周期が来れば成る」「人為でコントロールしかねる自然現象」という意味では通ずるものがあると思います。


「内因性」という言葉そのものを改めて調べてみれば「どうあがいても、なる時はなる」という風な書き方はされていませんが、精神科医の論文や、あるいは自らが精神疾患に罹った内科医や生理学者の書いたものを読むと、それが本音であり実態なのだと痛感します。

自然現象である地震や津波を起こさない方法があるでしょうか?
むしろ、起こった際にどうするかという事のほうが大切だと思います。
それと同じで、病気もどうやっても防げないことはあります。
何もかもを生活習慣や態度に起因するかのように声高に言う社会の浅薄さに寒気がします。

思うに、日本人はコントロール願望に取り憑かれ過ぎているように見えます。
「こうすれば大丈夫。あんな目にあってるのは、こうしなかったから」などと考えているとしたら、確実に多くの物を見落としてまうでしょうね。

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe^2: 予防は大切、でも、
記事No1881
投稿日: 2013/02/06(Wed) 11:25:45
投稿者桃青
コメントありがとうございます。

> うちの母も数年前に還暦を迎えて、だんだんと歳を取ることの恐怖心が強まってきたのか、例えば「ためしてガッテン」みたいな番組を見ては、「こうすれば大丈夫」などと、熱心に番組を見てるんですよね(-_-;)
>

認知症にかぎって言えば、ちゃんと検証したのか、という予防法ばかりですね。
予防になる。と信じて真面目に行っているかたに「やめろ」というつもりはないですが、思う通りの結果にならない場合の覚悟と準備はしておいたほうが良いと思います。
そのなりたく無かった認知症になってしまった場合の覚悟と準備について語られることが殆ど全くないのですね。

その覚悟と準備の場面にこそ宗教の出番がある。
と思うのですが、悲しいかな仏法に生きる方々でも、そこに踏み込んだ話をされるかたがいない。

認知症患者の数は300万人を越え、間もなく350万人だそうですが、これを、日本における日蓮宗の檀信徒数公称330万人と比べて見れば、その数の多さが実感できるのではないでしょうか。
350万人の認知症患者一人一人の周囲には、家族を含めて直接に関わるひとが何人か必ずいる。
認知症の周辺症状を含めて、認知症から生じる問題に直面しているひとの数は、本人を含めて1000万人はいるだろうということになります。
1000万人といえば、東京都の人口とほぼ同じです。
東京都民1000万人が全員認知症に直面して苦悩しているところを想像してみてください。

認知症になった時の覚悟と準備のありようを考えないでどうするのか。

> 私は精神障害者のケアをしている組織にも出入りしていることもあって、ああいう番組は首肯できません^^;
> 実態を隠して報じているというより、きちんと察知できてないのかもしれませんね。
>

たまたま手近にあった症例を取り上げているという感じですね。
一例をケーススタディ一して、一を聞いて認知症の百の問題点を察知するというのではなく、一例が百例の代表というような取り上げ方が気になります。

> 「認知症の本質は物忘れすることじゃないのよ。判ってても判ってなくても同じことを繰り返す常同行為とか強迫観念とか衝動制御不能とか、あるいは被害妄想なの。精神病の一種と考えたほうが適切なの」
>

精神病も認知症も、どちらも悩の機能異常ということには変わらないのですけど。

> このように何度言っても通じないのです。私の表現が拙いのかもしれませんが・・・。
>
>

認知症は老化による脳の機能低下、と捉えているかたがすごく多いので、通じないのかも・・・。

> 精神医学に「内因性」という言葉があります。
> 統合失調症や双極性障害は、ある年齢が来れば、あるいは条件がそろえば予定されていたかのように自動的に病気になるという見解です。
> 内因性というのは、思春期に顕在化する精神疾患のことであって、認知症のような病気は該当しないのでしょうが、「どうやっても周期が来れば成る」「人為でコントロールしかねる自然現象」という意味では通ずるものがあると思います。
>

認知症も一定年齢になれば顕在化する(若年性アルツハイマー
も若年性と言っても40代以降ですから)ので、他の内因性精神疾患と同じ内因性の精神疾患と言えるかもしれませんね。

>
> 「内因性」という言葉そのものを改めて調べてみれば「どうあがいても、なる時はなる」という風な書き方はされていませんが、精神科医の論文や、あるいは自らが精神疾患に罹った内科医や生理学者の書いたものを読むと、それが本音であり実態なのだと痛感します。
>

認知症もなる時はなる。
実際、いろんなかたの話しを聞いているとそんな感じですよ。

> それと同じで、病気もどうやっても防げないことはあります。
> 何もかもを生活習慣や態度に起因するかのように声高に言う社会の浅薄さに寒気がします。
>
> 思うに、日本人はコントロール願望に取り憑かれ過ぎているように見えます。

日本人が何もかもを生活習慣や態度に起因するようになり、コントロール願望に取りつかれたのは某M教の影響でしょう。きっぱり。

冗談ですよ。
しかし「自己管理能力の無いものが病気になる。」という考え方はアメリカ由来でしょう。
御存知のように精神科医学には、ドイツ系列とアメリカ系列があって、ドイツ系列はクレッチマー以来の体質因子重視、アメリカ系列は環境因子重視という伝統があります。
今の日本の精神医学界は、アメリカ系列の環境因子重視傾向が強いようですね。
アメリカ生まれのキリスト教某M教の教説にも全てを「自己管理」に帰する環境因子重視傾向が読みとれます。

> 「こうすれば大丈夫。あんな目にあってるのは、こうしなかったから」などと考えているとしたら、確実に多くの物を見落としてまうでしょうね。

多くのものを見落としたままでは、認知症になる覚悟も準備もできない。
覚悟も準備もできないから、認知症への恐怖が消えない。
認知症への恐怖をなんとかしたくて、「気やすめ」にすがる。
「気やすめ」にすがっていると、多くのものを見落とす。
悪循環、こういうのも輪廻て言うのかな?

タイトル覚悟と準備に宗教が関わるということ
記事No1882
投稿日: 2013/02/07(Thu) 09:29:52
投稿者桃青
覚悟と準備に宗教が関わるということについて補足したいと思います。

先日のNHKスペシャルでは
「終(つい)の住処(すみか)はどこに老人漂流社会」
を放映しました。

ごらんになったかたも多いと思います。
番組の中で、この問題に関わる有識者が
「もう何処へもいかなくてもいい。ずっと此処にいてもよいのだ。 というところで、(家族でなくても)心あるひとに看取られてすごす。というのが良いのではないか。」
という一つの結論を呈示されておられました。

これは、私の結論とまったく同じです。
このかたと私、少なくとも二人同じことを思っているということは、このような結論を持っているかたも多いでしょう。

この結論のポイントは「心あるひと」です。

心あるひと、とは、結局人間というものに深い理解を持ったひとであろう。
宗教が認知症の覚悟と準備に関われる部分は、人間というものに対する深い理解を育てて行くというところにあると思う。

人間というものへの洞察の深さに関しては、仏教以上の洞察を持つ宗教はない。
しかし、仏教にある人間というものへの洞察が、正しく周囲に伝えられているかといえば、残念ながら、認知症に関しても、方便の
○○したからこうなったという説きかたに留まっているのが現状だ。

専門職はもちろん仏教の人間というもの、への深い洞察を知っている。
が、認知症に関して、広く説く立場のかたから、その深い洞察からの覚悟と準備が説かれるのを見聞したことがない。
何故なのだろう、と思う。

タイトル「認知症は家族をバラバラにする。」
記事No1883
投稿日: 2013/02/08(Fri) 17:18:36
投稿者桃青
叔父の葬儀で真宗の御住職は法話の中で

「ガンは家族を一つにし、認知症は家族をバラバラにする。」

と、言われた。
叔父はガンで亡くなったので、そのように言われたのであろうが、
認知症を経て亡くなったかたの家族へは、どんな言葉をかけられたのだろうと思う。
母が認知症になっていらい認知症介護の複数のブログを見続けているが、御住職のいわれたように次第次第に家族関係が毀れて行く様子が読みとれる家庭は珍しくない。

「人間、認知症では、死なんよ!」
認知症の父親を10年看たかたが叫ぶように言われたことがある。
そうなのだ。
認知症が死因となることはない。
それもガンとは違うところだろう。

タイトル『黄昏流星群』
記事No1884
投稿日: 2013/02/08(Fri) 17:34:39
投稿者桃青
ビッグコミックに『黄昏流星群』という中高年の恋愛をテーマにしたオムニバス形式の漫画が連載されている。
認知症への関心が広まっているのか、現在連載されているシリーズは、認知症で介護施設で暮らす妻がいる男性と、男性の兄の愛人であった女性が主人公になっている。
漫画家は、認知症の苦悩に関心がない僧侶よりは、認知症というものに対して綿密なリサーチを行ったようで、認知症の妻や医者看護師の言動、夫である男性の心理をよく描写している。

「次第に人間でなくなっていく妻」
「愛する妻は、もはや私を愛してくれる妻ではなくなった。」

このセリフには、実際に認知症と接した者でなくては書けない実感がある。

「認知症になって家族から大切にしてもらえるかどうかは、それまで家族とどのような関係を造り上げてきたかによる。」
という説法では、おおいつくせない現実をこの台詞は伝えている。

漫画家は、夫である男性に「人間でなくなった妻」にどのような結論を見出して行かせるのだろう。
来週号が楽しみだ。

タイトルRe: 『黄昏流星群』
記事No1885
投稿日: 2013/02/09(Sat) 07:45:46
投稿者しんのすけ
> ビッグコミックに『黄昏流星群』という中高年の恋愛をテーマにしたオムニバス形式の漫画が連載されている。

知っています、最近雑誌を読むにいく馴染みの喫茶店が不況で店じまいしてしまい読んでいません(^^ゞ
幽霊とかよく登場しますが、人の考察はリアルな漫画ですね。
結構、認知症に限らず自称専門家とか権威より漫画の方がリアルで訴求力がありますね。僕もいろいろ漫画で学ぶきっかけとなったものが多い。でも桃青さんがビッグコミック読まれるとは意外な感じ(笑)

> 漫画家は、夫である男性に「人間でなくなった妻」にどのような結論を見出して行かせるのだろう。
> 来週号が楽しみだ。
それほど身近に沢山ある大問題なんですね。
来週は妻の誕生日です、今の内にしっかり楽しんでもらうつもり、
阿頼耶識にすり込んで、できる事なら認知症になっても僕の顔を見て笑ってくれるように(^^♪
でも、たぶん僕の方が先に行く。まだ先の話しだけど。
ああでも81歳の母がいた。妻の両親も。
老病死、今だ何も解決できてないなあ。
バレンタインデー、釈尊涅槃会(妻の誕生日)、日蓮聖人降誕会
と続きますね(笑)

タイトルRe^2: 『黄昏流星群』
記事No1886
投稿日: 2013/02/09(Sat) 12:33:27
投稿者桃青
> 幽霊とかよく登場しますが、人の考察はリアルな漫画ですね。

あらためてwikiを見てみたら、作者の弘兼 憲史は、あの「島耕作」も書いておられるのですね。(笑)

> 結構、認知症に限らず自称専門家とか権威より漫画の方がリアルで訴求力がありますね。僕もいろいろ漫画で学ぶきっかけとなったものが多い。

麻生さんは、「ゴルゴ13で世界情勢を学んでいる」と言って、失笑を買いましたが、私も「ゴルゴ13」から、世界のどこに問題が起きているかを知らされることがあります。

>でも桃青さんがビッグコミック読まれるとは意外な感じ(笑)
>

そうですか?
読者の感想文のコーナーに投稿して、採用されたこともあるのですよ。
ネットをはじめてからは、書いて意見を表明する、という欲望は満たされていますので、投稿したいと思わなくなりましたが、それまでは結構あちこち投稿して、これでも案外採用されたりしていたのですよ。

> それほど身近に沢山ある大問題なんですね。

認知症のかたが一人いれば、その周囲には葛藤している人が必ずいます。最低一人はいます。
何故なら認知症は、誰かが手を貸さないと一人では生きていけないからです。
家族のあるかたなら、葛藤しているひとの数は増えるでしょう。
350万人の認知症なら、1000万人と書きましたが、1000万人なら総人口の約1割、10人に一人は、認知症に関わる何らかの大なり小なりの葛藤を抱えていることになります。

大悲山さんが認知症も精神病の一種と言われましたが、統合失調症の患者数は推定100万人、実際に患者として把握されているのは40万人(ちなみにガンの患者数も40万人)、鬱病、躁鬱病合わせて100万人、に比べると、認知症の350万人という数は、はるかに多いことがわかります。
認知症の周辺症状には、統合失調症のそれに似ているところもあります。
婚姻を継続し難い理由として精神病をあげることは法律も認めています。
もちろん精神病の配偶者と添い遂げるかたも多数おられますが、精神病の配偶者から離れたいという願いは、自分勝手な願いではないということを法律も認めているわけです。
それほど精神病のかたと生活を共にするということは、辛く苦しく、正常な日常生活を営むことができないこともあるものだということでしょう。

> 来週は妻の誕生日です、今の内にしっかり楽しんでもらうつもり、
> 阿頼耶識にすり込んで、できる事なら認知症になっても僕の顔を見て笑ってくれるように(^^♪

しんのすけさんなら、だいじょうぶでしょう。
夫が認知症になった場合、奥さんは在宅で愛情こめてお世話するかたが多いです。
中には、さほど認知症の進んでいない夫をさっさと施設へ入れてしまう奥さんもおられますが、それは夫のそれまでの態度に問題があったという例ばかりでなく、奥さんがもともと夫に愛情を持っていなかったんだろうな、と思われるような例もふつうにあります。
そういう場合、夫のほうが奥さんに惚れていたんだろうな、と伺えるようなひともいて、なんだか切なくなります。

それをある御上人のように、
「認知症になって大切にされるかされないかは、それまでそのひとがどういう家族関係を造って来たかによる。」
と、ぽんと言われると、
「ああ、一人がどんなに良好な家族関係を造ろうとしても、良好な家族関係は一人ではできないのに」と、思います。
思うだけで、その場では反論しませんが。

> でも、たぶん僕の方が先に行く。まだ先の話しだけど。

男性はそのように願いますけれど、それは、わかりませんよお〜。
(と、脅す)(^v^)

タイトルRe^3: 『黄昏流星群』
記事No1887
投稿日: 2013/02/09(Sat) 16:44:23
投稿者しんのすけ
> あらためてwikiを見てみたら、作者の弘兼 憲史は、あの「島耕作」も書いておられるのですね。(笑)
!(^^)!知らなかったの?(笑)だって登場人物の顔が同じじゃないですか?!
でも、あの漫画よりこちらの方が共感します。

> 「認知症になって大切にされるかされないかは、それまでそのひとがどういう家族関係を造って来たかによる。」
「縁」というものがそんな単純なものなら世界に問題は存在しませんね。思いがあっても、届けられない時もあるし、様々な社会的要素が影響してきます。

> > でも、たぶん僕の方が先に行く。まだ先の話しだけど。
> 男性はそのように願いますけれど、それは、わかりませんよお〜。
> (と、脅す)(^v^)
そのために、たまに深酒したり、塩辛いもの食べたり努力してますよ(笑)
でも生死は時と場所を選びませんからね。病も同じだね。
余談ですが
明日は家族でレミゼラブル観てきます!(^^)v
英国王のスピーチの監督と同じなんですね。

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe^4: 『黄昏流星群』
記事No1888
投稿日: 2013/02/09(Sat) 17:55:32
投稿者桃青
> そのために、たまに深酒したり、塩辛いもの食べたり努力してますよ(笑)

母を見ていると、塩分たっぷり、脂肪たっぷりの美味しいものをバクバク食べて不健康な生活をして心筋梗塞かなんかで、あっさり死ぬのも悪いことでもないんじゃないかと思われて来ました。

> でも生死は時と場所を選びませんからね。病も同じだね。

そこなんですよ。
不埒な考えで不健康な生活をしてあっさり行ければ良いのですが、病気になって長く苦しむことになるかもしれないし。(笑)

> 余談ですが
> 明日は家族でレミゼラブル観てきます!(^^)v
> 英国王のスピーチの監督と同じなんですね。

レミゼラブル、興味あって観たいのですけどね・・・。
まあ、無理でしょう。
御覧になったら感想よろしく。

タイトルレ.ミゼラブル
記事No1889
投稿日: 2013/02/10(Sun) 23:28:24
投稿者しんのすけ
>> レミゼラブル、興味あって観たいのですけどね・・・。
> まあ、無理でしょう。
> 御覧になったら感想よろしく。

ミッドランドで観てきました。いや、冒頭のシーンがスケールがでかくてミュージカルではあるけれどスペクタクル映画のような迫力でした、重い内容がミュージカルでセリフが歌なのが良かったのかもしれませんね。逃げるジャンバルジャンも追うシャベールも共に正義なんですね、バルジャンは神の愛というか司教の行為に対し、シャベールは法と秩序の名の下に
 アンハサフェーは綺麗なんだけど悲惨な役なんでかわいそう。
タイムでも主演でしたがコゼットのアマンダ、セイフライトはかわいい、彼女は最高です。ラッセルクロウのシャベール刑事の執念が良く出てましたね。

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe: レ.ミゼラブル
記事No1890
投稿日: 2013/02/11(Mon) 21:42:07
投稿者桃青
>
> ミッドランドで観てきました。いや、冒頭のシーンがスケールがでかくてミュージカルではあるけれどスペクタクル映画のような迫力でした、

臨場感は大画面ならでは、でしょうね。

>重い内容がミュージカルでセリフが歌なのが良かったのかもしれませんね。

レミゼラブルをミュージカルでやるの?
と、違和感を感じましたが、映画評を読むと私のような違和感を覚えたかたでも、
「観てみたらミュージカルでなければいけないような気がするくらい良かった。」と、書かれていますから、よほど出来の良い映画なのでしょうね。

>逃げるジャンバルジャンも追うシャベールも共に正義なんですね、バルジャンは神の愛というか司教の行為に対し、シャベールは法と秩序の名の下に

そうですね。
私たちは作品を読んだり、映画を見たりする時はジャンバルジャンに感情移入しますが、現実に、もし、ジャンバルジャンのような人がいたら、週刊誌やワイドショーは、それ、ニセ医者だの、経歴詐称だ、逃亡犯だ、と大騒ぎし、世の中のひとは石を投げたり罵ったりするのでしょうね。

>  アンハサフェーは綺麗なんだけど悲惨な役なんでかわいそう。

予告編でちらっと観ただけでも、胸がきゅうんとなります。
原作では、仕送りするために歯まで売ってしまうのですよね。
西洋の入れ歯はそのころは高級品は人間の歯を使っていたので、貧しい者の中には、男女共に歯を売るひとが当たり前にいたのでしょう。
同時期の日本の入れ歯は、木の固まりからそのひとの口に合わせて、少しづつ削り出して造ったので、他人の歯を買って造らせるということは無かった。
西洋の入れ歯は、見栄えはホンモノの歯並びそっくり(人間の歯を使っているので当たり前ですが)でも、モノを噛むことは殆ど全くできなかった。
比べて日本人が造った入れ歯は、見栄えはホンモノそっくりとはいかなかったけれど、チャンとモノが噛めたのです。
このあたり、欧米と日本と今に続く「臓器移植」への考え方の違いや、日本人の機械工学技術への執着DNAみたいなものを感じたりするのですが・・・。

> タイムでも主演でしたがコゼットのアマンダ、セイフライトはかわいい、彼女は最高です。ラッセルクロウのシャベール刑事の執念が良く出てましたね。

見てみたいなー。

タイトルRe^2: レ.ミゼラブル
記事No1892
投稿日: 2013/02/11(Mon) 23:44:58
投稿者しんのすけ
歯を売るシーンは出てきました!
当時はあったんですね実際に!
もし可能ならご覧になってください、だめならDVDでね

タイトル「それ、茶碗が割れた」と言う。
記事No1891
投稿日: 2013/02/11(Mon) 21:51:28
投稿者桃青
> 自然現象である地震や津波を起こさない方法があるでしょうか?
> むしろ、起こった際にどうするかという事のほうが大切だと思います。
> それと同じで、病気もどうやっても防げないことはあります。
> 何もかもを生活習慣や態度に起因するかのように声高に言う社会の浅薄さに寒気がします。
>
> 思うに、日本人はコントロール願望に取り憑かれ過ぎているように見えます。


「認知症になって、大切にしてもらえるかどうかは、そのひとがそれまでどういう家族関係を造ってきたかによる。」

というのも一種のコントロール願望なのでしょうね。
一つ一つの家族をじっくり見れば、ことはそんなに単純な話ではないということがすぐ解りますよ。

そして寂しい境遇に置かれた認知症のかたをさして
「ああ悲惨だなあ。」
と、のみ言うのは
「それ、茶碗が割れた。茶碗が割れた。」
と、騒ぎ立てるようなものなのでしょうね。