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タイトル1984年の戒名料
記事No1917
投稿日: 2013/02/21(Thu) 10:04:47
投稿者桃青
母の部屋を整理していたら、各宗派戒名料を掲載した新聞記事の切り抜きが出てきた。
日付は1984年(昭和59年)5月19日、朝日新聞調べである。
バブル時代がはじまるか、はじまったか、のころのお値段です。
その後バブル絶頂期を経て、その崩壊、リーマンショック、、日本経済と共に、戒名料のお値段は、下がったのか、上がったのか。

============================
(単位万円)

<真言宗>
6字 ○○○○信士 〜15
    〃  信女 
   ○○○○居士 〜20
    〃  大姉

9字 ○○院
    ○○○○居士 〜50
   〃 〃  大姉

10字以上
   ○○院殿
    ○○○○大居士 500超
   〃 〃  清大姉

<曹洞宗>
6字 信士      〜15
   信女
   居士      〜30
   大姉

9字 軒(庵・居士  〜50
   〃   大姉
   院・居士    〜100
   〃 大姉

10字以上 院・大居士  相場なし
      〃 清大姉
      院殿・居士
      〃  大姉
      院殿・大居士
      〃  清大姉

<臨済宗>
6字 信士 〜30
   信女
   居士 30〜50
   大姉

9字 院・居士 50〜100
   〃 大姉

10字以上 院殿・居士 300以上
      〃  大師

<浄土宗>
○誉○○信士 〜5
  〃 信女
  〃 居士 〜15
  〃 信女

○○院○誉○○居士 〜35

○○院○誉
 ○○○○居士  〜60
〃 〃  大姉

○○院○誉
 ○○○○清居士 〜100
〃 〃  清大姉

<浄土真宗>
 20〜30

<日蓮宗>
(7−8文字)葬儀・通夜の費用を含めて
院・信士 35〜   
〃 信女
〃 大姉 

院・信士 75〜150
〃 信女
院・居士
〃 大姉

============================ 

真言宗10字以上、500万円を超える。
 わお!!
曹洞宗10字以上、相場なし。
 こわい!!
    

タイトルRe: 1984年の戒名料
記事No1918
投稿日: 2013/02/22(Fri) 09:51:12
投稿者しんのすけ
> <日蓮宗>
> (7−8文字)葬儀・通夜の費用を含めて

なるほど、戒名ばかり立派で葬儀の際、僧侶一人とか何もない祭壇ではバランスが悪いですからね。


お題目の受持がただ一つの戒であるのに、小乗のように戒律を重んじるような「戒名」という呼び名はみょうですね。
うちの宗派では法号とか法嗣と呼んで生前にいただくことが多いですね。葬儀とは別途です。
居士や大姉は法華経の会座には見当たりませんから、法華は善女人とか善男子の方がふさわしいのでは?
日蓮門下は、名前に日の一文字いただく事が多いですが、真宗は釈と良くつけますね。
真宗におけるお釈迦様の捉え方が、阿弥陀仏を説いたお方ということで、お釈迦さまを説いた日蓮聖人という立場と対比できるのかな?
じゃ、親鸞の文字は入れないのかな?

タイトルRe^2: 1984年の戒名料
記事No1919
投稿日: 2013/02/22(Fri) 11:10:45
投稿者桃青
>
> お題目の受持がただ一つの戒であるのに、小乗のように戒律を重んじるような「戒名」という呼び名はみょうですね。

そういえば、こちらでは普通に「戒名」て、言ってますね。
ただ一つの戒(or菩薩戒)を保つという戒名なのではないでしょうか?
私見ですが・・・。

真宗は法名、法号ですね。
従兄にうっかり「お祖父さん(真宗門徒でした)の戒名は」というと、「法名です!」と、厳しくチェックされます。

これは新聞記事だし、比較ということで「戒名料」で統一したのでしょう。

ちなみに、この表では、真宗20〜30万円しか書いて無くて、「誰でもぽっきり!」と、一見公平な扱いに見えますが、これは法名料のみですからね。真宗の葬儀料はお高いですよ〜。段階もあり、段階によって僧侶が着て来る袈裟から違うのは常識です。(笑)
それでいて、表面はあくまでも「誰でも一凡夫」という建て前を押し通す。
さすが京のおひとは、いけず、やわぁ〜。(冗談ですよ。)

> うちの宗派では法号とか法嗣と呼んで生前にいただくことが多いですね。葬儀とは別途です。

ちなみにおいくらでしょうか?
もちろんノーコメントでも構いません。

> 居士や大姉は法華経の会座には見当たりませんから、法華は善女人とか善男子の方がふさわしいのでは?

法華経の優婆塞、優婆夷にあたるのが居士、大姉だと理解していたのですけど・・・。

> 日蓮門下は、名前に日の一文字いただく事が多いですが、真宗は釈と良くつけますね。

親鸞聖人御自身が「釈親鸞」と名乗られたからでしょう。

この釈は、@釈尊の弟子であることを表すという説と
Aお釈迦様と同じ釈氏(釈迦族)であることを表すという説があります。

Aの発想は、某M教の「イスラエルの部族に養子縁組してイスラエルの民となる。」という発想に似ています。
人間というもの、どこでも似たようなことを考えるものですね。

真宗に家系主義的なところがあるのは、親鸞聖人の本意がAだったからなのか?
それとも親鸞聖人の本意は@だったけれど、後世Aと解釈するものが現れたのか?
どうなんでしょうね??

真宗住職の従兄に聞てみたら、ですって?
ダメダメ。私が家系主義を批判していることを知っているので、テキトーなことを言われてからかわれそうなので、この件に関しては信頼できないですー。

> じゃ、親鸞の文字は入れないのかな?

と、いうわけで親鸞の文字をいれない理由は、おわかりいただけたと思います。

タイトルRe^3: 1984年の戒名料
記事No1920
投稿日: 2013/02/22(Fri) 18:26:15
投稿者しんのすけ
> これは新聞記事だし、比較ということで「戒名料」で統一したのでしょう。

ま、そうでしょう。僕も一般の人に説明する時は戒名と云います。
まあ一般的に戒を授かりお釈迦様の弟子になった印の名前ということでしょう。
戒→階 で居士、大居士とランキングしやすい。

> さすが京のおひとは、いけず、やわぁ〜。(冗談ですよ。)

いや、確かに真宗は世俗に長けて金儲け上手のイメージがあります。

> ちなみにおいくらでしょうか?
> もちろんノーコメントでも構いません。

確か、5万か10万かな、自分でつけている人もいます。
生前と死後で多少違いますね。

> 法華経の優婆塞、優婆夷にあたるのが居士、大姉だと理解していたのですけど・・・。

それは違うと思いますが、一度知らべてみますね。

> > 日蓮門下は、名前に日の一文字いただく事が多いですが、真宗は釈と良くつけますね。
>
> 親鸞聖人御自身が「釈親鸞」と名乗られたからでしょう。
>
> この釈は、@釈尊の弟子であることを表すという説と
> Aお釈迦様と同じ釈氏(釈迦族)であることを表すという説があります。
>
> Aの発想は、某M教の「イスラエルの部族に養子縁組してイスラエルの民となる。」という発想に似ています。
> 人間というもの、どこでも似たようなことを考えるものですね。
>
> 真宗に家系主義的なところがあるのは、親鸞聖人の本意がAだったからなのか?
> それとも親鸞聖人の本意は@だったけれど、後世Aと解釈するものが現れたのか?
> どうなんでしょうね??

なるほどなるほど、勉強になりますね。
間違いなく親鸞ご自身は@でしょうけど、後世の方は血統主義に走りやすいですね。
これは、真宗だけでなく人間の性なんでしょうね。
先題の差別主義に通じますね。しかし、その思想断じてお釈迦様の思想では無いですね。

【 投稿者により修正されました。】

タイトル日蓮聖人は?
記事No1921
投稿日: 2013/02/22(Fri) 19:07:59
投稿者桃青
> 間違いなく親鸞ご自身は@でしょうけど、後世の方は血統主義に走りやすいですね。
> これは、真宗だけでなく人間の性なんでしょうね。

御聖人の「日蓮」の日ですが、
私は身延山の講義で神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」
から「日」をとったと習いましたので、これが日蓮宗の見解なのでしょうが、別の説もあるようですね。

@天照大神への傾倒、房総の明るい太陽に対して格別の思い入れがあった。
A釈尊の釈迦族の別称日氏から(釈迦族は先祖は太陽であると称した)

Aなどは、釈親鸞の釈は釈迦族の釈と全く同じ発想ですね。
私は、身延の見解を支持してますけれど、ひとによっては、納得がいかないような顔をされるのですよ。
そのあたり、しんのすけさんどう思われますか?

日蓮聖人への思慕と傾倒から「日」をいただいて喜んでいたら、
実は「日氏」の「日」だった、なんて、まるで
「イスラエルの部族の養子になって」みたいじゃないですか?嫌だなあ。

> 先題の差別主義に通じますね。しかし、その思想断じてお釈迦様の思想では無いですね。

そ!
だから御聖人の本意が日氏の日だということは有りえない。て思いたいです。

タイトルRe: 日蓮聖人は?
記事No1922
投稿日: 2013/02/22(Fri) 22:30:37
投稿者しんのすけ
> 御聖人の「日蓮」の日ですが、
> 私は身延山の講義で神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」
> から「日」をとったと習いましたので、これが日蓮宗の見解なのでしょうが、別の説もあるようですね。
>
> @天照大神への傾倒、房総の明るい太陽に対して格別の思い入れがあった。

それはあるかも!よく日本国のと書かれていますし、本朝沙門、扶桑沙門と書かれていますから日本のという意味もあると思いますよ。


> A釈尊の釈迦族の別称日氏から(釈迦族は先祖は太陽であると称した)
>
> Aなどは、釈親鸞の釈は釈迦族の釈と全く同じ発想ですね。
> 私は、身延の見解を支持してますけれど、ひとによっては、納得がいかないような顔をされるのですよ。
> そのあたり、しんのすけさんどう思われますか?

「日蓮は日本国東夷東条安房の国の海辺の施陀羅が子也」(『佐渡御勘気抄』
と言い切られる方ですから血統主義などとは無縁です!

タイトルRe^2: 日蓮聖人は?
記事No1924
投稿日: 2013/02/23(Sat) 11:48:03
投稿者桃青
> > 御聖人の「日蓮」の日ですが、
> > 私は身延山の講義で神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を> > @天照大神への傾倒、房総の明るい太陽に対して格別の思い入れがあった。
>
> それはあるかも!よく日本国のと書かれていますし、本朝沙門、扶桑沙門と書かれていますから日本のという意味もあると思いますよ。
>

なるほど。
神力品の「日月」も表すところは太陽ですものね。
房総の遮るものの無い大海原に上る朝日。
暗く広がる海を冴え冴えと照らす月。

真宗の電脳和尚は「房総を旅して初めて日蓮の真っ正直さが解って、少しだけ日蓮が好きになった。」
と、書いてくださいましたが、房総の太陽から日蓮聖人は太陽への格別な思いを持たれていたことは十分考えられます。

日出る国、日本。日本という国名にも入っている太陽、
その太陽が一番早くのぼる房総に生まれ、太陽と共に育った。
ああ、太陽は素晴らしい、その太陽が国の名前になっている日本は諸の幽冥が除かれた素晴らしい国でなくてはならない。
30代のはじめの御聖人は、そんな昂揚したお気持ちで、日蓮と名を定められたのでしょうか・・・。

> 「日蓮は日本国東夷東条安房の国の海辺の施陀羅が子也」(『佐渡御勘気抄』
> と言い切られる方ですから血統主義などとは無縁です!

仏国土を御覧になった御聖人から見れば、血統主義などというものは小さな、小さな思想でしょう。(笑)

タイトルRe^4: 1984年の戒名料
記事No1923
投稿日: 2013/02/23(Sat) 10:49:30
投稿者桃青
> 確か、5万か10万かな、自分でつけている人もいます。
> 生前と死後で多少違いますね。
>

遅ればせながら、御回答ありがとうございす。
思ったよりリーズナブルですね。

どのような名になるのでしょうか?

そのかたに相応しい漢字2文字ですか?

タイトルRe^5: 1984年の戒名料
記事No1926
投稿日: 2013/02/25(Mon) 00:05:21
投稿者しんのすけ
> そのかたに相応しい漢字2文字ですか?
日蓮宗とほぼ同じだと思いますが、
□□院○○日▽居士(善男子)みたいな
□は業績いうか生前の行いに応じたような感じ?
○はその方に相応しい、たとえば法華経の中から単語を選びます。
▽は名前の一文字が普通だと思います。

タイトルRe^6: 1984年の戒名料
記事No1928
投稿日: 2013/02/25(Mon) 16:11:45
投稿者桃青
> □□院○○日▽居士(善男子)みたいな
> □は業績いうか生前の行いに応じたような感じ?
> ○はその方に相応しい、たとえば法華経の中から単語を選びます。
> ▽は名前の一文字が普通だと思います。

同じです。同じです!

やはり、そのかたを良く知っていないと良い名が浮かばないのでしょうね。


有名人の戒名とネットで探してみました。

◎豊臣秀吉・・・国泰裕松院殿霊山俊龍大居士
◎武田信玄・・・法性院機山信玄
◎田中角栄・・・政覚院殿越山徳栄大居士
◎美空ひばり・・・茲唱院美空日和清大姉
◎青島幸男・・・廉正院端風聚幸大居士
◎鈴木その子・・・白蓮院妙容日苑大姉

まだまだあります。
◎芥川龍之介・・・懿文院龍之介日崇居士
◎いかりや長介・・・瑞雲院法道日長居士
◎石原裕次郎・・・陽光院天真寛裕大居士
◎大佛次郎・・・大佛次郎居士

まだまだありますが、省略。

しんのすけさんの御解説と合わせて拝見すると、なるほどなー。
と、どなたの戒名も頷けるものがありますね。
さすがに伸びやかでどっしりとした戒名ばかり。
御住職がここぞ、と渾身の思いで選ばれた文字なのでしょう。

鈴木その子さんの戒名は女らしく美しいですね。
私もこんな感じの何気なく美しい名を頂きたいですが・・・。

タイトルRe^7: 1984年の戒名料
記事No1929
投稿日: 2013/02/25(Mon) 22:26:03
投稿者しんのすけ
> やはり、そのかたを良く知っていないと良い名が浮かばないのでしょうね。

それが不思議と知らない本部の先生がつけても生前の故人にぴったり
の法嗣をいただく事が多いのです。もちろん、故人と縁のある先生が
いらっしゃるとその方がつけられます。
法により感応するのか、読む人の感情でふさわしい名のように感じるのかは判りませんけどね。
僕は戒名は無くても構わないと思っていますが、故人に別に名を付ける事によって、残された人の心の整理がつけ易くなると思います。
いつまでも俗名では記憶が生々しい。また、ふさわしい戒名は生き様の証にもなりますね。

タイトルRe^8: 1984年の戒名料
記事No1930
投稿日: 2013/02/26(Tue) 16:47:03
投稿者桃青
>
> それが不思議と知らない本部の先生がつけても生前の故人にぴったり
> の法嗣をいただく事が多いのです。

そうですかー。
やはり仏眼で御覧になると・・・ということなのでしょう。

あるいは故人のかたの徳が、その名を引きよせたということかも?

> 僕は戒名は無くても構わないと思っていますが、故人に別に名を付ける事によって、残された人の心の整理がつけ易くなると思います。
> いつまでも俗名では記憶が生々しい。また、ふさわしい戒名は生き様の証にもなりますね。

そうですね。
やはり戒名は導師から頂くものだと私は思っています。
信頼できる導師に会えるのも縁。であり、その者の果徳なのでしょう。
どんな人生を送ったにしろ、心あるかたから「今世の修行お疲れ様。」という心をこめて名を頂きたい。
と、個人的は願っていますが、いい加減にチャランポランな名を頂くことになっても、それもまた私の果徳ですから。