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タイトル彩雲
記事No1997
投稿日: 2013/04/09(Tue) 18:44:48
投稿者桃青
先の日曜日、初めて話に聞く彩雲というものを見た。

彩雲はありふれた気象現象だそうだが、その美しさから古くから瑞相とされてきた。
仏教にもよく五色の雲という表現が出て来るが、五色の雲とは彩雲を指しているようだ。

瑞雲、慶雲、景雲、紫雲ともいうらしい。

私は、彩雲を見たことがなかったので、五色の雲とは言葉の綾だろうくらいにしか思っていなかったのだが、真相を知ることができて、本当によかった。
今は、ネットを検索すれば美しい彩雲の写真を数多く見ることができる。

タイトル不老不死の理
記事No1998
投稿日: 2013/04/10(Wed) 09:46:47
投稿者桃青
彩雲を今回初めてみたが、その時周囲に居た20人くらいのひとびとも、空を見上げて一斉に「あ!あれ!虹みたいなものが見えるけど、虹じゃないよね。」「もしかしてオーロラ?」と口々に驚嘆していたので、おそらく実際に見るのは初めてだったのではないだろうか。
私たちは激しい風の中、寒さに震えながらボランティア活動をしていた。

もしやあれが彩雲と言われるものだろうか?
と、帰ってからネットで検索してみたら、私が見たのと似たような空の雲の写真が多数載っていたので、やはりそうだったのか、と思った。
ボランティアの参加者は10代から各年代、80代のかたもおられたので、彩雲はありふれた気象現象とはいえ、実際に眼にすることなく一生を終わるかたもおられるだろう。

ネットの写真は彩雲の様子をよく捉えていたが、やはり大空にあるそれを実際に見るのとは違う。
たかが彩雲という気象現象でも写真を観るのと実際に見るのでは違うのだ。

日蓮聖人は如説諸行抄に曰く

「人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ」

これはいうなら御聖人が撮られた写真のようなものである。
私は、ある時、顕れたのを見てしまった。
御聖人が遺されたものが写真ではなく文字なので、私が見た理と御聖人が御覧になった理が同じなのか、そうでないかを判定することはできない。
が、私の見た理はいわゆる断見でも常見でもないし、
よく言われるようなその人が為した行為の果が残るということでもなく、ましてや生殖細胞に乗っかったDNAが残るということでもない。
なので、あたらずと言えど遠からず、なのではないか。

不老不死の理を観てしまったので、「死んだらどうなる。」への不安はなくなった。
死への不安がなくなると・・・確かに、安穏だ。

南無妙法蓮華経。

タイトルRe: 不老不死の理
記事No1999
投稿日: 2013/04/10(Wed) 11:27:28
投稿者桃青
私は、不老不死の理に死を位置付けて安穏を得たのだが、
各々安穏となる死の位置付けは、またそれぞれ違うのだろう。

ただ、仏教は死後の世界をこう言っている、ああ言っている。と、仏教を伝えるその内容が仏教的でないのなら、それは問題ではないだろうか。
道教的な御伽噺、キリスト教的な御伽噺で語られる内容は、結局ほぼ全て道徳の鼓舞に終始することになるようだ。
道徳を伝えることは悪いことではない。
が、仏教はせっかく「仏教はすでに道徳の彼岸をみつめている。」と、ニーチェからも評価されるのであるから、道徳の彼岸を語らないまでも、せめてその道徳の彼岸の存在を示唆するような話を法を伝える場である法座では聞きたいものだと思う。