タイトル | : 不老不死の理 |
記事No | : 1998 |
投稿日 | : 2013/04/10(Wed) 09:46:47 |
投稿者 | : 桃青 |
彩雲を今回初めてみたが、その時周囲に居た20人くらいのひとびとも、空を見上げて一斉に「あ!あれ!虹みたいなものが見えるけど、虹じゃないよね。」「もしかしてオーロラ?」と口々に驚嘆していたので、おそらく実際に見るのは初めてだったのではないだろうか。 私たちは激しい風の中、寒さに震えながらボランティア活動をしていた。
もしやあれが彩雲と言われるものだろうか? と、帰ってからネットで検索してみたら、私が見たのと似たような空の雲の写真が多数載っていたので、やはりそうだったのか、と思った。 ボランティアの参加者は10代から各年代、80代のかたもおられたので、彩雲はありふれた気象現象とはいえ、実際に眼にすることなく一生を終わるかたもおられるだろう。
ネットの写真は彩雲の様子をよく捉えていたが、やはり大空にあるそれを実際に見るのとは違う。 たかが彩雲という気象現象でも写真を観るのと実際に見るのでは違うのだ。
日蓮聖人は如説諸行抄に曰く
「人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ」
これはいうなら御聖人が撮られた写真のようなものである。 私は、ある時、顕れたのを見てしまった。 御聖人が遺されたものが写真ではなく文字なので、私が見た理と御聖人が御覧になった理が同じなのか、そうでないかを判定することはできない。 が、私の見た理はいわゆる断見でも常見でもないし、 よく言われるようなその人が為した行為の果が残るということでもなく、ましてや生殖細胞に乗っかったDNAが残るということでもない。 なので、あたらずと言えど遠からず、なのではないか。
不老不死の理を観てしまったので、「死んだらどうなる。」への不安はなくなった。 死への不安がなくなると・・・確かに、安穏だ。
南無妙法蓮華経。
|