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タイトルおむつプレイ
記事No2008
投稿日: 2013/04/23(Tue) 19:06:55
投稿者桃青
先日、ヘルパーになるためにヘルパー2級講座を受けたというかた(男性50代)と御話をする機会があった。

講習には、実際にベッドに横たわり、リハビリパンツを履きパットを当てて大小便をしてみる。というカリキュラムもあったという。

「さあ、しろ。と言われてもなかなか出来るものではないですよ。
 でも頑張ってなんとか、かんとか大小便をしてみたら、これが気持ちが良いのですよ。
 大はともかく、おシッコのほうは1回、2回までなら、パッドもサラサラなので、気持ちが良いのなんの。
 さすがに三回以上はべたべたになるので、ダメですけれどね。
 以来やみつきになって、車の中にリハビリパンツをいつも置いてあるのですよ。

難点は暑いことだけ!」

 だそうです。

そーかー、リハビリパンツの中に、気兼ねなくおシッコするって、気持ち良いのか・・・。
そういえば、知人の70代のお父様も、骨折で一時、介護度4になられて、骨折のリハビリ後、要支援2に復帰されたのですが、リハビリパンツの愛用者になられたと聞いています。

遠藤周作先生も、暖かい布団の朝のまどろみの中で、
「寝たままシーコができんもんかいな〜。」
と、考えておられたようです。
そのころにリハビリパンツという便利なものがあれば、遠藤先生も愛用者になられていたかもしれません。


うーむ。
おシッコの重みででずっしりと股間に垂れさがるリハビリパンツの生温かさと、もわあと立ち昇る消臭剤と尿が反応した独特の臭い。
お下の世話は、どんなに慣れても楽しい仕事ではありません。
でも、本人は気持ちが良い??。
なんだか、ますます、「誰もがなりたくない認知症になってまで、あなたに受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのです。」
は、実相ではない、という確信が強まった、な。(笑)

タイトル猿は巣をつくらない。
記事No2009
投稿日: 2013/04/26(Fri) 11:43:17
投稿者桃青
人間は何故垂れ流すのか。
を生物学者が考察していた。

そ・れ・は、

人間が猿だから、だ。そうだ。
人間の遠い祖先は、現在の猿の何種類かがそうであるように、樹上で生活していた。
樹上生活する猿は、枝から枝へと移動しながら、催したらその場で糞をする。
すなわち、常に垂れ流し状態。

これは、猿が巣を作らないことも関係しているのではないか、とも言われる。
巣をつくる動物は、巣の中には糞をしない。
たぬきのように、決まった糞場を持っている動物もいる。
すなわち、糞をして良い場所と糞をしない場所の区別がある。
猿は定住の巣を作らない。なので、ゴリラの一夜限りの寝床は稀有な例としてよく紹介される。
つまり、猿には、糞をして良い場所とそうでない場所、の区別をする必要がないので、所構わず、したい時にする。
のだそうだ。

そう言えば、室内で買われているペットの猿はリハビリパンツみたいなものを履いているね。

人間は認知症になると何故糞便を垂れ流すようになるのか。
それは、人間社会で身に付けたものが消えてしまって、猿と同じ祖先の形質がただ、現れて来る。
つまり、人間の肉体を持つ故なんだねー。

そう、ただ、人間だから。

認知症になったひとは、「あなたや私に、受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるために、わざわざ認知症になって垂れ流しておられる」わけでもない。

ただ、人間だから。なんだよね。

仏教の諸法実相とか、諸法無我とか、無自性とか、を観じて
人間を観れば、そこには「ただ、人間」が居るのだ。

あなたも、わたしも、ただの人間。
そこから始めようよ。

タイトル噛みつく
記事No2010
投稿日: 2013/04/27(Sat) 18:29:48
投稿者桃青
家から少し離れたところに、高級有料老人ホームがある。
そこに入っているかたがたは、高額な負担金を負担できる家のかたがたばかりである。
そこのスタッフで利用者さん(介護施設を利用しているひとをかの業界ではこのように呼ぶ。)から、噛みつかれないひとは一人もいない、という。
「良いところの奥様、旦那様で過ごして来たひとばかりだから、ボケても気位は高いし、我がままで、ね。
あそこは噛みつく人の割合が他所より多くて・・・。
噛みつかれたり、暴言を吐かれたりで、もう何人もやめて行ったのですよ。
スタッフが辞めるのは、給与などの待遇に不満があるのも勿論だけれど、噛みつかれたり、殴られたりの利用者からの暴力と、暴言に耐えかねて、やめることがすっごく多い。」
とは、ケアマネさんの談話。

元気なころにはお上品だったであろう奥様達が、認知症になると噛みついたり、引っ掻いたりするのも、私たちの祖先が歯ぐらいしか攻撃の武器をもたなかった猿だからだろうか。

タイトルRe: 噛みつく
記事No2011
投稿日: 2013/04/27(Sat) 21:12:39
投稿者しんのすけ
今日は胃腸風邪をひいたみたいでお医者さんへ行きました。
帰ろうと調薬を待っていると、体が不自由で車椅子で帰るおじいさんと腰曲がってこれまた高齢な婦人が靴を履かせて車椅子の準備をして
いました。おじいさんが下を指して何かしようとしているので
良く観るとスリッパを片付けようと届かないのに手を伸ばしていた。
こけそうだったので急いでスリッパを持って片付けてあげたら、
喜んで会釈をしてくれた。おばあさんはゴメンナサイ、私が忘れていてと言って同じく会釈をして車椅子を押して出ていった。
お二人ともそんなに長くはないのかもしれないが、お元気でと思った。
でも認知症で人でなくなりつ噛み付く老人と何もちがわないのだろう。
人の世はつくづく不平等だなと思う。

タイトルRe^2: 噛みつく
記事No2012
投稿日: 2013/04/30(Tue) 09:44:12
投稿者桃青
> 今日は胃腸風邪をひいたみたいでお医者さんへ行きました。

大丈夫ですか?
最近は気温の寒暖の差が激しくて、いろんな不調がでやすいですね。
お大事に。

> でも認知症で人でなくなりつ噛み付く老人と何もちがわないのだろう。

何も違わない。
そうですね。
宗教家や信仰者ばかりでなく、世間の人々は認知症になるならないを過去の行いや現在の行いと結びつけて考えがちですが、そんなことはまったくありません。
認知症になったひとも、認知症にならないままに老いて死に至ったひとも、過ごして来た人生にどれほどの違いもありません。

頭が良かろうと悪かろうと、身体が丈夫であろうとなかろうと、金持ちも貧乏人も、道徳的な人生であっても、不道徳な人生であっても、仲の良い家族でも、自分勝手な家族でも、認知症になるときにはなる。
見ているとそんな感じです。

今世の姿は、今世でのその人個人の行為だけの結果、(今世で間に合わなければ前世でのその人個人の行為の結果)と、いうレベルで人間を捉えていると、現実のそうした認知症の姿は見えて来ないかもしれません。
先日、「犬も認知症になる。」という話をしましたら、道徳と信仰で認知症を捉えておられるようなかたのおひとりが、「あ!」という顔をされました。
何かを感じ取っていただけたのでしたら、良いのですが・・・。



> 人の世はつくづく不平等だなと思う。

本当にね・・・。
妙音菩薩品に書かれてある通りだなあ、と思いますよ。

タイトル裸まつり
記事No2013
投稿日: 2013/04/30(Tue) 11:28:44
投稿者桃青
アルツハイマー型の認知症はほぼ必ず裸まつりという道程を通ると最近知った。
すなわち、すっぽんぽんで歩きまわる。
母も一昨年、昨年、すっぽんぽんで外へ出て行ったことが何度かあった。
今年は、いつまでも寒いせいか、それとも裸まつりは終わったのか、まだ一度も無い。

すっぽんぽんにならなくても、認知症のかたは時に応じた衣服を身につけるということができなくなる。

これも、人間の祖先が猿だからだろうか。