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タイトル今日もまたおひとり
記事No2049
投稿日: 2013/05/18(Sat) 13:01:16
投稿者桃青
「主人がねー、病院へ行きたくないって。」

と、疲れた顔の女性が来られた。
彼女の御主人は、脳梗塞で倒れて5年認知障害と言語障害がある。
運動障害から寝たきりとなられ昨年、胃ろうの手術をされた。

介護者である彼女の疲労が激しいので、主治医がうまくだんどりをつけて、病院への入院が決まった。

認知症で胃ろうとなると、通常の介護施設では受け入れてくれない。
有料の介護施設でも、医療行為となる胃ろうの処置をともなう介護をしてくれるところは稀である。
病院でも、こういうケースは受け入れない。
そこを主治医の政治力で、病院長、事務長と「と、いうことで」と、話をつけたのだろう。
本来なら、入院できるケースではないのだから。
彼女は、「これで、やっと私の時間が持てる。本当に感謝するわ。」と、笑顔を見せてた。
24時間、一人でひたすら要介護者を中心に生活する息苦しさは、経験した者でなくてはわからないだろう。

御主人が入院したら、あれもしたい、これもしたい。と、楽しい計画もあったでしょう。
「私、主人が入院したらね・・・」と、楽しそうにしておられた。
大したことではない。嫁いだ娘さんと孫と買い物に行って、外食したり、友人とゆっくりおしゃべりしたり、
彼女と同年代の女性なら、殆どのひとが当たり前にしていることである。

が、入院当日、迎えに来た主治医とケアマネさんに向かって、御主人は「入院したくない。」
と、言葉にならない言葉で訴え、激しく首を振ったのだそうだ。

「でね。私、入院やめます。と、言ったんですよ。
 お医者さんもケアマネさんも、<あなたあっての介護ですよ。
 あなたの身心の健康を第一に考えましょう。
 いくら御主人が嫌だと言っても、そんなの無視してこのまま病院へ行きましょう。>って、言ってくださったんですけれど、激しく首を振る主人を見ると、どうしても出来なかったわ。」

と、言う彼女の顔は、暗く生気がなくて・・・。
少し前に「主人が入院することになったのよ!」と、来られたときの輝きを知っているだけに、とても見てはいらないくらい、暗く疲れきって、生気がなくて・・・。


やっぱり
「御主人は、わざわざ脳梗塞になってまで、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのですよ。」
だけで、介護を乗り切るには、限界があるんじゃないかなあ。

いくら有り難い菩薩を御主人の中に見たとしても、身心の疲労は、いかんともし難い。

ですからね。
介護される側ができる菩薩行も説いたほうがいいんじゃないかと、思うのですよ。
奥さんが疲れきっているのを見て、「たまには休みをやろう。」とは、男性は思わないものなんでしょうかね。

タイトルRe: 今日もまたおひとり
記事No2051
投稿日: 2013/05/20(Mon) 00:25:28
投稿者桃青
自分が介護される立場になったとき、どのように生きたらよいのか、ということは、まったくと言っていほど話されることがありません。

母の介護を通じて、介護ヘルパーさん達と、話をする機会がよくありますが、介護ヘルパーさん(おばさん達)も、この件に関して二つのタイプがあります。

「自分の子供には、こんな大変な負担をかけたくない。」というかたと
「たしかに、大変な負担を子供にかけるけれど、それでも絶対子供に看て貰いたい。」というかた。

どちらが正しいという話でもないのでしょうが・・・。



もうひとつ。
ヘルパーさん達から、介護するひとたちの本音を聞くことがある。
「高額な年金を貰っている親で、その年金を当てにして暮らしているなら、どんな姿でも生きていて欲しいでしょうが、親の年金が少なくて介護費用を子供が負担する家でも、親の年金などなくても困らないいという家でも、認知症の親に長生きして欲しいと心から思っている家族などまずいない。」

さて、いつか、私もあなたもそんな姿にならない、という保証はない。

タイトル配偶者の認知症
記事No2052
投稿日: 2013/05/20(Mon) 10:21:40
投稿者桃青
少し前に書いた『黄昏流星群』の夫は、認知症になった妻を
「もう自分の手には負えない」と、施設へ入居させた。

が、あの程度の認知症のかたを在宅で介護している家族は、ざらに居る。
我が家の母もあの程度ですが、ショート、デイを利用しての在宅介護です。

配偶者が認知症になって、二人暮らしだと比較的妻は夫を看とるが、夫は施設へ委ねてしまうかたが多い。
もちろん、妻でも夫をさっさと施設へ入れるかたもおられるし、夫でも、妻を愛しく介護されるかたはおられる。
おおまかな傾向としては、ということである。

さて、配偶者が認知症になり、その介護に心萎える者にも、やはり
「あなたの夫は、妻は、わざわざ誰もが嫌がる認知症になってまで、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのです。」
と、説くのだろうか、と思う。

たぶん、妻には説きやすい。
しかし、夫には(特に導師が男性の場合)、そのようには説かないか、表向きはそのように説いても、「あなたも男だから、そこはうまくやりなさい。」と、誰も居ないところでは、言うだろう。

黄昏流星群の男性は、妻を離婚せず、愛人をつくって身心の平安を保つことにした。
世の男の全員、そして女性の殆どはそれを赦すだろう。
認知症の妻を施設に入れて、愛人と共に暮らしても、妻を離婚しないで、介護保険の手続きなり、費用を出し続ける、ということで美談にするかもしれない。
しかし、認知症の夫を持つ妻が同じことをしたら、殆どのひとはそれを赦さないだろう。

親の認知症は、「あなたのためにわざわざ認知症になった。」
配偶者の認知症は、とりわけ男性に対しては「と、いうのは建て前」となりがちだ。
同じ認知症なのに親の場合は「わざわざ認知症になってくださった、これ真実。」、配偶者の場合は「単なる困った病気」

方便の教えとはそういうものなのだ。