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タイトル信仰の寸心
記事No2078
投稿日: 2013/06/04(Tue) 09:59:06
投稿者桃青
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。」

寸心と寸志は同意です。
寸は謙譲の意を表す接頭語ですから、なので「信仰のこころざしをあらためて」でしょう。

つまり
「信仰のめざすところをあらためて」ですね。

皆さん何をめざして信仰しているの?
ぽっくり死ぬことですか?
病気が治ることですか?
○○家が隆盛となることですか?

そう願って信仰することも間違いではない。
ただ、日蓮聖人がここで「一乗に帰せよ」といわれているのは、
そうすればぽっくり死ねるよ。病気が治るよ。○○家が隆盛になるよ。
というようなことだけでもないだろう、と、私は思うのですけれど。

タイトルRe: 信仰の寸心
記事No2093
投稿日: 2013/06/14(Fri) 23:45:21
投稿者ぽん州
> 「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。」
>
> 寸心と寸志は同意です。
> 寸は謙譲の意を表す接頭語ですから、なので「信仰のこころざしをあらためて」でしょう。
>
> つまり
> 「信仰のめざすところをあらためて」ですね。
>

汝に対し 謙譲の寸心 というのはおかしくない? 主人が 己の寸
心 というなら解るけど。。。鎌倉時代の日蓮聖人が そんなアホな
言葉遣いするかなあ。

寸心って 一寸四方のちっぽけな心でしょ。 その心に 森羅万象が
宿る。華厳唯識的な捉え方だけど、 時の権力者で先の執権に対する
言葉だから、”北条時頼さん あなたのご信心のうちのほんのちっぽ
けの部分、法然の「選択本願念仏集」への呪縛から解放されて、真実
の教えに改めなさい” という意味じゃなかったっけ。
寸心の信仰を改めよ ではなく 信仰の寸心を改めよ ということだ
と思います。あなたのちっぽけな心にある全信仰心を改めろ ではな
く あなたの全信仰心のうちの ほんのすこし しかしそれが最も重
要な部分である阿弥陀信仰から心を解放しなさい そうしなければ 
社会の混乱や苦しみの根本から逃れることは決してできない という
ことでしょうね。 うーん 随分大変な結論になってしまったい。。

南無妙法蓮華経

タイトルRe^2: 信仰の寸心
記事No2095
投稿日: 2013/06/15(Sat) 16:28:02
投稿者桃青
>
> 汝に対し 謙譲の寸心 というのはおかしくない? 

ぽん州さんが言われていることと同じことを言っていると思いますが・・・。



>
> 寸心って 一寸四方のちっぽけな心でしょ。

「ちっぽけな」が「寸」ですから。


> 寸心の信仰を改めよ ではなく 信仰の寸心を改めよ ということだ
> と思います。あなたのちっぽけな心にある全信仰心を改めろ ではな
> く あなたの全信仰心のうちの ほんのすこし しかしそれが最も重
> 要な部分である阿弥陀信仰から心を解放しなさい そうしなければ 
> 社会の混乱や苦しみの根本から逃れることは決してできない という
> ことでしょうね。 

お言葉を返すようですが、何か変じゃないですか?
じゃ、時頼の全信仰心の一部が阿弥陀信仰って??
じゃ、残りの部分は何?

タイトルRe^3: 信仰の寸心
記事No2098
投稿日: 2013/06/16(Sun) 00:59:16
投稿者ぽん州
> >
> > 汝に対し 謙譲の寸心 というのはおかしくない? 
>
> ぽん州さんが言われていることと同じことを言っていると思いますが・・・。
>

そうですか;;;;;;;謙譲とは自分をへりくだって言うものだと思って
いましたが、、、相手の心をへりくだるのですか;;

> ↓
>
> > 寸心の信仰を改めよ ではなく 信仰の寸心を改めよ ということだ
> > と思います。あなたのちっぽけな心にある全信仰心を改めろ ではな
> > く あなたの全信仰心のうちの ほんのすこし しかしそれが最も重
> > 要な部分である阿弥陀信仰から心を解放しなさい そうしなければ 
> > 社会の混乱や苦しみの根本から逃れることは決してできない という
> > ことでしょうね。 
>
> お言葉を返すようですが、何か変じゃないですか?

かもね。

> じゃ、時頼の全信仰心の一部が阿弥陀信仰って??

時頼に得宗家の改心を託した私的な奏上だから、主眼目は 法然の選択念仏からの改心でしょ。
だって日蓮聖人に諮問された訳じゃないから その他の信仰には、周到な注意を払われた
感じです。 当時の得宗家は、真言、禅も影響があったわけで、阿弥陀信仰ばかりに影響
されてた訳じゃなかった。でも特に高木豊博士の提示された、身延本執筆時の日蓮聖人の
置かれた状況、東条ら念仏者からの身辺への危機に対する統治者による取締の嘆願という
側面もあったかもしれないですね。

南無妙法蓮華経

タイトルRe^4: 信仰の寸心
記事No2099
投稿日: 2013/06/16(Sun) 12:20:08
投稿者桃青
> > >
> > > 汝に対し 謙譲の寸心 というのはおかしくない? 
> >
> > ぽん州さんが言われていることと同じことを言っていると思いますが・・・。
> >
>
> そうですか;;;;;;;謙譲とは自分をへりくだって言うものだと思って
> いましたが、、、相手の心をへりくだるのですか;;
>

多くの御遺文の中で、「寸心」という言葉が出て来るのはここだけじゃなかったかな?

「広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮に謗教の網に纏る、此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の<寸心>を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。」
(『立正安国論』<>は私がつけました。)

古文の用例も載せる一般的な日本語辞書には、
寸心=寸志
とあります。
「志」が出て来る御遺文なら多数あるのですが・・・。


立正安国論は、客と主人の問答のかたちで書かれています。
「汝早く信仰の寸心を改めて」
の下りも、文章の構成上では、主人が主人の意見を聞きに来た客に言うことばですから、主人と客、同じ立場の気安さや、「私が教えてあげよう。」というやや上から目線で「汝、寸心」と言う言葉遣いでも問題はないのではないでしょうか?

御聖人が時の権力者時頼を本書中で名指しして、「汝、寸心」と言っているわけでもないでしょう。

「信仰の寸心をあらため」は「邪な信仰を捨てて」と現代語訳されることもありますが、その前に法然上人の選択集を引用した文章があって
その引用文中に「浄土門に於て<其の志有らん者>は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし」
つまり<浄土門において、浄土往生を志すならば>
というくだりがありますので
「信仰の寸心」を「邪な信仰」とはちょっと言い過ぎで、「あなたのその浄土往生などというちっぽけな志をあらためて」でも、いいんじゃないかなぁ。と、私は僭越ながら思うわけですけれども・・・。