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タイトルバーミヤンの仏像
記事No2090
投稿日: 2013/06/12(Wed) 09:35:54
投稿者桃青
バーミヤンの仏像がタリバンによって破壊された時、
電脳和尚は、

「人間の愚かさを示すために、仏は自ら砕け散ったのだ。」

と、コメントされた。

私は、それを「ああ!そうなのだ。本当にそうなのだ。」
と、受け止めた。
今も、そうなのだろう。と思っている。

なのに、

「わざわざ誰もが嫌がる認知症になってまで、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのです。」

には、反発するのは何故なのか、と思う。


バーミヤンの大仏は 
 人間の愚かさを示すために
  自ら砕け散った。

桃青の母は
 桃青に法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるために
  わざわざ認知症になった。

タイトルRe: 介護について
記事No2091
投稿日: 2013/06/13(Thu) 00:35:55
投稿者三森至樹

> 桃青の母は
>  桃青に法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるために
>   わざわざ認知症になった。

桃青さんのことは具体的に知っていないので、一般的な話ですが。
家庭で認知症になった方の場合、環境的に介護が難しくなってきていても、なかなか施設のの介護に踏み切れない場合が多いのではないかと思います。高齢者の場合、住み慣れた家を離れることへの抵抗もあるし、周りの目(あの家では施設に預けたそうよ)もあるし。

わたしの少ない見聞でいいますけど。病院から介護施設に移すのは、割とスムーズに行くようです。
わたしが入院していた病院で、隣のベッドにいたAさんの場合、わたしと同じ脳梗塞で入院したのですが、その前から認知症のような症状も進んでいて、家に戻して介護するのはほとんど不可能な状態でした。奥さんは、何とか家を改装して一緒に暮らすことを希望されていましたが、客観的にそれは難しいということで、介護施設に移って療養するということになりました。
こういうように、病院から介護施設へというルートだと、スムーズに行くのかもしれません。家庭から介護施設に移るというのは、客観的に見て家での介護は無理という場合でも、なかなか難しくて、ハードルが高いかもしれません。

タイトルRe^2: 介護について
記事No2092
投稿日: 2013/06/13(Thu) 10:49:51
投稿者桃青
三森さん
おひさしぶり。その後お身体のほうはいかかですか?

> 家庭で認知症になった方の場合、環境的に介護が難しくなってきていても、なかなか施設のの介護に踏み切れない場合が多いのではないかと思います。

結論から言えば、どんな環境にあっても在宅介護が不可能ということはないのです。←ここ大事。
介護にあたる者が在宅介護をやめる決心をしないかぎり、在宅介護は可能です。

>高齢者の場合、住み慣れた家を離れることへの抵抗もあるし、周りの目(あの家では施設に預けたそうよ)もあるし。
>

在宅介護をやめる決心をにぶらせる要因でしょうね。
介護はつくづく嫌だけれど、周りから非難がましい眼でみられるのも嫌だから、在宅介護を続ける。
ますます嫌になる。
嫌になった頂点で、「もう、世間からなんと言われてもいい!私は鬼嫁。鬼娘。」と、開き直って施設へ入居させる。
こんな道筋をたどるかたは少なくないでしょうね。

施設へ入居させたら、終わり。ではなくて、施設によっては1時間はかかる食事の介助に家族に来て欲しいと言われることもあります。
三度の食事の介助に施設へ通われるかたもおられますよ。
もちろん家族がいなければ、職員が介助するのでしょうが、多人数の要介護者のため、忙しいあまりに丁寧に口に運べば食べるのに、切り上げられて食べられないままになっては、いやしないだろうか、などなどの心配で毎食介助に通う。
それも大変じゃないかと思うのですが、そういう方でも、家で同居して世話するよりは、「本当に楽!」なんですね。

同居での介護が辛い。と感じる者に対して
「辛いと感じるほうが間違っているのだ。
 辛いなどと言ってはいけない。思ってもいけない。」
と、辛さを訴えたい、その口を封じるために語られるのが
「親は、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるためにわざわざ認知症になってくださった。
 一家の心を一にする機会を与えるために、わざわざ認知症になってくださった。」
じゃないかと、思われてならないのです。

同居、在宅の介護は辛い。という、その辛さの中身を検討して、一緒に対処法を考えよう。という発想ではないところが気になるのですよ。
辛さの中身とは、大小便の垂れ流しであったり、要介護者の妄想や暴言、暴力であったり、徘徊であったり、自らの糞便まで口に運ぶ異食であったり、周囲の要らぬお節介であったり、
生活のために働いていれば「仕事と介護の両立は難しいっていうのなら、仕事止めればいい。職場にあなたの代りはいても、親を介護できるのはあなただけなのだから。」と言われたり。
そりゃもういろーんなことがあるわけです。
それらをひっくるめて「それらは、みなみな、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるためにされているのです。南無妙法蓮華経。」
ではね。
なんのためにお釈迦様は「苦を滅する法がある。」と説かれたのか、って。

> わたしの少ない見聞でいいますけど。病院から介護施設に移すのは、割とスムーズに行くようです。

「うちはうまい具合に病気になってくれたので、助かったわ。」
と、いわれるお嫁さんは多いですよ。

仏教の指導者が、それでお終いでは困るのですけれど。。。