タイトル | : 認知症のチョイス |
記事No | : 2101 |
投稿日 | : 2013/06/17(Mon) 12:25:03 |
投稿者 | : 桃青 |
団塊世代が高齢化し、認知症患者が大発生することを予測してか、 最近のNHKは認知症をよく取り上げる。
今度は、認知症になった場合のチョイス。
「人生の分岐点での選択がその後の人生を変える。 あなたはどちらを選びますか?選ぶのはあなたです。」
という、某M教の教義のようなコンセプトの番組なのだが、今回取り上げたのは認知症。
番組が言っている分岐点は
@認知症を疑ったら、専門医へ行くか行かないか。 行くを選択 A治療をうけるか、うけないか。 うける。を選択。 B周囲に認知症であることをカミングアウトするか、しないか。 する。を選択。
以上の選択をしたAさん(男性、56歳)は、認知症でも、仕事を続け、毎日生き生きとした生活をされています。
はぁ。まるで、某M教だ。 たまたま、うまく行っている一例をあげて、すべてがそうだと錯覚させる手口は、某M教にかぎらず宗教にありがちなことですが、NHKよ、お前もか。
さすがに、NHKはコメンテーター(ほっしゃん他)に 「私なら認知症であることはカミングアウトしない。できない。」と問題提起もさせてエクスキューズも忘れないが、番組の構成では、以上の選択をすれば、認知症に関わる問題は全て解消と伝えているに等しい。
また、カミングアウトした認知症患者を受けいれて仕事を続けたい者には仕事もさせるべきだ。 という専門家のコメントもあったが、どうだろう。
「会社でも出来る事出来ない事を理解してもらって、仕事を続けている。」と、喜んでおられたAさんには、申し訳ないけれど、 56歳ですからね、会社のほう案外「定年まであとしばらくの辛抱だ。何か決定的なことがあれば、それを機会にやめてもらおう。」 と、思っているだけかもしれない。
今まで重要な決定を任されていたひとが、その判断力を危ぶまれて責任のない軽作業を与えられたら、それを素直に受け入れられるかどうか。 仮に、無事に定年を迎えても、そこから先はどんな生活?
ですからね、 介護者に向けて「要介護者はあなたのためにわざわざ認知症になってくださった菩薩です。」と、説くだけでなく、 認知症になった者や認知症になるかもしれない者に向けても、認知症者として生きるための言葉が何かあってもいいじゃないかと思われてならないのですけれど・・・。
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