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タイトル逆縁、目連尊者の母
記事No2117
投稿日: 2013/06/26(Wed) 11:26:31
投稿者桃青
お盆が近づき、目連尊者の御話がされる機会も多いでしょう。

当地の宗門の研究会では、目連尊者の母の話を「逆縁」と捉えて説いていく方針を検討しているという。

簡単に言えば、

目連尊者の母は、<目連尊者に仏にするために>、自ら望んで餓鬼道へ落ちて、餓鬼の姿を見せた。

と、「逆縁」で、捉えて行こうということのようだ。

うーん・・・仮にそうだとして、そもそも、こういうのを逆縁ていうのかなあ。

逆縁と言われるのは、悪行をした者がその悪行が機縁となって仏縁を得ることを言うのじゃなかったっけ?

ま、とりあえず逆縁の意味はさて置き、

私「目連尊者のお母さんは
   (悪行するひとは)、
  目連尊者に
   (誰かに)
  悟りを得させるために
   (仏縁を得させるために)、
  わざわざ心得違いをして餓鬼道に落ちてくださったのです。
   (わざわざ悪行してくださるんです)
 って何か変じゃないですか?」
上人「いや、だからね。目連尊者は、お母さんが餓鬼道に落ちた姿を見て、悟りを得たわけですよ。
   もし、お母さんが餓鬼道に落ちていなかったら、その悟りを得ることもなかったでしょう。
   お母さんは、自身が悪行をすることによって目連尊者を救ったのです。これを逆縁と言います。」
私「変です!絶対おかしい。」
上人「素直なひとは順縁によって仏縁を得ますが、中には逆縁、つまり酷い眼に合わなければ、仏縁を得ることができないひともいるのです。
  桃青さんも、信仰に入ったきっかけを考えてごらんなさい。」
私「た、確かに、私は○○の苦しみを解決したいと思って、道場へ来ましたが・・・。
上人「ほら、ごらんなさい。」

なんだか、話がずれたぞ。
目連尊者はお母さんが餓鬼道に落ちたのを観た時点ですでに「神通力第一」と言われる釈迦の高弟であったはず。
今さら、仏縁がある、ない、ということでもないだろうし、お母さんの姿を観て、何事かを覚られたにしても??

私「でも、でも、なんか変です。
  それでは、目連尊者に倣って、盆供養する意味がなくなるのではないですか?
  迷妄の中で、餓鬼道に落ちている、と思うからこそ、少しでも楽になっていただきたい。迷妄から抜け出していただきたい。
と、供養しているのに、自ら確信犯的に罪をつくって餓鬼道におられるというのなら、もう、盆供養はしなくてもいいですね?」
上人「あ!」

タイトル逆縁
記事No2118
投稿日: 2013/06/26(Wed) 11:57:06
投稿者桃青
そうかー。最近、なんだか違和感を感じる話の元は
「逆縁」なのか。


「悪行をするひとは、あなたに仏縁を得させるために、あなたを仏にするために、悪行をしているのです。」

「あなたの身の上に起きる悪いことは、すべて、あなたに仏縁を得させるため、あなたを仏にするために、起きるのです。」

・・・・。(^_^.)
なーんか、違和感。


この、「悪行するひと」「悪い出来ごと」の部分に、説く相手に向けて、それぞれ具体的な名前や事例が入ります。

まるで、方程式のように、ね。

確かに、まるっきり間違いではないのかもしれないが、
それなら、同時に「善行をおこなうひと」、も 「嬉しいできごと」もあなたに仏縁を得させ、仏にするためにそうなのだ。(順縁)
と、説かなければウソだろう。
が、嬉しいできごとや、善行をするひとについては、そう説かれたことを一度も聞いたことがない。

タイトルRe: 逆縁、目連尊者の母
記事No2119
投稿日: 2013/06/27(Thu) 09:45:22
投稿者しんのすけ
おはようございます。<m(__)m>
> 目連尊者の母は、<目連尊者に仏にするために>、自ら望んで餓鬼道へ落ちて、餓鬼の姿を見せた。
> と、「逆縁」で、捉えて行こうということのようだ。

狭義で解釈すれば、不軽菩薩に石をぶつけたり仏を謗ったわけでもないから違うけど仏の教えに背いたと捉えれば、そうも言えないか?と思いましたが、「自らを犠牲にして地獄へ」ということ事態、そこには既に化他の心があり、逆縁ではありませんね。

> 目連尊者はお母さんが餓鬼道に落ちたのを観た時点ですでに「神通力第一」と言われる釈迦の高弟であったはず。
> 今さら、仏縁がある、ない、ということでもないだろうし、お母さんの姿を観て、何事かを覚られたにしても??

まあ小乗の徒であった目連尊者が本仏の教えに近づいたと!(*^^)v

> 私「でも、でも、なんか変です。
>   それでは、目連尊者に倣って、盆供養する意味がなくなるのではないですか?
>   迷妄の中で、餓鬼道に落ちている、と思うからこそ、少しでも楽になっていただきたい。迷妄から抜け出していただきたい。
> と、供養しているのに、自ら確信犯的に罪をつくって餓鬼道におられるというのなら、もう、盆供養はしなくてもいいですね?」
> 上人「あ!」

だから、檀家にお盆の供養など勧めずに終戦記念日に世界平和を祈って読経した方が教えにかなってませんか?と思ってしいます。
自分の先祖の成仏ばかり願ったり、自分と同じ宗旨の方の成仏ばかり願っては法華経の教えに対して変だと思う。

逆縁というのと違い、善知識と捉えるべきでは?
「相模の守こそ善知識よ平左衛門こそダイバダッタよ」とかいうご遺文ありましたよね。
自分の敵や自分の今ある状況こそ成仏に導く善知識であるという捉え方は伝統的にありますよね。
すごく納得いくし、自分もその考えで今まで乗切ってきましたが、
はたして親の痴呆がその善知識になるのか?その辺りが課題ですよね?
苦や困難に陥った時に状況を分析して、結果は仏にお任せして、やるべき事を今はすれば良いと、自分の行いに反省はすれど後悔はせず、というのが僕の対処法でしたが、痴呆という病気にそれが通じるのか?それはわかりません。
それ以外の事はほとんど自分の怠慢やずるさが引き起こしているので納得できるのですけれどね。

タイトルRe^2: 逆縁、目連尊者の母
記事No2122
投稿日: 2013/06/27(Thu) 11:22:33
投稿者桃青
>
> 狭義で解釈すれば、不軽菩薩に石をぶつけたり仏を謗ったわけでもないから違うけど仏の教えに背いたと捉えれば、そうも言えないか?と思いましたが、「自らを犠牲にして地獄へ」ということ事態、そこには既に化他の心があり、逆縁ではありませんね。
>

その一、単純思考。

「目連尊者の母が仏の教えに背いたのは、目連尊者を成仏させるため。」

某M教の「アダムが神に背いたのは、人間に神と等しくなる機会を与えるため。」というのと似たような発想ですね。

その2、逆縁についての変な解釈

「罪をおかした目連尊者の母は目連尊者を仏にしたことで自分も仏に成った。
目連尊者の母は仏に背いて餓鬼道に落ちたから仏になった。つまり逆縁。」
????

>
> まあ小乗の徒であった目連尊者が本仏の教えに近づいたと!(*^^)v
>

そうだろうと思います。
だからといって、「そのために目連尊者のお母さんはわざと餓鬼道に落ちたのだ。」というのはどうみても変でしょう。

結局、目連尊者もお母さんも仏になるわけですが、仏になった御二人をみて
「あの二人は、お母さんが欲出して仏の言葉に背いたからこそ、仏になったんだよね。目連さん、お母さんが欲張りなひとで良かったね!」
「いや、お母さんは、目連さんに大乗の教えを覚らせるためにわざと欲張りの振りをしていた菩薩なのだ。お釈迦さまもわざと入滅された。と法華経に書いてある。」
と話が飛躍するのは宗教にありがちな思考停止じゃないでしょうか。

タイトル末那識
記事No2123
投稿日: 2013/06/27(Thu) 11:39:59
投稿者桃青
> だから、檀家にお盆の供養など勧めずに終戦記念日に世界平和を祈って読経した方が教えにかなってませんか?と思ってしいます。
> 自分の先祖の成仏ばかり願ったり、自分と同じ宗旨の方の成仏ばかり願っては法華経の教えに対して変だと思う。
>

おっしゃるとおりですね!
自分の先祖の成仏ばかり願ったり、自分の宗旨のかたの成仏ばかり願ったりしていては結局自分も幸せにはなれないのだな。
と、気付かせてくれるのが法華経の教えのはずなのだけれど・・・。

残念ながら、そういう教えを広めるためにと、オカネを差し出すかたは殆ど全くおられませんし、そのような教えを求めるひともいない。
もっとも私ですらそのことに気付いて「この良い教えが広まりますように。」と、わずかなカネを差し出しているくらいですから、世の中には私のようなかたで、私以上のことをしていられるかたも多数おられるのでしょうが、私の周囲にははっきり言っておられませんね。

皆さん、「○○家が家内安全、子孫繁栄するために」ということであれば、どんなに多額の布施でも喜んで差し出される。
お寺も経営ですから、自然とその方向への話が主流になってしまうのは、仕方のないことですが、「○○家の繁盛話」の合間にでもいいから、「世界が全体幸福にならなければ・・・」と言う方向でのお話も混ぜていただきたいな、と思うのですけども。

タイトル善知識
記事No2124
投稿日: 2013/06/27(Thu) 12:19:58
投稿者桃青
>
> 逆縁というのと違い、善知識と捉えるべきでは?
> 「相模の守こそ善知識よ平左衛門こそダイバダッタよ」とかいうご遺文ありましたよね。
> 自分の敵や自分の今ある状況こそ成仏に導く善知識であるという捉え方は伝統的にありますよね。
> すごく納得いくし、自分もその考えで今まで乗切ってきましたが、

私も、「善知識」という捉え方なら納得です。
私自身は、困難や苦悩を「仏様から宿題を頂いた。」と、捉えて乗りきってきました。
解けた宿題もありますが、ずーっとそのままになっている宿題もあります

> はたして親の痴呆がその善知識になるのか?その辺りが課題ですよね?

母の認知症も私は仏様からいただいた宿題だと捉えています。

> 苦や困難に陥った時に状況を分析して、結果は仏にお任せして、やるべき事を今はすれば良いと、自分の行いに反省はすれど後悔はせず、というのが僕の対処法でしたが、痴呆という病気にそれが通じるのか?それはわかりません。
> それ以外の事はほとんど自分の怠慢やずるさが引き起こしているので納得できるのですけれどね。

認知症は、条件が揃えば誰でもなりうる病気です。
が、その条件とは何なのか、確かなところは現在のところは解明されていません。
なのに、世間では、認知症も生活習慣病と捉え、認知症になったのは自己責任といわんばかりの論調もあるのは気になるところです。

タイトルRe: 善知識
記事No2125
投稿日: 2013/06/28(Fri) 09:25:47
投稿者しんのすけ
> 認知症は、条件が揃えば誰でもなりうる病気です。

ああ、ごめんなさい。どうも祖母が始まった時は痴呆症とよく言っていたので
認知症とかかなければ、いけませんでした。
ただ、認知症ではあの凄まじさはよく伝わらないような気がいつもしてます。
また、PCの故障に譬えて恐縮ですけどPCも使い方が悪かったから故障するというものでもありません。
確かに夏場は弱いとか埃を嫌うとかはありますが、エアコンの効いたきれいな部屋で使っても壊れますし、
あまり掃除もされていないクーラーのない部屋で電源入れっぱなしで使用しても壊れないときもあります。
症状もさまざまでラッキーにも役にたつデーターが取り出せる場合もあれば、
意味の無いH画像しか残ってなかったということもあります。

タイトルRe^2: 善知識
記事No2126
投稿日: 2013/06/28(Fri) 19:07:57
投稿者桃青
> ああ、ごめんなさい。どうも祖母が始まった時は痴呆症とよく言っていたので
> 認知症とかかなければ、いけませんでした。

主治医の先生が書いてくださった介護保険関係の書類には、「アルツハイマー型認知症」と、書いてあるのですが、ちら、と見えたカルテには「痴呆症」。痴呆の文字には思わず凹みましたよ。
まあ、そこそこ年輩の先生ですから、習った時代の言葉のほうが馴染んでおられるのでしょう。

家族もたぶん本人も「痴呆症です。」と言われるよりは、認知症と言ってもらったほうが、少しは心が穏やかでいられるかもしれません。

> ただ、認知症ではあの凄まじさはよく伝わらないような気がいつもしてます。

確かに。あまりこのように言いたくはないのですが
「経験したものでなくては解りません。」
激しい症状に悩まされている介護者からすれば
「わざと認知症になったくださった菩薩だ、仏だって?あなた経験したことないからそんな事が言えるのですよ。」
ではないでしょうか。
また、「せっかく介護保険があるから、そんなに大変なら使えばいいのにね。」
と、思われるかもしれませんが、介護保険がカバーしてくれる部分は、そんなに多くはありません。
また月5万円程度の国民年金しかないかたにすれば、介護保険を利用しても月10万円前後は掛る費用を払いきれるものではないのです。
正直、介護の大変さに直面しているかたで「わざと認知症になってくだっさった菩薩」と言う言葉が素直に耳に入るかたは、そんなに多くはないでしょうし、そればっかりでは、「認知症は誰もが、なりうる病気である。」という現実を皆皆に忘れさせてしまうことになりはしまいか、と心配になります。

認知症を「誰もがなり得る病気である。」ということを踏まえて、
認知症に関わる問題を我が事として観て行こうじゃないか。というほうが、仏教的な姿勢ではないかと、私は思います。

でも、介護で苦しんでいないような一般の方々には、こうしたほんわかした美しい話のほうが
「なるほど!仏教らしい有り難いお話でした。」と、喜ばれるのも現実です。
だからこそ、法を説く立場の方々には、「認知症は誰でもなりうる病気だ。」ということろから、お話をしていただきたいのですが・・・。

目連尊者の母の話を
「わざと餓鬼道へ落ちた、と捉えて行こう。」
と、相談しているかたがたの耳には届かないかもしれませんね。

タイトル逆縁と日蓮聖人
記事No2120
投稿日: 2013/06/27(Thu) 09:47:48
投稿者桃青
「以上のようなこと、
(目連尊者の母は、目連尊者を仏にするために、わざと罪をつくって餓鬼道に落ちた。)
は、日蓮聖人も逆縁ということで言われています。」

と、上人はしきりに言われる。
当地の布教する立場のかたばかりの研究会でも、そのような意見が出ていると言う。

あれ?日蓮聖人は目連尊者の母についてそんなことを言われていたっけ??

日蓮聖人が逆縁について言っているのはここらあたりかと思われますが・・・。

「答えて云く方便品等には機をかがみて此の経を説くべしと見え不軽品には謗ずとも唯強いて之を説くべしと見え侍り一経の前後水火の如し、然るを天台大師会して云く「本已に善有るは釈迦小を以て之を将護し本未だ善有らざるは不軽大を以て之を強毒す」文文の心は本と善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし、然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらえて後に法華経を説くべし、本と大の善根もなく今も法華経を信ずべからずなにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて<逆縁>ともなせと会する文なり、此の釈の如きは末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき、」
(『唱法華題目抄』<>は私がつけました。)


この文の主意は

法華経を説くということは、相手にもしかしたら仏法(法華経)を謗るという謗法をおこなわせるかもしれないが、それでも法華経を説きなさい。

ということでしょう。

これのどこをどう押したら、「仏縁を得させるために、わざと相手を怒らせ嫌がらせて謗法させてやるのだ。」という話しや
「目連尊者の母は目連尊者を仏にするためにわざと罪をつくったのだ。」「悪行をする者は、あなたを仏にするために悪行してあなたを苦しめているのです。」とか「あなたの身の上に起きる悪い出来ごとは、あなたを仏にするために起きるのです。」
という話になるのでしょか?

また、そんな話にしてしまっては、本来の仏法を正確に伝えることの困難さ、本来の法華経を正確に伝えることの困難さに真摯に向き合おうという心が忘れられてしまうですよ。

タイトル目連尊者の母と日蓮聖人
記事No2121
投稿日: 2013/06/27(Thu) 10:29:57
投稿者桃青
「目連尊者の母は、目連尊者を仏にするために、わざと罪をつくって餓鬼道におちたのです。
目連尊者の母の話は、日蓮聖人もいわれている逆縁で捉えるとそうなります。」

でもね、目連尊者の母について、日蓮聖人はこう言われてますよ。

「抑盂蘭盆と申すは源目連尊者の母青提女と申す人慳貪の業によりて五百生餓鬼道にをち給いて候を目連救ひしより事起りて候、然りと雖も仏にはなさず其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし、霊山八箇年の座席にして法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い此の時母も仏になり給う、」
(『四条金吾殿お返事』

私「わざと餓鬼道へ落ちた、なんて言われてませんが?」
上人「そもそも盂蘭盆経自体偽経ですから。古来、目連尊者と母については、いろんな解釈があるんですよ。
   逆縁でとらえるという捉え方でもいいんです!」

確かに、どんな捉え方(釈)でも可能ではありますが、
「日蓮聖人も逆縁についてはよく言われている。」とセットで語るのは、よくないのではないかしら。
知らないひとが聞いたら、逆縁ということについて何か勘違いしそうです。