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タイトル関係性
記事No2157
投稿日: 2013/07/17(Wed) 22:20:52
投稿者桃青
「子供が産まれて親となる。
弟子ができて師となる。

はじめに親があって、親から子供が生まれるのではないですね。
子供が生まれたから親と呼ばれるのです。」

関係性の例として、よく出される例である。

子供との関係に少しでも悩んだことのあるかたは、この言葉を聞いて眼の色、顔色が改まり、はっと息を吸い込んで、深く頷かれる。
悩んだことのないかたは、「当たり前でしょう、何を今さら?」と、いう顔をされる。

タイトルRe: 関係性
記事No2158
投稿日: 2013/07/17(Wed) 22:43:44
投稿者桃青
「あの時、志望学校に落ちたから、内定がもらえなかったから、ひとに騙されたから、失恋したからこそ、今の幸せが有る。
あの失敗がなかったら、今の幸福はなかっただろう。
あの挫折は必要なことだったのだ。」

というような話は、宗教の場ばかりでなく、よく話される。

どうなんだろう。
失敗しなかったら、それはそれで、別のかたちでの幸福を得て、
「今幸福なのは、志望校にうかったから、希望の会社の内定をもらったから、恋愛が成就して一番好きなひとと結婚できたから。」
と、同じように思っているかもしれない。

タイトルRe^2: 関係性
記事No2159
投稿日: 2013/07/19(Fri) 18:01:32
投稿者桃青
「今在るのは、あの時○○だったからだ。」

こういう述懐は一種の因果律なので、宗教の場ばかりでなく、どこでもいつでも為される述懐であろう。

ただ、縁起を説き、単純な因果律で自業自得や自己責任のみを強調することを戒め、
「他業他得、他業自得、自業他得、自業自得」を説く仏教の宗教者、信仰者が、ともすれば、
「あの時の失敗が今の幸福のもと」といった話を語りがちなのは、残念なことであります。

ともすれば、ふっと単純な因果律でものを見てしまう人間に、
「いやいや、物事の生起はそんな単純なものではないよ。」
と、待ったをかけるところが、仏教の真骨頂なのですが・・・。

仏教の信仰者が率先して、単純なモノの見方を説いて、どうすんの?
日蓮系は、御題目をともすれば、単純な因果律でモノを見る道具にしてしまうところがあるから・・・。
いわゆる「我が家の繁盛自慢」を聞きながら、私は、時々虚しくなってくる。

タイトル子供が生まれて親となる。
記事No2160
投稿日: 2013/07/19(Fri) 18:21:58
投稿者桃青
「子供が生まれて親となる。
 親から子供が生まれるのではない。」

この言葉、あなたはどう聞かれたでしょう。

あ!と、胸を突かれたように聞かれるかたもおられるでしょう。
親と子、というものの関係性にあらためて、何事かを感じて、思わず合掌したくなったかたもおられるでしょう。

「そんなこと当たり前だがやー。そんなことは単なる言葉遊びだがやー。」
と、聞かれるかたもおられるでしょう。

これらは実際に私が体験したこの言葉を聞いたかたがたの反応です。

同じ言葉を聞いても、受け止めかたは様々。
そうですよねー。
聴いている者が全員、話される内容を話し手が伝えたいままに、理解するのなら、小学校から大学まで、教師も生徒も苦労はしないわね。

しかし、です。

「子供が生まれて親となる。」

を「当たり前の事だ。」と言いながら、「親から子供が生まれた。」と思っておられるかたは沢山おられます。

先の「当たり前だがや、仏教なんて当たり前のことばかり言っているだけだがや。」
と、言われたかたも「親から子供が生まれた。」と思っておられることは、言葉の端はしから伝わるのです。

このかたばかりでなくマスコミもほぼ全て親子の問題を取り上げるときは、「親から子供が生まれた。」と捉えて記事を書く。
ごく稀に「子供が生まれて親となる。」というコメントを寄せるかたもおられるけれど、マスコミ各社の姿勢は「親から子供が生まれる。」ですね。

「聞くまでも無い。当たり前だ。」と言われるのなら、
いちど「子供が生まれて親となる。親から子供が生まれるのではない。」
という観点から、親子に起きている問題を考えてみてはどうでしょう。

「親から子供が生まれた。」
で見ているうちは、見えてこないものが見えて来ること間違いなし。です。
親子の関係に悩まれたかたが、はっと顔色が変わり、次に大きく頷かれるのは、今まで見えていなかったものに、気がつかれたからではないか、と、思うのですけれども。

タイトルRe: 子供が生まれて親となる。
記事No2161
投稿日: 2013/07/20(Sat) 13:03:35
投稿者桃青
天の御父様、と呼びかける宗教があります。
人間は誰でも神である天の御父様の子供として生まれたのだそうです。
この場合、御父様ははじめから御父様(親)という位置付けですから、
「親から子供が生まれる。」ですね。

そういう教義のせいかどうか、解りませんが、天の御父様と呼びかける宗教のかたに、「子供が生まれて親となる。親から子供がうまれるのではない。」と、いう話はちっとも理解していただけません。

タイトルRe^2: 子供が生まれて親となる。
記事No2164
投稿日: 2013/07/22(Mon) 11:52:46
投稿者桃青
「子供が生まれて親となる。
 親から子供が生まれるのではない。」

これは確かにその通りだ。
それ以外にはない、事実。

でも、子供の立場からみれば、生まれてみたらそこには親が居るわけですから、
「親から子供が生まれるのではない。」
ということを頭でも、感覚でも納得することは難しいのではないかと思う。
そして、全てのひとは「子供」として生まれたので、
「親から子供が生まれた。」と、いう理解を手放すことは難しい?

「天の御父様!」という宗教をすんなり受け入れるのも、子供側の
「私は親から生まれた。」という強い思いがあるからなのだろうか。

親のほうは、戸惑いながら親であることを受け入れたひとも、結局親であることを受け入れられなかったひとも、いろいろ居るので、
「親から子供が生まれるのではない。」は、理解しやすいのかもしれない。