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タイトル自分を見つめなさい。
記事No2179
投稿日: 2013/07/26(Fri) 11:19:38
投稿者桃青
さて、「自分を見つめなさい」という言葉、みなさんはどう聞かれるだろうか。

大抵殆どの場合、この言葉を発する者の真意は
「あなたに悪いところがある。よく反省しろ!」
でしょう。
なので、この言葉、そのような真意を含むことがあるゆえに
時には、中国文化大革命や日本の学生運動で相手を追い詰める時に使われた「自己批判しろ!」と同じように使われる場合がある。

仏教を説く場では、この言葉は二つの意味を持つ。
ひとつは
「反省懺悔しなさい。」
この場合、時には上記の「自己批判しろ!」的使われたかたに転移することは、仏教が説かれる場であっても、例外ではない。

仏教を説かれる場で言われる「自分を見つめなさい。」のもう一つの意味は、
「<自分>を見つめて<我>には実体が無いということに気がつきなさい。」
である。
こちらの使いかたを忘れては、仏教の意味がなくなると思うのですが、指導者によっては、こちらの意味での「自分を見つめなさい」を全く使わず、「反省懺悔しなさい。」という意味でしか言わないかたがおられる。

これは、私の周囲に限ったことなのだろうか、
それとも日蓮宗門全般、どこでもそうなのだろうか。

最近は、日本のアメリカナイズ化が進んで、アメリカ的な思想になじんだ檀信徒も増えたのか、仏教を無理やり捻じ曲げてアメリカ的な思想にすり合わせようとかのような解説をされる上人のかたがたも登場してきた。
亡くなった師匠が「あの者は仏教をキリスト教的に理解しているから心配だ。」と、案じておられた気持ちが解るような気がする。

仏教をキリスト教的に理解しているかたが、仏教にアメリカナイズを加える。てね。。。

アメリカナイズされたキリスト教と言えば、某M教です。

仏教の某M教化?
最悪だ!

タイトル相談者への答え
記事No2181
投稿日: 2013/07/27(Sat) 09:42:47
投稿者桃青
様々な悩みの相談に対して、「反省懺悔しなさい」の意味をこめての

「自分をよく見つめて」

は万能の回答である。
全ての悩みは、自分がそこに直接、間接に関わっているから発生する。
どんな悩みに対してもその原因を「自分が悪いからだ。」に帰着させれば、相談者はそれ以上悩みをうるさく訴えて来ることはない。
傍から見てすぐには相談者の思うような結果の出ないであろう悩みを延々と聞かされる回答者にとって、話を打ち切るにはまことに都合のよい答えではある。わね。

どうなのだろう?
「自分の思い通りにはならないこと」此処にこそ、仏教の「苦」の真理がひそんでいる。
「全ては私が悪いから。」に帰結してお終いにするには、もったいないのではないだろうか。

「感謝ばかりしていると感性が鈍る。」と、電脳和尚は言われたが、

いや、まったく。
なんでもかんでも
「思い通りにならないのは、私が悪いからだ。」
に帰結させていても、感性は確実に鈍って行く。

タイトルRe: 自分を見つめなさい。
記事No2182
投稿日: 2013/07/27(Sat) 14:39:49
投稿者しんのすけ
> さて、「自分を見つめなさい」という言葉、みなさんはどう聞かれるだろうか。

やっぱり他とのかかわりの中で自己を見ないと
逆に、俺はこんなに努力してるのにダメなのは周囲のせいだとなっちゃいますね。
反省とは自己ばかりでなく、己も他も全体の姿を平等にみないと反省にならないと思います。

企業に喩えれば、営業の訪問件数とか提案件数の不足ばかり指摘しても
市場の流れ、ニーズを考えないと経営はなりたちません。

タイトルRe^2: 自分を見つめなさい。
記事No2183
投稿日: 2013/07/27(Sat) 17:36:38
投稿者桃青
> やっぱり他とのかかわりの中で自己を見ないと

そうなんですよー!
やっぱり、しんのすけ兄さんは頼もしい。
私のモヤモヤを言葉にしていただいてありがとうございます。

> 逆に、俺はこんなに努力してるのにダメなのは周囲のせいだとなっちゃいますね。

「自分だけ」を見ていたら、そういう方向へ行くことは充分あり得ますね。

タイトルRe^3: 自分を見つめなさい。
記事No2184
投稿日: 2013/07/27(Sat) 21:43:45
投稿者HIROMI
横から失礼します。
まったく努力しない時も周囲のせいにする傾向があるような気がする(私がそうです)。
どっちにしても「自分だけ」見てたらそういうふうになるのでしょうね。
私は、「感謝」も「反省」も足りないと、しょっちゅうキレてしまう。そんなとき、弱っちいな、自分は、と思います。
感謝・反省「ばかり」する、というのは実際は感謝も反省もしてないような気がします。
感謝・反省さえしてりゃいいんだ、みたいな。
どっちもやっぱり弱っちいな。

話は逸れますが私の身内に、自分以外家族が全員病人、という壮絶な生活をしている人がいます。
「病人の世話をするために、仏さんが丈夫な私をこの家に送り込んだんやね」と、その人は言っていました。
そう思わなきゃやってらんない、というのが本当のところだと思います。
実際自分を見つめる余裕もないみたいです。
泣いて、気をとりなおして頑張り、また泣いて、そしてまた気をとりなおす。そんな毎日。
私ならどうするでしょう。泣いてばかりかもしれません。

タイトルRe^4: 自分を見つめなさい。
記事No2186
投稿日: 2013/08/02(Fri) 12:14:22
投稿者桃青
HIROMIさん

コメントありがとうございます。

> まったく努力しない時も周囲のせいにする傾向があるような気がする(私がそうです)。

そこなんですよー。
・・・・でもね、時々、最大の「周囲のせい」て、「神のせい」じゃないかと、思うこともあるのですよ。
ほんとうに、時々、ですけど。

> どっちにしても「自分だけ」見てたらそういうふうになるのでしょうね。

そうなんですよねー。
「自分だけ」見ているうちに「神のせい」に行きつくのが、神様系の弊害としたら、「自分だけ」を見つめているうちに、自分の身体の状態とか、自分の心の状態とかにしか興味が持てなくなってしまうのが、仏様系の弊害かもしれないなー。
と、これも時々思います。ほんとうに時々ですけれど。

> 私は、「感謝」も「反省」も足りないと、しょっちゅうキレてしまう。そんなとき、弱っちいな、自分は、と思います。

キレるから、弱いとか、キレないから強い、とかでもないと思いますけど・・・。

> 感謝・反省「ばかり」する、というのは実際は感謝も反省もしてないような気がします。
> 感謝・反省さえしてりゃいいんだ、みたいな。

「感謝しなくてはいけない。」「反省しなくてはいけない。」
と、自分で自分を追い詰めることもあるでしょうが、周囲が追い詰めることもあって、どちらも悲惨な結果を招くこともありますから、注意が必要ですね。

タイトルRe^5: 自分を見つめなさい。
記事No2187
投稿日: 2013/08/02(Fri) 15:26:31
投稿者HIROMI

> 「感謝しなくてはいけない。」「反省しなくてはいけない。」
> と、自分で自分を追い詰めることもあるでしょうが、周囲が追い詰めることもあって、どちらも悲惨な結果を招くこともありますから、注意が必要ですね。

怖い!文化大革命の紅衛兵みたいですね。
恐ろしく執拗な自白・反省の強要。
責められた人は悪いことしてないのにね。
周囲は周囲で雰囲気に呑まれて、おかしいとも思わなくなる。

タイトルRe^6: 自分を見つめなさい。
記事No2188
投稿日: 2013/08/03(Sat) 11:52:06
投稿者桃青
> 怖い!文化大革命の紅衛兵みたいですね。
> 恐ろしく執拗な自白・反省の強要。
> 責められた人は悪いことしてないのにね。
> 周囲は周囲で雰囲気に呑まれて、おかしいとも思わなくなる。

話はちょっとずれますが、
「かっての日本には互いに助け合う良好なコミュニティが形成されていたのに、それが毀れてしまったのが、諸悪の根源だ。」
みたいなことを言うコメンテーターがよくおられますが、
同じ価値観ばかりのひとで構成されたコミュニティって、ちょっと間違うと息苦しいものですよ。
同じ価値観の人々が集まるということは、そこでは「同じ価値観」という大前提が何より大切にされるということですから、簡単に村八分もいじめも差別も起きる土壌となります。
差別している側は「私たちと同じでないから、いけないのだ。」という思いがありますから、差別していることに対して罪の意識はまったくありません。

コミュニティが持つ「同じ価値観」が、「(他人の命や時間、モノを)盗んではいけない。というルールを守りましょう。」どまりなら良いのですが・・・。

タイトルRe^7: 自分を見つめなさい。
記事No2190
投稿日: 2013/08/03(Sat) 13:49:07
投稿者HIROMI
すべてが明らかになっていないので、こんなこと書いていいかな〜とは思いますが、最近起きた山口県集落五人殺害放火事件も、村八分にされた男がキレて引き起こした惨劇とされていますね。
子供たちの世界でも、学校の組や部活が「ムラ」みたいになっていて、みな空気を読むのに必死で疲れはてているようです。おかしすぎると思います。
いわゆる不登校やいじめも、同じ価値観、同じ考えからはみ出た子供たちが被害に遭うのです。
相互扶助の共同体ではなく、まるでカルトみたいですね。

タイトル皆、幸せになろうよ。
記事No2189
投稿日: 2013/08/03(Sat) 12:29:15
投稿者桃青
>
> 話は逸れますが私の身内に、自分以外家族が全員病人、という壮絶な生活をしている人がいます。
> 「病人の世話をするために、仏さんが丈夫な私をこの家に送り込んだんやね」と、その人は言っていました。
> そう思わなきゃやってらんない、というのが本当のところだと思います。
> 実際自分を見つめる余裕もないみたいです。
> 泣いて、気をとりなおして頑張り、また泣いて、そしてまた気をとりなおす。そんな毎日。

ほんとにねー。世の中には、そういうかたはいらっしゃるのですよ。
私の知っているひとたちも、外へ向けては一言も「辛い」とも「私の人生なんなの?」ともおっしゃらない。
「私がやるしかない。」という思いだけで頑張っておられる。
世話される病人も辛いけれど、世話するほうも苦しいはずです。
あるかた、40そこそこで寝たきりになられた御主人を介護保険のない時代に40年近く介抱して、
「主人が亡くなったのですよ!」と、なんともいえない明るい顔をされていて、「本当にお疲れ様でしたねー。これからは楽しいことも考えていただけますね。」「そうするつもりなんですよー。」という会話を交わして、何日も経たないのに、
「主人の姉を看ることになったのですよ。うちが実家なので。」
と、言いに来られた時の暗い顔を、今でも忘れられません。
その後、諦めきったような疲れた顔で老婦人に肩を貸して歩いておられるのを見かけたことがありますがどうされたのでしょう。
ほんの僅かな日々でも、「ああ、もう誰の面倒も見なくてもよいのだ。一日全部を自由に使っても良いのだ。」と、いう日々が晩年にあったことを祈っていますが・・・。
こういう方は、今も昔も、沢山おられるのでしょうね。

介護される側の意識も変えて行ったほうが良い、と思いますけど。
「私にはイザとなったら介護してくれる子供が居るから大丈夫。(大きくして給料取れるようにしてやったのだから。)」
「私にはイザとなったら介護してくれる妻がいるから大丈夫。(長年妻を養ってきたのだから。)」
という問題ではない、と思うのですけれど・・・。

タイトルRe: 皆、幸せになろうよ。
記事No2191
投稿日: 2013/08/03(Sat) 14:08:59
投稿者HIROMI
そうです。みんなが幸せにならなきゃ意味がない。
皆、幸せになりたい!!
誰かの悲しみや苦しみを踏み台にした幸せなんて、しあわせじゃないですよね。
喜んで我慢したり、喜んでがんばれる範疇ならいいですけれど...

タイトルRe^2: 皆、幸せになろうよ。
記事No2192
投稿日: 2013/08/06(Tue) 01:20:31
投稿者桃青
> そうです。みんなが幸せにならなきゃ意味がない。

HIROMIさんも、何の惑いもなく、

「みんなで幸せになろうよ!」

と、言えるかただとずっと思ってました。

仏教、中でも大乗、中観を学べば学ぶほど「みんなで幸せになろうよ!」と、口に出して言うことに対して、ためらいがなくなって行くんですね。

「みんなで幸せになろうよ」
に対してためらいがなくなると、選民思想に類する思想がなんだかすっごくちっぽけに見えてしかたないのですよ。
「まーだそんなところでウロウロしているの?」と、じれったくなります。

> 皆、幸せになりたい!!
> 誰かの悲しみや苦しみを踏み台にした幸せなんて、しあわせじゃないですよね。

そこなんですよね。
「私だけ幸せになっていいの?」
「私だけ助かって、いいの?」

タイトル私だけ助かっていいの?
記事No2193
投稿日: 2013/08/06(Tue) 11:46:45
投稿者桃青
世の中には「私だけ助かっていいの?」「私だけ幸せになっていいの?」と思う人もいれば、そんなことを全く考えない人もいますけれど、「皆共に仏道を成ぜん」と説いた人々は、きっと「私だけ助かっていいの?」と、思うタイプの人々だったのでしょう。

私は、外からはそう見えないかもしれないけれど、「私だけ助かっていいの?」と思うタイプなので、大乗仏教や中観にどうしようもなく惹かれるのかな、と思います。

いっちゃなんですが、ノアの方舟に嬉々として乗り込んだ方々は、「私だけ助かっていいの?」などと頭から思わないタイプのかただったんじゃないかと思われてならないのですよね。
(キリスト教の方々ごめんなさい。)

アブラハムの子孫たちは、「私だけ助かる」ことを正当化する理屈をたくさん持っていますからね。

タイトル極楽往生
記事No2194
投稿日: 2013/08/09(Fri) 02:31:31
投稿者タカヤナギクニチャン
> いっちゃなんですが、ノアの方舟に嬉々として乗り込んだ方々は、「私だけ助かっていいの?」などと頭から思わないタイプのかただったんじゃないかと思われてならないのですよね。
> (キリスト教の方々ごめんなさい。)
>
 おどま凡人、凡人。あちがった、「おどまカンジン、カンジン」でしたね。所詮人は糞袋。桃青さんも糞袋。桃青さんの御堂も糞袋。この掲示板のみんなも糞袋。ガハハ、人の不幸は蜜の味(最近の桃青さんはそうなりかけていないか心配)。高齢者の方には配慮を。

タイトル糞袋ではないかも。
記事No2195
投稿日: 2013/08/09(Fri) 09:42:15
投稿者桃青
>所詮人は糞袋。桃青さんも糞袋。桃青さんの御堂も糞袋。この掲示板のみんなも糞袋。

そう言われるかたもおられますけども、糞袋ではないでしょうね。
実際には、人間の身体は一本の管のようなものです。
管の片方を口と名付け、もう片方を肛門と呼びまして、その管にいろんな器官がぶら下がっている。みたいなものです。
なので、一本の管の肛門側に糞があるという状態は、ストローの端にジュースがあるようなものなので、糞袋という喩はどうもオカシイ。

ここは、大学時代の講師が言われた
「人間、生まれて食って糞して寝るの繰り返し。合い間に時々セックスする。ただそれだけ。」
のほうが、「人間糞袋」より、はるかに現実に即した御言葉だと思われます。

>ガハハ、人の不幸は蜜の味(最近の桃青さんはそうなりかけていないか心配)。高齢者の方には配慮を。

どうなんでしょうね。
世の中「人の不幸が蜜の味」と嬉しくて仕方のないかたもおられるでしょうが、そうでないかたもおられますよ。
少なくとも人間の苦を深く御覧になって、苦を滅する法(四諦)を説かれた釈尊はそうではないし、釈尊の言葉に心から共感して、仏法を学び伝えて来た方々も、そうではないでしょうね。
今、現在、仏法、とりわけ中観の思想が伝わっているところを見ても、世の中には人の不幸を喜ぶ人ばかりではない、ということが解りますね。

>最近の桃青さんはそうなりかけていないか

私が、介護に苦しむひとの有様を書くと、私が「人の不幸は蜜の味」と思っているように見えるのでしょうか?
私は「介護は嫁や娘がしてくれて当たり前。」と思っているかたがたや、「介護は家族の問題。」あるいは「そんなもの、施設へいれたらいいじゃん!」としがちな社会の人々に、「本当にそれでいいのですか?」
と、問題提起をしているつもりなんですけれど・・・・。

タイトルRe: 糞袋ではないかも。
記事No2197
投稿日: 2013/08/09(Fri) 16:07:19
投稿者タカヤナギクニチャン
 このタカヤナギさんはなく子もだまるといわれるほどおそれられ、1.7mくらいで横幅がありヤクザてきな人だった(何でも昔にムショにいたとか?)。高倉健の唐獅子牡丹を好んでいた。
> >ガハハ、人の不幸は蜜の味。
>
> よくタカヤナギさんはそういってた。ほんとうはもっとひどくて「人の不幸はわが喜び」といっていた。
 桃青さんが「ガハハ、桃青の不幸はわが喜び」などといわれたら怒ると思う。しかし、よく考えて見ると人にはそういう傾向があることにうなづける。特に、関西のドツキ漫才をみて面白がっている観客はそうだろう。みなけりゃいいといえばそうだが、とかく人はむしゃくしゃくると人をドツいてみたくなるものかな。関西人のドツクはほんとうはもっとやさしいはずですが。わたしなんか昔は関西でヤクザにドツキまわされて・・・(苦笑)。因果応報。
 モルモン教にだまされてぎょうさん子供をもうけたが(モルモン教は否認を認めないので)、生活が苦しいと、モルモン教をカルトとののしっていたおばさんを知ってるが、貧乏でも子供の育つ姿に癒されるといっていた。それだからモルモン教をカルトいうのもおかしいが?

タイトルRe^2: 糞袋ではないかも。
記事No2198
投稿日: 2013/08/09(Fri) 20:03:57
投稿者タカヤナギさん
 しかし仏教だけの話題って面白くないね。桃青さんのお御堂の容態はどうですか?介護で苦労した政治家もいると聞きます。
 しかし桃青さんも自分のことだけでなく、親の心配をしなければならないのは大変ですね。子供のある人はこどもが自分の命より大切ですよね。もうお盆も近いですね。不幸も口に出せない不幸もあり、人生いろいろですね。

タイトルHNは固定してねー。
記事No2199
投稿日: 2013/08/10(Sat) 17:23:19
投稿者桃青
> 人生いろいろですね。

人生はいろいろですが、HNのいろいろは困ります。
同一の掲示板での多重HNは、ネットではマナー違反とされていますね。

名も無き凡人さん=タカヤナギクニチャンさん=タカヤナギさん

でしょうか?
今後も参加いただけるのでしたら、互いに気持ち良くお付き合いできますように、HNは固定してくださると有り難いです。

タイトルノアの方舟プロジェクト
記事No2196
投稿日: 2013/08/09(Fri) 10:40:07
投稿者桃青
> > いっちゃなんですが、ノアの方舟に嬉々として乗り込んだ方々は、「私だけ助かっていいの?」などと頭から思わないタイプのかただったんじゃないかと思われてならないのですよね。

本当にねー。
人間は、いつまで「ノアの方舟」の話を有り難がっているのだろう、て思います。
某M教の聖典「モ○モン書」も、そもそも冒頭が「ノアの方舟」のオマージュですし、その昔、NASAの研究者たちは、太陽に呑み込まれる地球から脱出するための宇宙船に「ノアの方舟」と名付たし。
研究に携わった当時の科学者たちは、一体誰がその宇宙船に乗ることを想定して、研究していたのでしょうね。