[リストへもどる]
一括表示
タイトル仏教とカースト
記事No2217
投稿日: 2013/08/16(Fri) 09:44:16
投稿者たかやなぎさん
 カースト制度はヒンズー教では有名です。しかし仏教も平安時代以後は僧侶階級が貴族や武家階級と助け合って、身分差別というカースト制度を作ってきました。
 これをどう思われますか?

タイトルRe: 仏教とカースト
記事No2218
投稿日: 2013/08/16(Fri) 14:35:59
投稿者桃青
>  カースト制度はヒンズー教では有名です。しかし仏教も平安時代以後は僧侶階級が貴族や武家階級と助け合って、身分差別というカースト制度を作ってきました。
>  これをどう思われますか?

最近の研究では、江戸時代の士農工商を階級制度と捉えると資料と辻褄が合わないところも、身分(職業)制度と捉えると全ての資料がぴたりと辻褄が合ってくるということで、江戸時代の士農工商は身分(職業)制度ではあっても、階級制度(士>農>工>商)ではなかったという記述に教科書も変わってきているそうです。

武士が権力の中心に座って、身分の固定化が完成した江戸時代であっても、士農工商が身分制度ではあっても階級制度では無かったというのですから、ましてや身分が流動的であった時代に厳然たる階級制度があったとは考えにくいですね。
武士という身分が固定化したのは、秀吉の刀狩り以降だとされています。
それ以前は武士も農民も商売人もその区別は曖昧ですよ。

タイトルRe^2: 仏教とカースト
記事No2220
投稿日: 2013/08/18(Sun) 20:16:50
投稿者たかやなぎさん
 日本の部落民は明治になって明らかになったらしい。士農工商の身分制度のその下に、エッタや非人というインドのシュードラに相当するようなカーストがあったそうな。
 長野県の県境には、「畜男」や「畜女」の墓があるらしい。だれがこんな墓を作ったのだろう。もちろん付近のお寺の坊さんは、墓に参りもしないし、作りもしないだろう。
 部落民の葬式は、部落民出身の僧侶が行ったらしい。仏教が貴族や武士のもんであったためか?

タイトル差別戒名の烙印
記事No2221
投稿日: 2013/08/19(Mon) 00:21:08
投稿者たかやなぎさん
 死者の戒名にまで差別があるのか、仏教にも差別があるのか?

 それは歴然とあった。否、現にある。その典型を、各宗派、各地の「差別戒名・墓石・墓誌」に見ることができる。
 差別戒名とは、一口に言えば死者の生前の社会的身分、家柄、職業などを意図的に戒名に組み入れたものである。それをしたのが、人間外の人間として、釈尊の教えを説き、人間の平等を説く、僧侶である。差別がいかに深刻なものであるかを物語る例証であるとともに、宗教(仏教)の欺瞞性を表現するものでもある。

 特に長野県では差別戒名の種類が多く、「畜」「賤」「ト」「草」「朴」「僕」「非」「革」「鞍」「似」「皮」「栴陀羅」「婢」「隷」などの文字が使われ、なかには「穢」という字の入った墓石もあり、「庭男」と書かれた戒名もあった。

 このような 差別戒(法)名を定式化し、その後の手引書の元になったのが、中世に書かれた『貞観政要格式目』で、ここには中世の被差別身分の人びとへの差別戒(法)名のつけ方について詳細に言及されている。 
 言うまでもなく、近世の幕藩体制によって全国に敷かれた寺檀制度の下でも、「畜」「奴」「僕」など、死後においても被差男別部落の人びとを侮辱し、冒涜する文字を戒(法)名につける行為が平然と、いずれの宗派においても行われていた。
 近代になり「解放令」がだされた1871(明治4)年以後にも、例えば1872(明治5)年に「浄岳栴陀羅男」、1873(明治6)年には「浮沈僕男」、1885(明治18)年の「鉄関革門」などと、差別戒名が刻まれている。特筆すべきは、「ト生非男」「ト妙革女」などと、差別文字をつらねて差別を繰り返し、強調しているものがあることである。
 
 戦後の差別戒名
 驚くべきことに差別戒名は、戦後になってもまだつけられていた。 以下はその一例である。
1945(昭和20)年−−「釋尼栴陀」(真宗大谷派)・鹿児島県
1947(昭和22)年−−「早世梅芳革門」(宗派不明)・長野県
1979(昭和54)年−−「吟丁禅定門内下男」「妙隻禅定門内下女」(曹洞宗)・埼玉県
1980(昭和55)年−−墓誌に革女などの差別戒名(曹洞宗)・長野県

  また、被差別部落の人びとだけを別にした別冊の『過去帳』も多くあった。例えば長野県のある寺院では1960年代まで続けられており、埼玉県では1980年に新たに建立された墓誌に依然として「革門・革女」の14霊に差別戒名が刻まれていたのである。

  前近代から刻まれ続けてきた差別戒(法)名は、単に過去の差別の一事例を示す証としてではなく、浄穢「穢れ観」とも関わりながら、宗教界の差別体質を根源から問いかけているのである。深刻なのは、こうした墓石や寺院の過去帳が結婚や就職などの身元調査に悪用されていた事実である。

 いやいやひどいもんだ。たかやなぎさんの祖先は秩父であって、あのへんは今でも被差別部落があり、昔は夜に歩くと生きて帰れなかったらしい。

タイトルRe: 差別戒名の烙印
記事No2222
投稿日: 2013/08/19(Mon) 14:29:26
投稿者ニャンコロキールティ
暑い中、コピペ御苦労さんです。
獅子身中の虫は何時、何処に発生してもおかしくないので気を付けないといけないなと思いました。

タイトル歴史から学ぶということ。
記事No2223
投稿日: 2013/08/20(Tue) 10:11:49
投稿者桃青
>  死者の戒名にまで差別があるのか、仏教にも差別があるのか?
>

「四姓平等」を説かれた釈尊から始まった仏教は差別の正当性を説いてはおりません。
しかし、本来どの宗教よりも「平等」を説き、差別に敏感なはずの仏教を学びながら、たかやなぎさんが御紹介いただいたようなことになってしまったのは、何故なのでしょうね。

私はね、その「何故」を考察することこそが、私たち後世の者がこうした歴史を学ぶ意味だと思うのですよ。

被害者として加害者を糾弾するのでもなく、糾弾される加害者として、「自分の知らないところで起きたことをいつまで謝罪を要求されなければならないのだ。先祖の蒙った不利益の補償をいつまで貰おうというのだ。いい加減こっちが被害者だ。」というのでもなく。
これは、今起きている過去にあった差別、被差別、侵略、被侵略、の史実全般に向き合う時、私は、いつもそう思われてならないのですがどうでしょうか?

>
>  いやいやひどいもんだ。たかやなぎさんの祖先は秩父であって、あのへんは今でも被差別部落があり、昔は夜に歩くと生きて帰れなかったらしい。

そう!これ、これですよー。
たかやなぎさんをしてこう書かせてしまう何かが、部落民の差別を連鎖的に正当化していったのではないか、と、思うのですが??

タイトルいまでも秩父には部落が
記事No2225
投稿日: 2013/08/20(Tue) 12:32:15
投稿者たかやなぎさん
> >  いやいやひどいもんだ。たかやなぎさんの祖先は秩父であって、あのへんは今でも被差別部落があり、昔は夜に歩くと生きて帰れなかったらしい。
>
> そう!これ、これですよー。
> たかやなぎさんをしてこう書かせてしまう何かが、部落民の差別を連鎖的に正当化していったのではないか、と、思うのですが??

 桃青さん、一度は高柳の祖先の地の秩父に来てください。秩父市内はまだ物騒でないですが、奥秩父に入ると部落があって用心したほうがよいようです。秩父事件を御存知ですか?付近の部落民に警察の交番が襲われたそうです。以来近辺の警察はことあるごとに「部落があるから気をつけろ」というそうですよ。いまは秩父事件のあった付近はよくなったそうです。
 さてたかやなぎさんの祖先の地は秩父のどこにあったのかな?
 狭山の事件のようにいまだに部落差別は耐えない。桃青さんもお寺にこもっていずにエタ寺にきてください。

タイトルRe: いまでも秩父には部落が
記事No2226
投稿日: 2013/08/20(Tue) 15:39:19
投稿者桃青
> 桃青さんもお寺にこもっていずにエタ寺にきてください。

たかやなぎさんのエタを差別する心がにじみ出ているように感じるのは、私の気のせいでしょうか?

タイトル桃青さんこそエタを差別する心がにじみ出ている
記事No2227
投稿日: 2013/08/20(Tue) 16:48:18
投稿者たかやなぎさん
> > 桃青さんもお寺にこもっていずにエタ寺にきてください。
>
> たかやなぎさんのエタを差別する心がにじみ出ているように感じるのは、私の気のせいでしょうか?

 どうしてたかやなぎさんがエタを差別する心なのでしょう。
 桃青さんのエタを差別する心がにじみ出ているように感じるのは、私たかやなぎの気のせいでしょうか?
 たかやなぎさんは、桃青さんに差別されたと便所でないてます。
 逆を言ううでない!

タイトルエッタがエッタを差別することはありえない
記事No2229
投稿日: 2013/08/20(Tue) 21:04:00
投稿者 たかやなぎさん
> > > 桃青さんもお寺にこもっていずにエタ寺にきてください。
> >
> > たかやなぎさんのエタを差別する心がにじみ出ているように感じるのは、私の気のせいでしょうか?
>
エッタがエッタを差別することはありえない。偏見もいい加減にして。

タイトルRe: エッタがエッタを差別することはありえない
記事No2231
投稿日: 2013/08/21(Wed) 01:04:28
投稿者桃青
> > > たかやなぎさんのエタを差別する心がにじみ出ているように感じるのは、私の気のせいでしょうか?
> >
> エッタがエッタを差別することはありえない。偏見もいい加減にして。

これは、「自分は穢多だから、穢多を差別することはあり得ない。」と言われているのでしょうか?
もし、そうなら、
私は、穢多や部落問題については知識は少ないですが、失礼ながら、たかやなぎさんはその知識が少ない私がみても事実誤認が多いように拝見いたします。
御自分に関わわることなのに変ですね。
おっしゃるように、ほんとうにたかやなぎさんは穢多と呼ばれた人々の御子孫なのでしょうか?、と疑います。

明治4年「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」という太政官布告により、法的には穢多非人という呼称も身分も無くなっていますので、かって穢多と呼ばれた先祖をもっていたとしても、現在の子孫の方々は、穢多はないわけですから、そういう方々を穢多と呼ぶことに対して、私には違和感があります。

タイトル虚偽と誤り
記事No2224
投稿日: 2013/08/20(Tue) 11:11:00
投稿者桃青
>  日本の部落民は明治になって明らかになったらしい。士農工商の身分制度のその下に、エッタや非人というインドのシュードラに相当するようなカーストがあったそうな。

よくたかやなぎさんのように、インドのシュードラを穢多と非人になぞらえるかたがいらっしゃいますが、日本にはインドのカースト制度のような社会制度としての階級制度はなかったので、穢多と非人をインドのシュードラと同じだと捉えるとその理解に誤解が生じるような気がしますけども。

穢多と非人は並べられて論じられますが、別のものです。
詳しくは検索してみてください。
「日本にもインドと同じようなカースト制度があった。シュードラもあった。」と言えるほど日本とインドの社会構造は似てはおりません。

日本の穢多と非人は、卑しい身分とされていても、中には武士、商人をもしのぐ財力を持つ者達もいたことが知られています。
前にも書きましたが、大阪の天満宮などの祭りなどで、一番大きな山車を出し、競って多額の布施をして来たのはこうした穢多と非人と呼ばれた人々でした。
差別戒名を与えられても、「今世、卑しい身分に生まれても布施をすれば来世はその功徳で違う身分に生まれる。」と説かれて、喜んで競うように多額の布施をしたのです。
卑しい身分と蔑まれても、経済的には彼らを蔑む人々よりずっと豊か、という人々も珍しくなかった。
インドでは、シュードラは例外なく貧乏が贅沢に見えるくらいに貧しいですけれどね。
ただインドでは、職業はカーストによって細かく規定されていますが、これまで無かった職業(例えばIT関連とか)は、古くからのカーストの規定を受けないので、シュードラ階級でもカーストの規定を受けない新しい職業について生活の向上を目指す人々も出てきています。

>  長野県の県境には、「畜男」や「畜女」の墓があるらしい。だれがこんな墓を作ったのだろう。もちろん付近のお寺の坊さんは、墓に参りもしないし、作りもしないだろう。

この件については調べてくださったようですが、これは誤解ですね。

>  部落民の葬式は、部落民出身の僧侶が行ったらしい。仏教が貴族や武士のもんであったためか?

これも史実とは反しますね、

タイトル桃青の人格が疑われる
記事No2228
投稿日: 2013/08/20(Tue) 17:40:41
投稿者たかやなぎさん

>
> >  長野県の県境には、「畜男」や「畜女」の墓があるらしい。だれがこんな墓を作ったのだろう。もちろん付近のお寺の坊さんは、墓に参りもしないし、作りもしないだろう。
>
> この件については調べてくださったようですが、これは誤解ですね。
>
どこがどう誤解なんですか?

> >  部落民の葬式は、部落民出身の僧侶が行ったらしい。仏教が貴族や武士のもんであったためか?
>
> これも史実とは反しますね、

 どこがどう史実と違うんですか?

 桃青だから、証拠を挙げずにいってもよいのですか?
 そういう根性ではよい介護はできません。ママは泣いてるぞ。

タイトルRe: 桃青の人格が疑われる
記事No2230
投稿日: 2013/08/21(Wed) 00:45:21
投稿者桃青
> > この件については調べてくださったようですが、これは誤解ですね。
> >
> どこがどう誤解なんですか?

御自分が御呈示(コピペ?)された資料を読んでおられないのですか?

>
> > >  部落民の葬式は、部落民出身の僧侶が行ったらしい。仏教が貴族や武士のもんであったためか?
> >
> > これも史実とは反しますね、
>
>  どこがどう史実と違うんですか?

部落研究をライフワークにしておられるかたのブログを紹介させていただきます。
http://eigaku.blog.ocn.ne.jp/jyosetu/