タイトル | : メディアリテラシーと選民思想 |
記事No | : 2219 |
投稿日 | : 2013/08/16(Fri) 15:28:05 |
投稿者 | : 桃青 |
最近よく聞くようになった言葉に、メディアリテラシーという言葉がある。 先ごろ、マスコミ関係のかたと話す機会があった。 その時もメディアリテラシーという言葉が出た。 彼がメディアリテラシーで言っていたことをごくかいつまんで言えば「何から何まで伝えると、理解できないひとや対処出来ないひとが居てかえってよくない結果となるので、決定的に悪いことは伝えないほうが良い。」 というものであった。 その時の話題は福島原発事故と報道であった。
私の周囲の人々は、原発事故発生当時からのマスコミ報道を「真相はそうではなかろう。」と、その報道内容に矛盾点を見つけて言い言いしていたが、やはりそうであったか。と思ったわね。
たまたま話す機会があった彼をもって日本のジャーナリストの全てとは思わないが、マスコミがメディアリテラシーという言葉で言っていることとは、 「(マスコミ以外の)国民はバカばかりだから、本当のことを報道するとパニック起こして大変なことになる。」 と、どこが違うのでしょう?
このような心理は、マスコミ関係者ばかりでなく「情報」を知る立場にある者に、普遍的に見られるもののようだ。
例えば、某M教会員。 某M教には、教祖の行状や教会の歴史に、あまり人聞きの良くないことが複数あり教会は公式にはそのような事実に触れないか、事実を捻じ曲げて美談に仕立てて教会員に教えている。 事実を知る教会員たちは、「(私たちは事実を知っても、信仰が揺らぐことはなかったが)他の者はとうていその事実を冷静に受けとめることができず、信仰を捨ててしまうといけないから、事実は話さないほうが良い。」と言う。 なんじゃらほい? 「私は違うけど、他の教会員はバカばっかりだから、事実を知ったらパニック起こして大変なことになる」 て、上に書いたマスコミ関係が言うところの「メディアリテラシー」と同じですね。 いや、そもそも某M教を支えている選民思想というもの自体が、「私(私の仲間)以外は、バカばっかり」という意識が生み出した思想だと言えるのかもしれない。
しかし、本来選民思想とは無縁の仏教を学ぶ仏教徒にも「私以外はバカばっかり」という意識が現われるのを見ることがある。 例えば、 「この教えは難信難解で、私ですらやっと理解できたくらいだから、 他の者は到底理解できまい。伝えるとかえってよくない結果になる。」 と、教えを説かない。 あるいは、バカでも理解しやすいように、という親切心からキリスト教風味やオカルト風味など余計な風味をつけたりする。
「私以外はバカばっかり。」 という心は、仏教で言うところの「慢」なのだろう。 (うーむ。と、いうことは、選民思想宗教は人間の慢が生み出した宗教なのか。)
私は、そのように「下手に知るとパニックを起こして大変なことになる。」「難信難解で、到底理解はできない。」と、言うひとが居る場合、心の中で、「あなたが理解できたのですから、他の人が理解できないということはない。」「あなたが事実を知っても、パニックにならなかったのですから、知ったら誰でもパニックになるということでもないでしょう。」と、思う。
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