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タイトル母が求めていたもの
記事No2263
投稿日: 2013/09/20(Fri) 19:07:01
投稿者桃青
師匠のところへ「行ってみよう。」と云いだしたのは母だった。
母は仏教に何を求めていたのだろう。

母の一番求めていたのは、父親(私の祖父)の供養だったのではないだろうか。
母はそれこそ思う存分供養できて満足していたと思う。
父親の供養につながると納得できれば、様々な布施を心から喜んでしていた。
母にとっては、寺とは亡くなった者の供養を納得のいくかたちでさせてくれるところだった。
納得行かない僧侶が居る寺では父親の供養はしたくない。
師匠の生き方考え方が僧侶として納得が行くものであったので、母は熱心に師匠の寺へ通っていたのだ。

思う存分供養したお陰か、母は夢を見た。
「家の仏壇の前で父親が親上人様と若上人様に御抹茶をたてている夢を見た!
父親が成仏したってことだよね?」
と、嬉しそうに誰かれに話していた。

師匠の寺へ通いはじめのころ、母は夢を見た。
「父親が魚を食べている夢をみた。」
これを法の友に話したところ
「魚は煩悩の象徴だから、御父さん成仏できずに苦しんでおられるね。」
と、その友から言われたらしい。

それが深く心に突き刺さったのでしょう。
その夢があっての、供養であり布施でした。

何年も何十年も布施を続けた果てに見た「父親が仏壇の前で抹茶を・・・」という夢です。
どんなにか嬉しかったかと思います。
この話を母は繰り返し御上人がたにも、周囲の方々にも話し、特に御僧侶の方々には、加えて
「私は、この年になって初めて此の世の他に別の世界があることがわかりました。」
とも何度も言っていた。
おそらく、一般にかたには理解されなくても御僧侶には解っていただけると思ったのだろう。
真宗の寺が親戚にあり、真宗の熱心な門徒であった両親の元で育った母には、仏教とはあの世の世界があることを前提に説かれている宗教だとしか思えないかったのでしょう。
そして、たぶん、そんなのウソだとも思っていたのだと思います。
「死んだひとが帰って来て話すのなら、あの世の世界も納得できるけどね。」
と、よく言っていました。

それが「あの世がある。」と実感できたのですから、おそらく
御上人がたからは「よく解りましたね。」と、褒めてももらいたかったのではないかと思います。
そかし御上人がたは皆さん、とまどったような曖昧な笑みを浮かべられるだけで
「それは良かった!あなたの供養のお陰ですね。」
と、言ってくださるかたはおられませんでした。

そりゃそうだ。日蓮宗が呈示している死生観とは違うからねー。
母は物足りなかったのではないかと思うのですよ。

無垢な気持ちで抹茶の夢を話していた母の嬉しそうな顔を思い浮かべる時、母がすこし可哀そうになり、物悲しい気持ちになります。