タイトル | : Re^2: 仏にまかせる。ということ。 |
記事No | : 2282 |
投稿日 | : 2013/10/08(Tue) 11:01:35 |
投稿者 | : 桃青 |
しんのすけさん
コメントありがとうございます。
> これは良く使われる言葉ですが、努力否定ではなくて人事を尽くして天命を待つとか、 > 天は自ら助ける者を助けるみたいな感じ?自分で決められない事で悩まず仏にお任せということかな?
これは、心理学カウンセリングの手法では「棚上げ」と名付けられている方法ですね。 クライアントが解決の方法がすぐには見つからない問題を解決しようとして混乱している場合、ひとまずその問題を棚上げさせると良い。 ね、心理学って身も蓋もないでしょう?(笑)
あと、カウンセリングの手法としては、初めて来たクライアントには、まず 「これまで、さぞ辛い思いをされたでしょう。」 と、言う。 というのもあります。
多くのキリスト教会が表に掲げている「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」という聖句は、カウンセラーがクライアントに最初に告げる言葉として指導される「これまでさぞ辛い思いをされたでしょう。」と、主意は同じか似ているのではないかと思われます。 こう言ったからといって、聖句やカウンセリングの手法が悪いと言っているのではありません。 悩み苦しむ人間というものは、そのように言われるとほっとする。 そのように言われてほっとするのが人間なのです。 ただし、世間にはそのように言われてほっとして、相手を信じたのが地獄への入り口だったということもないわけでもないですが、取りあえずはほっとして、ほっとした途端に相手をふと信じてしまう。
仏教でも、寺へ悩みを抱えて来たひとにまず入口でかけるこのような言葉があれば、なあ。と思います。
「棚上げ」に戻ります。
混乱している原因となっている問題を棚上げするには、罪悪感とか、敗北感とか、プライドとか、いろんな感情が渦巻いて、棚上げなどなかなかできないものです。
棚上げするには棚上げすることは正しいのだ。とする根拠が必要です。 カウンセリングでカウンセラーに依存しているかたなら、 「先生が言われているのだから、そうしよう。」 となるのでしょうが・・・。
神や仏を信仰しているひとには、神や仏を持ちだして「おまかせしなさい。」と、説けば、棚上げもしやすくなるのでしょう。
私も法の話を聞くきっかけとなった問題が10年たっても、どうにも解決しなかった時、師匠から 「桃青さん、もうこうなったら、仏様におまかせするしかないわな。」 と、言われました。
「そんなー。何か解決法があるはずだ!日蓮聖人も人間の問題が人間に解決できないはずはない。て、言われたって、師匠が言われたじゃないですかー?!」
と、不満でしたが、反面、どこか「そうか、もうこの問題が解決しないからといって苦しまなくてもいいのだ。」 と、ほっとした部分もありました。
その後、仏教の知識も増え理解も進んだ今現在、振り返ってみて、あの時点で問題を棚上げしたことが良かったのか、悪かったのか、私には解りません。 こういう時、キリスト教のかたなら、「全ては神の御業です。」と思われるのでしょうか。 私は、仏教の教えをあのころよりは解った今、同じ問題に直面したら、あのころとはまた違う思いをもって行動できるのだけれど・・・。 と、少しだけ残念です。 しかし、法華経の教えによって 「全ては<私>なのだ。<私>が<私>であるかぎり、私が体験したような問題はどこにでも起きるだろうし、問題が起きるということはその解決法(常光土の世界)も必ずあるだろう。 <私>は、いつか解決するのだ、たとえ今世で解決できなくても、いつか。」 と、思うのですね。
棚上げって、取りあえず、棚の上に置いているだけですから、問題が解決した、というのとは違うのですよね。 問題を棚上げして、ほっとしている皆さま。そこんとこお間違えの無いように。。
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