タイトル | : 仏教(他の宗教も)に求めるもの |
記事No | : 2293 |
投稿日 | : 2013/11/02(Sat) 18:25:26 |
投稿者 | : 修業者 |
この歳になると、同年代の方の訃報や告別式が多くなり、今まであまり考えなかった「死」について真剣に考える機会が増えました。
仏教(他の宗教も)は、必ず死ぬ人間の生とは何なのかを知ることを目的としているのだと言われています。人間には死に対する不安があり、この不安から解放されたいが為に求めるのが仏教ではないでしょうか。
私たちの人生には様々な楽しいことや幸福があると同時に悩みと苦しみがあります。しかし、どんな幸福や苦悩を抱えていても、突然死に直面すると、それまで抱えていた幸福や苦悩も死の前には泡のように無くなってしまいます。 戦国時代に天下を取り、栄華を極めた豊臣秀吉の辞世の句が「「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」でしたから...。
死への不安は科学や哲学では解消されないと思います。私たちはなぜ生れて来たのかも分からないし、死んだらどうなるのかも分かりません。それを教えてくれる人は誰一人居ないのです。 お釈迦様ですら、人間が死んだ後のことを「無記」と申されて、誰にも解からないことや証明出来ないことは論じても仕方が無いとおっしゃっていたそうです。
金儲けに徹したカルト教団の教祖様や自称霊能者が死後の世界を得意げに語っていますが、まったくの出鱈目です。
学問は日進月歩進歩していきますが、この生と死に関する事は永遠に未解決事項なのです。 そうしますと、「生と死に関する答え」は人間の能力を超えたもので、人間の知識ではとて解決出来るものではないし、人間の言葉で教えたり教えられたりするものでも無いのです。 だから、仏教にその解を求めたくなるのが、人間の本性なのでしょう。
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