[リストへもどる]
一括表示
タイトル家族教
記事No2310
投稿日: 2013/11/30(Sat) 11:15:29
投稿者桃青
家族教という言葉があるようだ。

某M教では長く「教会を第一番にしなさい。」という指導であったが、最近「家族を第一にしなさい。」その後、友人知人(意味するところは教会員)などつづいて4番目が仕事、5番目(最後)が教会という指導に変わったとか。
以前から、うすうす某M教は選民思想に彩られた家族教ではないかとは思っていたが、此処に至って、家族教であることを教会自らが宣言したことは興味深い。
某M教は会員数の版図拡大のために時々の世の動きに合わせて、教義を変えてきた過去があるが、このたびの方針の転換も世の中に家族主義的なひとや主張が目立つようになってきたからであろうか。

家族が第一で、仕事と教会のことは最後にしなさいって、ね。
仕事も教会も言わば社会ですよね。
社会がどうでも自分の家族だけ幸せならそれでいいって。
それでいいのか?
これまでの某M教会の「教会をシオン(理想社会)にしましょう。シオンを世界中に広めましょう。」
というスローガンもエゴ、自己愛の範疇だろうけれど、家族のことだけ考えていればいいのだ。ってエゴそのものだよねー。
某M教は共和党のスポンサーで大統領候補も出しているけれど、共和党がオバマ民主党の医療保険制度案に猛反対していることは知られていますが、自分の家族は自分で守れが意味することは、そういうことでもあるんだよね。

自分さえ良ければ、というのはエゴで悪魔だと、お釈迦様は御覧になった。(by 電脳和尚)


別のところで
「法華を知るものは世法を得べきか」
の世法を「世法とは一念三千です。」と、解釈させるのは、「宗教は政治に関わるべきではない。」という思いがあるからだろうか、と書きましたが、医療保険制度ひとつとっても、某M教的思想から生まれるものと、仏教的思想から生まれるものでは、全く違うわけですよー。
資本主義を取る日本で、社会制度だけは共産主義的でそれで上手く行ってるのは珍しいと評されて来たのも、日本人には長く仏教的思想に馴染んで来た歴史があったからではないでしょうか。

タイトルRe: 家族教
記事No2311
投稿日: 2013/12/02(Mon) 21:36:02
投稿者元モルモン
> 家族教という言葉があるようだ。
>
> 某M教では長く「教会を第一番にしなさい。」という指導であったが、最近「家族を第一にしなさい。」その後、友人知人(意味するところは教会員)などつづいて4番目が仕事、5番目(最後)が教会という指導に変わったとか。
> 以前から、うすうす某M教は選民思想に彩られた家族教ではないかとは思っていたが、此処に至って、家族教であることを教会自らが宣言したことは興味深い。
> 某M教は会員数の版図拡大のために時々の世の動きに合わせて、教義を変えてきた過去があるが、このたびの方針の転換も世の中に家族主義的なひとや主張が目立つようになってきたからであろうか。
>
> 家族が第一で、仕事と教会のことは最後にしなさいって、ね。
> 仕事も教会も言わば社会ですよね。
> 社会がどうでも自分の家族だけ幸せならそれでいいって。
> それでいいのか?
> これまでの某M教会の「教会をシオン(理想社会)にしましょう。シオンを世界中に広めましょう。」
> というスローガンもエゴ、自己愛の範疇だろうけれど、家族のことだけ考えていればいいのだ。ってエゴそのものだよねー。
> 某M教は共和党のスポンサーで大統領候補も出しているけれど、共和党がオバマ民主党の医療保険制度案に猛反対していることは知られていますが、自分の家族は自分で守れが意味することは、そういうことでもあるんだよね。
>
 元モルモンのものです。家族愛です。立派です。
 あー、わたしはイエスがわからない。

タイトルRe^2: 家族教
記事No2312
投稿日: 2013/12/03(Tue) 00:22:08
投稿者桃青
元モルモンさん ようこそ。

>  元モルモンのものです。家族愛です。立派です。

家族愛を否定するものではありません。
しかし愛は家族愛だけということでもないです。
世の中には、もっと多様な愛の姿がありますからね。
そして、某M教のかたに「キリストの愛とはなんですか?」と、尋ねて答えが返って来たためしがありません。
やれ、「教会員になってみれば解る。」とか、「部外者にには教えられません。」とか、「キリスト教ではありませんので、キリストの愛を知りたければ、キリスト教会員におたずねください。」
とか、ね。
なんなんだ?!と、思っていたら、結局、モルモンで教えている愛は家族愛だけだった。というオチ?!

世の中の幸不幸の原因の全てを家族関係の中に求めようとするのは、現実に即しているとは言えません。
解りやすい例をあげましょう。
自閉症は今では、脳の器質的な病気だということが証明され、社会的にも認知されていますが、ほんの十数年まえまでは、乳児期に母親からしっかりと抱きしめられて、目を見ながら話しかけられることが不十分だったことが原因だという説明が社会的認知を得ていました。
どれだけ多くの母親が自分を責め、周囲からも責められて涙を流したことでしょう。
自閉症は病気ですから、病気だということが証明されてしまえば、家族愛に原因を求めることは瞬時になくなりますが、世の中の不幸、問題の原因は、病気の原因のように解りやすいことばかりではありません。
某M教のように家族愛ばかり強調すると、どこかで、家族愛で責められて本来なら泣かなくてもよいひとが陰で一人で泣いているだろうな、と胸が塞がる思いがするのですよ。

こういう思いは、某M教のような「家族教」のかたには、絶対に理解してもらえない思いではありますが・・・。

現実から乖離した「家族愛」という神話を現実にみていると、解決すべき問題も見えなくなったり、問題解決の方法を誤りますから危険です。

>  あー、わたしはイエスがわからない。

そうですね。
キリスト教では信じるイエスの姿はひとの数だけあるとも言われますね。

元モルモンさんは、イエスに未だ会いまみえておられないのでしょうか?
某M教では殆どのかたが実際にイエスや神様に会いまみえたことがあると言われますが・・・。

タイトルRe: 家族教
記事No2313
投稿日: 2013/12/03(Tue) 00:39:25
投稿者桃青
家族教も選民思想も某M教ばかりに現れるのではない。

日蓮系でも「我々は如来使」「法華経のみ」を強調しているうちに、なんだか選民思想的になって行くことがある。
浄土真宗も、そう。禅宗もそう。
どこへいっても、「我々だけが」と強調し、うっとりとしている人々が必ずいる。
必死にわが家だけの繁盛を祈るひとがいる。

仏教、中観の教えは選民思想や家族教を離れて清々しく温かいのに、まったくそれが説かれなければ、無いと同じではないか。
毎日毎日、○○家の繁盛の話ばかり、聞かされていると、息がつまって来るのです。
師匠がお元気のころは、もうすこし清々しい話を集まるひともしていたような気がするのだけれど・・・。