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タイトル日蓮聖人と即身成仏
記事No2332
投稿日: 2014/05/06(Tue) 12:10:00
投稿者桃青
目連尊者のお母さんが地獄へ落ちたこと、私の母が認知症になったことを「逆縁」(目連尊者を仏にするため、私に法華経の修行をさせるために地獄へ落ちた、認知症になった)で、説明することは、やめになったようです。
(私があまりに、反発するので、私の前だけ?)
ほっとする間もなく、最近は「即身成仏」「日蓮聖人も即身成仏と、つまりこの身のままに成仏すると言われています。」と二言目には言われる。
話を聞いていると、「我が身のうちにほとけがある。」ような?
何事かをすれば、「我が身のうちにほとけを作ることができる。」ような?
そして「我が身のうちに、ほとけを作ることができるのは、法華経だけ、御題目だけ」のような?
そんなオチになる。
私の聴き方がおかしいのでしょうか?
これをわざわざ「日蓮聖人の即身成仏観」という根拠が、

一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ
法華初心成仏抄 P557

妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや、釈には挙因勧信と挙因は即ち本果なり、今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり豈今者已満足に非ずや
御義口伝 P720


抑此の経釈の心は仏になる道は豈境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり、而るに境の淵ほとりなく・ふかき時は智慧の水ながるる事つつがなし、此の境智合しぬれば即身成仏するなり
曾谷殿御返事 P1055

このあたりだとしたら、ちょっと、問題なのじゃないのかなー。

講義を聞きながら、曹洞宗のかたと「?大丈夫?」と、顔を見合わせる。