タイトル | : 自分の言葉 |
記事No | : 2334 |
投稿日 | : 2014/05/19(Mon) 10:59:00 |
投稿者 | : 桃青 |
一楽真氏が書かれた法座への思いを読んで、私は、私の日頃の思いを「あなたの思っていることは、こういうことでしょう。」と、言葉にしてもらったような気がした。 ひとは、このようにして他の者が語った言葉を自分の言葉として行くこともあるのだろう。
「自分の言葉で考え、自分の言葉で言え。」 と、よく言われ、宗教の信仰者は、「自分の頭で考えていない。」と、批判されるが、皆が「私は自分の言葉で考えている。」と、言うその<自分の>というそれは、どこからが自分の言葉なのだろう、と思う。
しかし、言葉は難しい。 以前、禅宗の寺で瞑想した体験をある牧師様が書かれておられたが 「瞑想し、あるがままを観て、私は神は確かに実在するという確信を得ました。」 世の中の森羅万象をあるがままを観て、仏教徒は般若の智慧を得、キリスト教徒は神の実在を確信する。
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