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タイトルサイコパス
記事No2336
投稿日: 2014/05/24(Sat) 10:30:56
投稿者桃青
サイコパスの様相はさまざまに記述されている。
他者への共感性の無さもそのひとつとしてあげられているが、私は、この「共感性の無さ」こそが、サイコパスを理解するキーポイントなのでないかと思う。
何故なら、他の様々に語られるサイコパスの特徴は共感性の無さから生じるとすると辻褄が合うからです。

チンパンジーと同じ攻撃性のDNAを持つ人間を人間たらしめているもの、それは「共感性」なのではないだろうか。

作者の仏教的(禅の?)世界観で描かれる『浮遊雲』の中に、雲と息子の新之助が交わすこんな問答があった。

「何故人を殺してはいけないのか。」と問う息子に雲はこう答える。
「かわいそうだからです。」
「え!たったそれだけ?」
「そう、たったそれだけです。それが分からないのなら、人間ではありません。」

(もっときちんとした論理的な説明があるかと期待した?)息子新之助は、「ふーん」と、訳が分からない様子。
私も当時は、「ふーん」でした。
でも、今は、この問答は、人間の「共感性」を言っているのだな、と解ります。
共感性と名付けられるそれは、攻撃性と名付けられるそれのようにDNAであり、脳領域での出来事ということなのだろう。

サイコパスは「良心が無い。」と言われることが多いですが、それは少々違っていて、本当は「共感性が無い。」なのではないかと思います。

最近、イギリスの心理学者がサイコパスが多い職業を発表して、それは上位から
社長、弁護士、テレビ・ラジオマン、販売員、外科医、新聞記者、警察官、聖職者、シェフ、公務員となっているそうですが、良心の無さで語るより、共感性の無さで語ったほうが、より実態に即した論議になるのではないでしょうか。
共感性が無いのか、乏しいのか、持てる共感性を封印したのか・・・。

タイトル共感性がない。
記事No2337
投稿日: 2014/05/24(Sat) 11:58:40
投稿者桃青
攻撃性がDNAに帰せられるのなら、共感性もまたDNAに帰せられるものなのだろう。

なので、サイコパスを論ずるとき、どうしても、道徳的にサイコパスを裁きがちになるが、DNAを道徳で裁いてもどうしようもない。

タイトルRe: サイコパス
記事No2338
投稿日: 2014/05/24(Sat) 22:15:07
投稿者HIROMI

> チンパンジーと同じ攻撃性のDNAを持つ人間を人間たらしめているもの、それは「共感性」なのではないだろうか
> サイコパスは「良心が無い。」と言われることが多いですが、それは少々違っていて、本当は「共感性が無い。」なのではないかと思います。
>

もやもやしていたものがスッキリしました。
確かに辻褄が合います!
ありがとうございます。

共感性のなさは、DNAで語られるもの…。
そうならば、やはり、殺人やいじめ事件が起こるたびに子供たちに「命の大切さ」を説く先生や大人はトンチンカンなことをやってるのかもなーと思いました。
出産ビデオ見せたり、教育現場ではいろんなことやってるけど、ただキモイ、と思って見てる子もいるんだろな。
想像を絶する残虐で冷酷な事件が起こるたび、共感性のない脳の持ち主が犯人なのか…と思うと、絶望的な気分になります。
被害に遭わないためにはサイコパスを見分け、逃げる術を覚えたほうがいいかもしれませんね。

タイトル佐世保女子高生の事件
記事No2348
投稿日: 2014/09/01(Mon) 17:32:58
投稿者桃青
新潮45、9月号で、脳科学者がこの事件を「承認欲求型殺人」と名付けていた。
この殺人は、少女の異様に強い承認欲求が動機となっていると見ると、合理的に説明できると分析している。
脳科学者が行った事件の合理的な説明は興味深かったのですが、
それとは別にこの少女のパーソナリティの分析に興味をひかれました。

「過剰な承認欲求と自己顕示的な自己愛を持ち、他者に対して自分が多大な影響力を及ぼせることを見せつけたり確認したりしたいという欲求の異常な強さが特徴のパーソナリティ障害の可能性がある。」
と、いくつかのパーソナリティ障害の名をあげておられるが、私は少女がどのパーソナリティ障害に分類されるかには、それほど興味はない。
何故なら、強い承認欲求、自己顕示的な自己愛、他者への支配欲、
というものは、強いといわれるリーダーや、社会的成功者にしばしば揃って見られるものだからです。
いや、おそらくそのようなものが無ければ、突出した成功者やリーダーにはなれない。
では、過剰な承認欲求をもつものが、社会的成功者になるか、犯罪者になるかを分けるものは何なのだろう。
それはその者がもつ「反社会性」と呼ばれるものらしい。

脳科学者は、「実はこうした人格は環境によって出来あがるのではなく、生得的な気質である。」と、書いている。

困ったものですね。環境を整えても人格障害的なひとは生まれてくるもののようです。
では、そういう人をどう見分け、どのように対処していったらよいのでしょう。
著者は「話の中に頻出する作り話と小さな矛盾の数々、明らかな社会的通念を逸脱した発言と行為が繰り返された場合、軽く受け流さず慎重な行動をとることだ。
一定の距離を置いて恨みを買わず、逆に舐められないようにもする、というのが最も適切な対応となる。」
と、書いているが難しい。
対応に自信の無いものは、迂闊に近寄らないのが一番、ということであろうが、皆が遠巻きにして眺めていたり、仲間に入れなければ、それでは生得の強すぎる「承認されたい。」という欲求は満たされず、やはり、とんでもない反社会的な行動を誘引しそうだし・・・。