タイトル | : お盆のお話。今年の目連尊者。 |
記事No | : 2344 |
投稿日 | : 2014/07/28(Mon) 10:09:20 |
投稿者 | : 桃青 |
先日の法座は、お盆ということで目連尊者のお母さんのお話がありました。 昨年は、「逆縁」とやらで、「目連尊者を悟らせるために、わざわざ餓鬼道に落ちたお母さん。」という話がされて、びっくりしたが、今年は、まともな伝統的な目連尊者の母のお話をされたので、ほっとした。 「母親だけを救おうとしたので、救えなかった。」と、話されたので、心の中で「そこだよ!そこ、肝だからね!もっとしっかり、強調してね!」 と、念を送ったのですが、私の神通力がまったく及ばず、ひとことさらりと言って通り過ぎ、「云々、供養とは日蓮聖人は、御題目を唱えて送ることだと言われています。」と、結局御題目の効能の強調につなげるだけで終わってしまったのは、残念なことだった。
法座が終わっての雑談も、最近は葬式もおざなりだが盆供養もおざなりだということに終始して・・・。 あるいは、法座の中の仏教好きのかたも 「盂蘭盆経は中国で出来た偽経。道教思想。」と、蘊蓄。 日蓮聖人もその弟子(つまりは眼の前の講師も)盂蘭盆経が道教思想で書かれて本来の仏教ではないことを知らないのだろう。と言わんばかり。 ですからね、それういう勘ぐりを破するためにも、 「お母さんだけを救おうとしても、救われ無かったのですよ。そして、それに気付かせてくれるのがお釈迦様が説かれた仏法なのですよ。」 というのが盂蘭盆経の胆であって、道教にはそのような思想はありません。 盂蘭盆経はね、道教の孝の思想から入って、仏教の胆を説いているのですよ。 と、言わなくちゃいけないんですよー。 と、口出ししたかったのですが、講師は雑談でも立て板に水のごとく、盆供養の作法のお話を続けられ、まったく口をはさめませんでした。
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