タイトル | : 悪人成仏 |
記事No | : 2357 |
投稿日 | : 2015/01/20(Tue) 11:45:00 |
投稿者 | : 桃青 |
心が貧しく寒くてどうにもならないとき、 私は「ああ。誰かもまたこんな思いをしたのだろう。」と、どこかにいたであろう誰かを思う。 そんな思いを「私に似たひと。」と、言う言葉でこの十年ほど機会があれば、訴えたり、書いたりしてきたが、私の訴えに共感するひとには、とうとう出会えなかった。
どういう時に私の心が貧しくて寒くてどうにもならなかったか、その具体的な時は、そんなわけでまだ誰にも告げたことが無い。 私の心の貧しさ寒さをもたらしているものを具体的に告げれば、どういう言葉が返ってくるか、周囲で私と似た心の貧しさ心の寒さを訴えたひとに周囲がどういういう言葉を告げるか、見てきたからである。
心が貧しくて寒くて、どうにもならない時。 仏はこの私の心の寒さ、貧しさを我がものとしてよくご存じなのだろうと思う。 そして我が心の貧しさ寒さをそうではない何か豊かなものに、何か豊かなものを生み出すものに、変えるすべを御存じなのだろうと思う。 仏ではない私は、ただ我が心の貧しさ寒さに震えるしかすべはないけれど、そんな私もいつかは成仏する。。。そしていつかはこの心の貧しさを豊かなものを生み出すものに変えることができるのだろう。と。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」 この言葉を様々なひとが様々に解説するが・・・。
仏は悪を知って悪をなさない。という。 仏は大悪を我がものとされているという。 ならば、大悪人こそ、仏の智慧をいただけば、小善小悪しか知らないものより大悪を何かおおきく豊かなものにするすべを知ることになるのだろう。 私は、私が到底為しえない、考え付かないような残虐非道なことを為すひとを見ると、大悪を知る仏の素質はあるのかもしれないな。 このひとが仏に成ったらどんな仏になるのだろう。 そして、その大悪からどのような大善を示してくださるのだろう。 どうか早く仏の智慧をいただいて成仏してください。と願う。
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