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タイトルこんな寂しい停車場を
記事No2358
投稿日: 2015/01/20(Tue) 11:58:19
投稿者桃青
宮沢賢治『青森挽歌』より

「あいつはこんなさびしい停車場を

たったひとりで通っていったらうか

どこへ行くともわからないその方向を

どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを

たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか」

最近、「ああ。母もこんな寂しいところに一人ぼっちでいたのではなかったのか。」
と、はじめてその年代、その年代の母の寂しさと孤独が解ったような気がしている。

タイトルRe: こんな寂しい停車場を
記事No2359
投稿日: 2015/01/20(Tue) 18:44:14
投稿者桃青
日蓮聖人の御手紙のどこにあったのだろう。

御弟子の娘のなくなったのを悼んで送られたお手紙に
「幼くて法華経の教えをよく理解しているとはいえなかったが、その心からの信ゆえにきっと成仏したであろう。」
というようなことがあったが・・・。

母の寂しさと孤独を思うと、ようよう母なりに得たであろう境地を信頼するお上人がたから、どんなにか認めてもらいたかったであろうに。
と、母が可哀想でたまらない。
あんなに嬉しそうに「分りました。」とお上人がたに言っていたのに・・・。
日蓮聖人の「あの姫は実際のところ仏の教えのなんたるかはよくわかってなかったけれど、その仏への信は間違ってないものだったね。」と言われる優しさ暖かさは日蓮聖人ならではの稀有なものなのだろう。
そしてこの御手紙の言葉、単に子供に先立たれて悲しむ親を慰めるために適当なことを言っているのではなく、成仏に至る「ほんのわずかな信」が重要なのだ、とされた日蓮聖人の成仏への道の教えを離れるものではないところが素晴らしい。