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タイトル大統領選挙
記事No1372
投稿日: 2012/01/13(Fri) 11:20:05
投稿者桃青
亜米利加大統領候補に某M教会員の某氏が健闘しているということで、TVのニュース解説番組でも某M教が取り上げられるようになってきた。
10年ほど、ネットで某M教と関わってきて、次第次第に、自分(という個人)を正しい側に置くようにとだけしか説かない某M教の教えに反発をいだくようになってしまった私は、某M教が公共メディアでどのように紹介されるか、興味をもって見ている。
昨日の池上某の番組の某M教の紹介は、ごく短いものであったが、要点をよくとらえ、あからさまな批判とならないように、さりげなく問題点を示すものであった。
某M教について全く何も知らず、ぼーっと見ていたら気付かないかもしれないが、池上氏は某M教をよく知って、批判的とまでは言えないのかもしれないが、少なくとも国会で某M教の宣教師を持ちあげた菅氏とは違う視点を持っておられるように思われる。

タイトルRe: 大統領選挙
記事No1373
投稿日: 2012/01/13(Fri) 19:01:34
投稿者桃青
候補者某氏はその経歴と投資会社の経営で大成功を収めたという実績から、経済危機にあるかの国ではその手腕に期待する人々が多いという。
どうだろう?
投資家としての才能は、投資家にとって都合のよい方法で、国の経済を牽引して行くのかもしれないが、投資家が潤うことが必ずしも国民が潤うことにはならないのではないか。
身近な例を言えば、震災前にはリーマンショックを受けた日本の経済が回復したとか言われたものだが、それは投資、金融取引によるところが大であった。
日本はいつの間にか、技術で儲ける国、生産で儲ける国ではなく、金融取引で儲ける国になっていたのだ。
国全体にはどうやらカネはあるのらしいけれど、国民には何やらビンボー感が漂う今日このごろ。
本国ばかりでなく日本の某M教会員達も大統領選を通じて日本のマスコミに某M教が取り上げられる機会が増えて教会の知名度があがること、すなわち大統領を出した教会の教会員として自分への評価も高まることや、自分たちの仲間が亜米利加の経済を立て直す姿を期待する声が多い。
しかし、亜米利加の経済が回復することが日本の自分達の暮らしにどれほどの影響をもたらすというのだろう。
自分達と同じ教会に属する者が大統領になるというだけで嬉しくて、対日対中を含めた対アジア政策の行方のほうは気にならないのだろうか?
また某教会員は教会は某氏へ資金は提供していないと言うが、そんなことはまず考えられない。
亜米利加は、どれほど多大な労力資力を投じても、ほんの僅かでも利益が出でれば良しとする国民性だ。だから怖いのだ。と、当の教会員がその怖さを自慢げに言っていたではないか。
自教会の教会員が大統領になれば、陰に陽に利益は多大なものであろう。
教会がそんなビッグチャンスに投資しないわけがない。
また多大な労力資力を投じても僅かな利益があれば良し。
というのは商売人の感覚か、ギャンブルで遊ぶ者の感覚に近い。

タイトルRe: 大統領選挙
記事No1377
投稿日: 2012/01/18(Wed) 09:09:49
投稿者桃青
池上某が番組で某M教を取り上げたことを某教会員の学者さんが、
ブログで取り上げていた。
が、池上某が番組で語ったことをそのまま記事にしているようで、
微妙に違うところがある。
例えば、ブログの記事には、
「そもそもモルモンとは、かつてアメリカにいた預言者で、神様の言葉を聞いたモルモンという人が神様の言葉を記録しておいて、それを、ジョセフ・スミス・ジュニアが掘り出して宗教を広めたということです。」
と、あるが番組では池上氏は
「・・・と、いうことになっています。」「と、いうことになっているんです。」
と、ニヤリとし、並んだ芸能人たちは、「えー」と笑っていた。
つまり、「某M教の始まりは、ありがちな嘘臭い宗教話」とそれとなく伝えるのが本意であったのではないかと、思われるのだが・・・。

そして、ブログには
「モルモン教徒は、アメリカで1.7%。すごく少ないのですが、資金力があるのです。モルモン教徒は、自らの収入の1割を寄付しなければならないのです。教会としてはかなり大きなお金ができて、そのお金を運用して、アメリカ経済で大きな影響力を持つようになってきているのです。全体の資産価値は推定250億ドル〜300億ドル(日本円にして約2兆円)と言われています。」
と、挙げられているこの部分には、番組では前振りがあった。
芸能人の一人が「某M教の人数は少ないのに、何故候補者になれるの?」
という質問に対する答えが、これ、である。
経済界をバックに発言力を持つカネ持ちの候補者であって、民主主義、直接選挙、の大統領候補者といえども、多数者の利益の代表が候補者になるのではないことを示したかったのではないか、
「何も知らないひと」の役割を振られて、坐っている芸能人にどういう質問をさせるか、は、台本で決められているのであるから。

タイトル池上彰さんの真意
記事No1390
投稿日: 2012/02/14(Tue) 18:17:44
投稿者桃青
TV番組では、あからさまな批判とならないような構成になっていましたが、ブログでは、池上彰さんはこのように書いておられる。

http://www.newsweekjapan.jp/column/ikegami/2012/02/post-455.php

するとやはり、番組から某M教への皮肉を感じ取った私の見方は、間違っていなかったということになりますね。
番組放映後、テレビのゴールデンタイムで取り上げられたことを喜ぶ某M教の人々を見て、私の番組の見方のほうが間違っていたのか?
と、少々不安になって来ていたのですが・・・。

番組の皮肉が通じないのか、皮肉は通じていても、大手メディアに取り上げられたということを利用しようといういつもながらの「利用できるものはなんでも」という日本の教会員の姿勢は、池上彰さんがブログで報告している「利益にならないことはしない。」という、大統領候補氏の姿勢とどこか似通っている。

タイトルRe: 池上彰さんの真意
記事No1391
投稿日: 2012/02/15(Wed) 09:29:04
投稿者桃青
某M教の内部批判者なら、池上彰氏がブログに載せた某M教徒大統領候補者氏に見られる「自分の利益にならないことはしない。」という部分をいとわしく思う者の気持ちが理解できるのだろうか。
どうもそうでもなさそうです。
某M教の内部批判者の批判は、某M教という組織の発展のために問題となる部分を指摘、改善を要求するに留まっている。
彼らの熱情も問題意識も、ひたすら組織の存続という命題に傾けられているようだ。
例えば献金問題も、人間の救いと献金の関係への問題提起ではなく、仏教でいえば、
「信徒から多額の戒名料、や布施を巻きあげて、坊主が贅沢しているのはけしからん。」
「戒名料や布施の使い道を信徒に公開したほうが信徒が増えるのではないか。」
「戒名料や布施をリーズナブルなものにしたらもっと信徒が増えるのではないか。」
と、言い合っているのとそうは変わらない。
たとえ内部批判者であっても、その批判が「我等は絶対の善を知る選民である。」という教義の「絶対の善とは何か」「選民とは何なのか。」に及ぶことは無い。
「我は選民なり」の根底にあるものは、「私だけは特別。」「彼らは救われないが私は救われる。」と、思いたい気持ちであろうが、そのように思いたいというところを多少なりとも持っているものは数多くいるだろう。
しかし、誰にでもあるといってよいほど多数のものが特別扱いを好むからといって、寄り集まって絶対者を持ちだして「私は特別扱いされたい。」という思いを肯定している姿を見ると、なんだかうんざりして来る。
ふと「二乗根性」という言葉が脳裏に浮かぶ。
川蝉さんが、かってかれらの教義にあるそれを「二乗根性」と評されたのが解るような気がして来るのですよ。