タイトル | : やめられない、やめたくない |
記事No | : 1394 |
投稿日 | : 2012/02/17(Fri) 13:04:45 |
投稿者 | : 桃青 |
ある宗教団体、仮に某M教としよう。 団体の会員で某M教へ辛辣な批判をしつつも、教会をさらないかたがいる。 批判は会の運営の仕方から、教義の根本に至るまで多岐にわたるものである。 私などのように、人間の問題を解決するにはこれしかない。と、納得して教えを聞くものには、「そこまで信頼できない教えであると解っているのなら、やめれば良いのに。」としか思えないのだが・・・。
どうもそのかたは、某M教が救いに不可欠としている儀式を救いに関係なし、と否定し、儀式に参加することもやめてしまわれているようであるし、これまた教義の根幹に関わる献金も収支を明らかにしないのはケシカランと、出すのをやめてしまわれている。 そして自分は某M教にあっても、某M教の愚かさには流されていないと胸を張られる。 言われていることは某M教を離れてどちらかというと伝統的なキリスト教に近いのだが、それでも「私は某M教会員であり、キリスト教徒ではない。」と、言われる。 私は、世親の「これまでなんというつまらない教えを聞いていたのか。」と、自分の耳を切り落としたようなホンモノを求める潔さを尊敬してやまないのだが、このかたに世親の話をしたところ、「くだらない。」と切り捨てられたことがある。
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