記事No | : 1513 |
タイトル | : Re: 死について |
投稿日 | : 2012/05/12(Sat) 17:18:15 |
投稿者 | : 桃青 |
> 死とは、身体の機能が停止して土に帰り、魂(感情や感覚や知識)は虚空に消え去り無に帰す。
> 簡単にいえば、夢をみることのない永遠の眠りにつくことなのだ。
私も、眠って目が覚めた時にそう思うことがあります。
このように目が覚めたから生きているというのであって、ふっと意識が無くなって後、目が覚めなければ死んだということなのだろうな。と。
古来、私のように思うひとはごく普遍的に存在したようで、眠ったまま目覚めないことを怖れて対策をこうじた話も伝わっていますよ。
> 現世も死後の世界も来世もないし、今世での善行や悪行が裁かれることはない。
> だから、過去世及び来世の因果応報などありえない。
それも「私」が「私」をどう捉えるかの問題なので、そうとしか思えないかたもおられるのでしょうね。
仏教が呈示するのものも、また一つの捉え方なのですが、私は仏教の捉え方が一番現実と乖離が無くて、それ故に真実らしく思われます。
> 龍樹は、部派仏教の因果性を厳しく批判し、相依性(無自性・空)を説いた。
>
> では、人間はなぜ死を恐れるのか。
> すべての生物は必ず死ぬので、死そのものが怖いのではなく、恐ろしいのは死に至るまでの苦しみなのだ。
> 死の瞬間を末魔が切れる即ち断末魔といい、断末魔の恐怖と苦しみを最も恐れるのだ。
>
死に至るまでの肉体的な苦痛は医学の進歩により、かなり軽減されて来ています。
日本の健康保険制度がこの先どうなるかは、わかりませんが、今とそう変わらなければ、緩和ケアの恩恵により断末魔の肉体の苦痛を回避できる確率のほうが高いのではないかと思われます。
でも、いくら緩和ケアが発達して、断末魔に肉体の苦痛が全くなくなったとしても、死への恐怖が無くなるということはないのでしょうね。
「断末魔に地獄も極楽もある。」と、言ったかたもおられましたが、最後の最後に見る光景が、怖いものだったらさぞ嫌でしょうね。
私は、最後の最後の時に仏様や日蓮聖人から「よく頑張ったね。」という御言葉を頂けることを夢見ていますが、
断末魔に何を見るか、自分ではコントロールできませんから、
ハリウッドのアクション映画からオファーが来てもおかしくない御姿のモ○モンイエスが指をポキポキ鳴らしながら「どうだ!こういうことになっていたんだぞ!」と現われたら、嫌だなあ。