記事No | : 1607 |
タイトル | : Re: 神秘主義・・・もっと大切なものがある。 |
投稿日 | : 2012/08/11(Sat) 08:40:47 |
投稿者 | : 桃青 |
以前、この時期には、怪談番組が定番だったのですが、
ふと気が付くと、ここ何年か「無い」と言ってよいくらい放映されませんね。
今年はオリンピックもあって、まだまったく見かけません。
神秘体験が個人の脳内の出来事だという知見が一般的になってきたからでしょうか。
しかし、スケプティックスの安斎育郎先生は
先生が大学の講義中に
「奇跡」といわれる幾つかの現象を「手品だ。」と種明かししつつ学生の眼の前で再現して見せても、講義後の調査で
「先生がしたのは手品だが、○○がしたのは確かに手品では無い奇跡だ。」
と、答える学生が2,3人は必ずいる。
と、書かれていましたが、そのように、
「確かに脳内現象で説明できる神秘体験はあるであろうが、
脳内現象では説明できない神秘体験がある。」
と主張されるかたや
「他の者が体験したのは、単なる思い込み。
ワシはそうではないホンモノのホンモノの神秘体験をした。」
と、言い張るかたが必ずおられるものなのですね。
某M教あたりには、必ず。
こうなると「他の者とは違う」と、明言される根拠が何なのか知りたくなります。
で、尋ねてみると、
「違うから違うのだ!俺様の神秘体験を疑うやつはバカだ。」
と、罵倒された。
このかたもそうですが、某M教のかたがたには老若男女、気に入らない相手を言葉を尽くして罵ることに躊躇がないかたが多い。
アメリカのディベート文化では、当たり前なのだろうか?
と、想像しているのだが・・・。
ちょっと気に入らない言いまわしに出逢うと、待ってましたとばかりに、本来の議題をそっちのけに、キャンキャンと謝罪を要求し、たとえ謝罪しても、以後対等な立場での論議を決して許さないところがある。
こういう場面は、某M教徒とのネットでの論議ばかりでなく、最近の日本でも多く見かけるようになった。
日本人が全般にアメリカナイズされてきたのだろうか?
「ある問題を解決するのに、その問題に対しては両者は対等。」
論議すべきは、問題の解決方法であるはずなのに、
まずは、自分が相手より優位な立場になろうと、相手の言葉尻を取らえてキャンキャン吼え出す。
彼らにとっては、「問題の解決」もまた自分が相手より優位に立つための道具にしか過ぎないようだ。
二元論を採る某M教は、異邦人を見る目も二元論のようだ。
「敵か、味方か、奴隷か」
味方で無ければ敵。
味方でないものは、反抗できない奴隷にしておかなければ安心できないのであろう。