記事No | : 2137 |
タイトル | : 宗教と感覚鈍磨 |
投稿日 | : 2013/07/03(Wed) 11:16:13 |
投稿者 | : 桃青 |
眼の前で垂れ流される大小便や、「お母さんはわざわざ認知症になってまで、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのですよ。」という言葉に対して、何も感じないと言う感覚を感じつつ、
「宗教と感覚鈍磨」ということをぼんやりと考えた。
信仰者に対してよく「思考停止に陥っている。」という批判がなされることがある。
私は、母の大小便垂れ流しに接するうちに感覚鈍磨の状態になってはじめて、感覚鈍磨や思考停止の気持ちよさが本当にわかったような気がした。
「仏様に任せる。」「神の御心のままに」
は、場合によって単なる甘美な思考停止にいざなうため言葉となっていることもあるかもしれない。