記事No | : 1910 |
タイトル | : 差別主義(主に人種差別) |
投稿日 | : 2013/02/16(Sat) 12:22:09 |
投稿者 | : 桃青 |
差別主義。
これもそこにはまってしまうと、「それのどこが悪いの?」としか思えなくなるところは、二元論や選民思想、血統主義、権威主義と同じです。
「いやー、さすがにいくらなんでも差別主義は悪いと誰でもわかりますよ。」
と、言われるそこの日本人のあなた!
それは、もしかしたらあなたが小さい頃から「差別反対!」という思想を聞いて育ったから「差別はいけないことだ。」と、思いこんだだけかもしれないですよ。
例えば、人種差別という差別があります。
日本人は黒人差別をはじめ他国の人種差別を「いけないことだ。」と、糾弾しますが、日本人もまたほんの少し前まで、人種差別観を何の疑いもなく受け入れていたことを忘れています。
「人間を人種で測かることは、間違っているのだ。」
と、頭の上に青天が広がるように思わない限り、「人間を人種で測りたい。」という心は無くならずに、そこに燻って何かのきっかけを与えられれば、ぱっと燃え上がる。
かって日本には、行政府による教育を受けて中国人や朝鮮人は自分達より劣った人種であると思いこんでいたひとがたーくさんいたのです。
「中国人や朝鮮人は劣等人種である。」という前提が正しければ(真ならば)、劣等人種を劣等人種として遇することは、正しい(真)ということになります。
なので、「日本人は優等人種。中国人や朝鮮人は劣等人種。」と、教えこまれた日本人の殆どは、中国人や朝鮮人を人種差別するのは、当たり前のことだと思いこんでいたのです。
「劣等人種は劣等人種として遇するのが正しい。」と教えられて「そうだ、その通りだ。」と、納得した心は、「人種差別はいけない。」と教えられれば「そうか、人種差別はいけないのか。」と、納得はしても、それで「ああ!人間を人種で測ることは間違っている。」と頭の上に青天が広がるように人間を人種で測らない世界が見えて来るかと言えばそういうことでもない。
某M教は「劣等人種は劣等人種のように扱うのが正しい。」と教える宗教だと、言ったら、
「人種差別は良くない」と教える日本の教育を受けた日本の教会員たちは「私たちは人種差別などしていない。」と、怒るだろう。
が、それは日本人教会員が劣等人種だと看做している相手が朝鮮人や中国人や黒人でないので「私たちは人種差別していない。」と思いこんでいるだけです。
某M教では「人間に劣等人種と優等人種がある」という前提は果たして正しいのかどういう論議抜きに「人間には劣等人種と優等人種がある。」という前提のもとに教説が組みたてられている。
この場合、優等人種とは「モ○モン教会員」のことです。
彼らが「世のひとびと」と呼ぶ非モルモンは全て「劣等人種」なのです。
日本の教会員の振る舞いを見ていると、かっての日本人が中国人や朝鮮人に対して持っていた意識や振る舞いとは、こんなものだったのだろうか。
と、思うことがしばしばあります。
某M教のかたが「他宗教には嫌悪感しか持てない。」という時の嫌悪感とは、かっての日本人に当たり前に存在していた朝鮮人に対する嫌悪感に相通じるものがあるのではないでしょうか。
以前、ある日本人画家が朝鮮絵画の個性的な色彩を称賛した時、
その場に居た清楚で上品な年齢を重ねても可憐な面影のある老婦人が顔をしかめて
「そうですか?私は戦前朝鮮に住んでいたのですが、あの人たちのことなど、私たちは、皆、軽蔑していましたのよっ!」
と、いかにも嫌そうに吐き捨てるように言われたので、日頃良識も見識も思いやりもあると思っていたかたでも、この年代のかたはそんなものなのか、と、驚いたことがあります。
某M教の人々の言動を見ると、対象が朝鮮人や中国人から「世のひとびと」や「この世的なもの」に変わっただけで、かって人種差別を行っていた日本人が此処にいる。と、思う。
そして当時日本人から一方的に「劣等民族」と決めつけられて嫌悪感やら哀れみやらをぶつけられていた朝鮮人や中国人の気持ちが、ほんの少し解ったような気がするのです。