いぶし銀

 

 




「お話中、失礼します」
 ジュリアスの執務室に入ったオスカーの瞳が、おやっと一瞬だけ見開かれた。彼の目に笑っているジュリアスと、苦虫を噛み潰したヴィクトールの顔が入る。
「オスカーか」
 機嫌よく報告書を受け取りながら、ジュリアスは頷いた。
「……それではジュリアス様、自分はこれで失礼させていただきます」
「ヴィクトール、そなたの話はとても興味深い。これからも機会を見て、話を聞かせてくれぬか?」
 立ち去ろうとする後ろ姿を呼び止めて、ジュリアスが問いかける。
「………ええ、自分でよかったら、いつでも」
 困惑しながら答えるヴィクトールを、ジュリアスは楽しそうに見つめていた。
「あんなヴィクトールを見るのは、初めてですよ」
 遠ざかって行くがっちりした背中を、視線で追いかけながらオスカーが小声で呟いた。
「そうか? あの者は私の前では、いつもあんな風だ。…どうやら私が苦手らしいな」
 報告書に目を通しながら、ジュリアスはそう言った。だが、その顔は依然として楽しげだ。普段のジュリアスは、常に守護聖の長らしく厳しい表情をし、その整った顔がまるで彫像のように威圧感を相手に与える。しかしこうして微笑んでいると、厳しさは影をひそめ、光が零れ落ちたような、柔らかい表情が浮かび上がる。
 その滅多に見せない表情に、少なからずオスカーは驚いていた。
「先日の件について、私なりの意見をまとめたのですが…」
 内心の驚きを隠しながらそう言った。
「ああご苦労、始めてくれ」
 いつもの厳しい表情に戻って、ジュリアスは耳を傾ける。
 オスカーは説明しながら、先程渡した報告書とは別に、育成データ、新宇宙の地図などをジュリアスの執務机に並べた。
 その時、机の隅でキラキラと輝くものが目に入った。
「ジュリアス様、これは……?」
 そう尋ねながら、オスカーは手に取った。
 黄金の見事な意匠が施された、勲章。
 それが光の勲章であることはオスカーには一目でわかった。
 光の勲章、それは光の守護聖ジュリアスの名の下で授与される。
 したがってそれに見合う働き、活躍した者にしかその資格はない。だから、百年以上も該当者がいないこともざらだった。
 最後に授与されたのは、外界で一年前のことだ。
 とある惑星で大規模な地殻変動が起こった時、迅速かつ的確に指揮し、何百万人の住民を無傷で救出した指揮官に授与された。
 その指揮官が学芸館で教官をしているヴィクトールであることは、宇宙でも聖地でも知らぬ者はいない。
「そうだ、ヴィクトールがわざわざ私に返しに来たのだ」
「何故ですか」
 自分も軍人であるオスカーは訝しげに問いかける。光の勲章を与えられることは、軍人にとって最高の名誉となるはずだ。突き返すなどとは前代未聞だった。
 信じられないと首をふるオスカーに、ジュリアスはふっと表情を緩めた。
「確かに何百万人の住民を助けたかも知れない、だが自分は自分の部下を守れなかった。そう彼は言った。実際、その気持ちはその場にいた者しかわからぬ事かも知れぬ。……だが私には、あの者の気持ちがわかる気がするのだ」
 そう言うジュリアスの横顔を、複雑な表情でオスカーは見つめた。
「それではジュリアス様は、この勲章の返却をお認めになったのですか?」
「いや、気持ちがわかると言っても、認めたつもりはない。……だがしばらくは預かっておこうと思うのだ」
「……そうですね、俺ももし、部下を死なせるようなことになったら、一生後悔すると思いますよ」
 いやに冷静な声で言うオスカーに、ジュリアスの片方の眉が上がる。
「誤解なさらないで下さい。別に俺は茶化しているわけじゃありません。この聖地で俺ほど彼の気持ちを理解出来る者はいない。理解出来るこそ、これは彼が持っているべきだと思うのです。お許しを得られるのなら、この勲章を俺に預からせていただけませんか?」 
「オスカー?」
 いぶかしげにジュリアスは顔を上げた。
「俺に考えが、あるんです」
 オスカーは勲章を手に持つと、執務室を辞して行った。





「おいっ、ヴィクトール!」
 学芸間のヴィクトールの部屋に入ると、オスカーは何かをひょいっと投げた。
「オスカー様、いったい何です、いきなり……」
 ヴィクトールは面食らった顔で、受け取った。
「……これは…!」
 掌の中のものを見て、ヴィクトールはハッとなった。
「しかと返したぜ」
 オスカーはしかと、ヴィクトールにそう言った。
「…悪いがオスカー様、俺にはとうてい受け取る資格などありません」
 ヴィクトールは唇を強く噛み締めながら、しかし決然と言った。
「資格なんか関係ない。それはあんたが持っているべきだ」
 ヴィクトールは苦汁を滲ませた顔でオスカーを見返した。
 オスカーは小さく頷いた。
「…そうさ、所詮現場にいなかった者には、その気持ちはわからない。いつも安全な聖地にいる俺には、とうてい理解できっこないさ。……でも俺にだってわかることだってある。あんたに救われた住民は、みんなあんたに感謝している。そして死んでいったあんたの部下たちは最後まであんたを信頼していた。そのために死ぬことなど厭わなかっただろう」
「……オスカー様、いくらオスカー様でも、言っていいことと、悪いことがある」
 怒りに顔を紅潮させてヴィクトールは立ち上がると、殴りかかった。
「…おっと……」
 オスカーは一歩下がって、ヴィクトールのパンチをかわした。 空振りしたヴィクトールはその場にへたり込んだ。
「すまないな。俺の言い方が悪かったみたいだ」
 オスカーは床に落ちた光の勲章を拾い上げた。
「俺にはあんたが部下を命より大切に思う気持ちは理解できつもりだ。指揮官としての辛さは俺も知っている。……だが、だからこそ、この勲章を持っていて欲しいんだ。これは、あんた一人が受けるものじゃない。死んでいった部下たちと一緒に受けるものなんだ。そして与えるのは、ジュリアス様じゃない。あんたたちに救われたあの星の住民全員の感謝の気持ちなんだ。あんたがこの勲章を持つことによって、あんたの胸の中と、住民たち全員の心の中に、あんたの部下は生き続けるんだ。…なあ、そう思わないか?」
 ヴィクトールは静かに顔を上げると、立ち上がった。
「……あいつらは、喜んでくれるかな?」
 ポツリとそう言った。
「喜ぶと思うぜ」
 オスカーはヴィクトールにもう一度勲章を渡すと、ポンと方を軽く叩いた。
「もうこれ以上、あの方のお手を煩わせるなよな」
 扉のノブに手をかけながら、オスカーはそう言った。
(もう二度とあの方の関心を引くようなまねはするなよ)
 心の中でそう付け加えるのも、忘れない。
「……は?」
 感激していたヴィクトールは、突然そう言われてポカンとなる。
「これが光の勲章じゃなかったら、あんたが突き返そうと、悩もうと、俺には関係いことなんだがな」
 オスカーは不敵にふふんっと笑った。
「まあ、とにかく、頑張ることだ」
 手を振るとオスカーは出て行った。残されたヴィクトールはただ唖然となるしかない。
(………何だ?あの野郎…)
 そう思いながらも、心が軽くなっているのをヴィクトールは感じていた。自分は自分だけの悲しみに捕らわれすぎていた。部下たちはいつまでも悲しみにくれる自分の姿を喜びはしないだろう。
 そしてまた、勲章を突き返されたジュリアスの気持ちを考えもしなかった。
 あの人は怒りもせず、笑ってヴィクトールが聖地を出るまで預かると言った。
 彼はいずれ自分が悲しみの淵から脱出した時、必要となるだろうと知っていたに違いない。

 そして自分の心を鮮やかに引き上げたオスカー。
「…ふう……いやはや、まいったぜ」
 つい苦笑がヴィクトールの口から零れる。
 守護聖という人は、やっぱり普通の人間とは違うのだろうか?
 オスカーに軍人としての強さを思い起こされ、ジュリアスに誇りを取り戻してもらった気がする。
 
 世捨て人のような自分に、教官が務まるのだろうかという不安は消え去っていた。
 教官もまた未熟だからこそ、学ぶことも多いのだろう。
 自分が聖地に来た意味は、これから探せばいい。
 数日後には女王候補たちが学芸間に訪れるようになる。
 彼女たちを導くのではなく、彼女たちに導かれていくのだ。
 新しい日々が始まる。
 精神の教官であるヴィクトールは、ようやく新たな生き方を見いだせた。
 だんだんと気力が充実してくる。
 窓を開け、新鮮な空気を吸い込むと、大きく武者ぶるいをした。


 ヨーッシ! !!


 

BACKTOP