風、薫る午後

 

 



 風が薫り、光る。

 聖地に来て初めて、風に色や表情があることに気づいた。

 瞳を閉じると、風の優しい囁き声が聞こえて来る。

 “がんばって、くじけないで”と。

「ランディ、ジュリアス様の御前でなにをボ〜〜ッとしているんだ!」

 オスカーの厳しい声に、ランディはビクッとして顔を上げた。

「すっ、すみません。あっあのオレ…」

 慌てて謝ろうとするが、言葉が出てこない。

 ジュリアスは全てを見通すような碧い瞳をランディに向け、静かに口を開いた。

「もうよい、下がれ」

 ランディの頬がさっと紅潮する。

 そうして無言のまま頭を下げ、ジュリアスの執務室から出て行った。

 オスカーはやれやれという風に肩をすくめた。

 その様子にジュリアスはチラリと非難めいた視線を投げかけた後、再び手元の書類に注意を戻した。






 ランディが聖地に来たのはほんの十日ほど前のことだった。

 1週間で前任者との引き継ぎを終えてからは、炎の守護聖であるオスカーが世話役となって指導を任されていた。

 オスカーと共に行動をするということは、自然と光の守護聖ジュリアスと過ごす時間が多くなる。オスカーはジュリアスの片腕として腕を振るっているし、彼がジュリアスを尊敬していることは誰の眼から見ても明らかである。

 ランディは自分の置かれた状況はおおよその点では満足している。

 おおよそ、というのがミソなのだが……。

 オスカーは名門貴族の出ではあるが、彼の家が元々は軍人として名を成していると言うだけあって、さばけた性格で接してくれる。同じ体育会系のノリでうまくいっていると思う。

 問題はそう、ジュリアスの方なのだ。

 ランディの母は庶民の出であるということだけで、貴族である父の家に認められなかった。そのため父は全てを捨て母と生きる道を選んだ。だがもともと余り丈夫でない父は体を壊し、母は幼いランディと夫を抱えてしないでもいい苦労を重ねてきた。

 そんなある日、次期風の守護聖としてランディが選ばれると知らされたとき、父の家は手のひらを返したように接してきた。母は夫のためランディのためを思い、彼らの言い分をのむと、そっと姿を消した。

 健康を取り戻した父は、母を捜し出しとうとう一族に母を認めさせ、和解した。
 確かに聖地に上がるまでランディは不自由もなく過ごしたし、父の体も健康を取り戻した。しかしその時ランディの心には彼らに対して憎しみが宿っていた。貴族でないというだけで何故母はこのような目に遭わなければならないのだ。美しく心優しかった母をありのまま受け入れられないのだろう。家柄などあるだけ心が醜くなるだけだ。

 もちろん今のランディは貴族全てがそういう人達だけでないことを知っている。

 ジュリアスが高潔で誇り高く、公正であることも知っている。

 だけど、どうしてもだめなのだ。

 ジュリアスが高潔であればあるほど、貴族の中の貴族然と気品に溢れれば溢れるほど、自分がなれなかったもの、受け入れなかったもの、受け入れられなかったものを意識させられる。

 そう、母と同じコンプレックスを感じてしまうのだ。

 ジュリアスの近寄りがたいほどの厳格な姿の前では自分などかすんでしまう。オスカーのと同じように自然な姿で側にいることができない。

 聖地へ来てもこれまでの自分を捨て去ることはできない、今まで以上の苦しさを得ただけだ。

 ランディはこのまま運命の重みに押し潰されそうな自分を感じていた。






「ネェ彼氏、なぁ〜に一人で黄昏ちゃっているんだよ?」

 すっかり物思いに浸っていたランディは、頭上から声をかけられて驚いた。

 見下ろしているのは男とも女ともとれない不思議な魅力を持った人物。確かこの人は夢の守護聖の………。

「オリヴィエ様……」

「ハイッハァ〜イ、正解よ☆」

 そう明るく答えたオリヴィエは了解もなしにランディの隣に腰掛けた。

「あらやだ、地面が湿っているわ。せっかくのお洋服がシミになるかしらぁ、マイったわねえ」

 ブツブツと言いながら足を伸ばして、手を大きく空に向けて伸ばした。

「う〜ん。風がいい気持ちねェ。聖地の唯一の取り柄
って、いつも上天気だってことだよね。アタシが別に言わなくたって、この風の優しさはアンタが一番知っているはずだわね♪」
 ふふんっ、と笑ってウインクをして、手で髪を撫ぶらせる。そのまま風の中に身を置き、全身で感じるように息を吸い込んだ。

「………………オレには、わかりません」

 ランディは僅かに聞き取れるほどの小声で言った。オリヴィエ髪を撫でつける手を止めた。

「わからないんです」

 今度ははっきりした声でランディは言った。

「何故オレが守護聖として必要とされたのか、何故オレがこんなにも優しく風に、聖地に迎え入れられているのかを。…オスカー様やジュリアス様に比べて何の役に立たないこんなオレでいいのかって……」

 ランディ聖地に来てから溜まっていた不安を一気に吐き出した。ほとんど初対面に近いオリヴィエに言っても仕方が無いのはわかっている。だが、誰にも相談できなかったこの十日間は地獄のようだった。

 プッとオリヴィエは吹き出した。だんだんと笑い声は大きくなっていく。ランディは傷ついた。

「…やあねぇ、アンタったら…」

 目に涙を浮かべながらオリヴィエはやっとの思いで言った。

「そんなくだらないことで悩んでいたの?」

「くだらないだって」

 かっとなってランディは言い返した。

「怒りなさんな、少年。そういうアンタだからこそ、必要とされたって思えないのかな。それに比べる相手がジュリアスじゃあ、誰だってお手上げだよ。……オスカーについては、アンタはまだあの男の真の姿に気づいてないみたいだね」

 オリヴィエの言葉にランディはポカンとした。

「オレだからこそって………」

 オリヴィエはニコッと笑った。

「そうだよ。アンタのその一生懸命なひたむきさは、今までこの聖地になかったんだよ。バカ正直で直球勝負しかできないアンタは、前世紀の遺物みたいなあの石頭にとって、とても貴重な存在となるんだよ。アンタが未熟だからこそ、学べることだって沢山あるんだよね。それに、なりより風がアンタを歓迎してるのは、感じてるでしょ?」

 そう言われて始めて、自分が今まで随分と無理をして背伸びをしていたことに気づいた。自分で周囲に壁を張り巡らせて、萎縮してしまっていたのだ。一陣の風が心の中の靄を吹き飛ばしてしまったようだ。

 ランディは素早く、弾けるように立ち上がった。

「そうか、そうだったんだ。なぁんだ」

 自分はあくまで自分、他人などにはなれない。

「オレはオレのままでよかったんだぁ!」

 空に向かって大声で叫ぶ。体の中に力が満ちて来るようだ。

「だからと言って、バカのままじゃ困るわよ」

 ランディはくるっと振り向いて、笑顔全開でオリヴィエに言った。

「そうですね。オレ、頑張って努力して、早くオリヴィエ様みたいに一人前の守護聖になりたいです」

 一礼すると、ランディは元気に走り去って行った。

「…一人前ねェ……」

オリヴィエは肩をさすりながら呟いた。






 ランディは森を抜けて一直線に宮殿に向かった。

「いやに威勢がいいじゃないかボウヤ。だが、宮殿内ではランニングは禁止だぜ」

 宮殿の入り口でオスカーが出迎えた。

「…オスカー様、どうしてここにいるんですか?」

 キョトンとした顔でランディは尋ねる。

「オイオイ困ったな。あんな顔して出て行くから、流石の俺様も気になって探したんだぞ」

 オスカーは少々バツの悪そうな表情を浮かべた。
「心配して下さったんですか?」

「あっ、当たり前だ! 別にわざとお前を苛めようなんて思ってるわけないじゃないか」
 いつも自信満々のオスカーが焦っている姿に、何だかちょっぴり親近感がわいてくる。

 この人もいつも完璧ってわけじゃないんだ。

「へぇ〜…」

「なにがへぇ〜っだ。人が心配してるってのに、のほほ〜んっとしやがって、お仕置きしてやるぞ!」

 オスカーは顔を凄むと手を振り上げた。

「やめて下さい。そんなことしたって怖くなんかないですよ」

 アカンベーをしながら入り口に向かう。

 ドスンッ。

 ランディは入り口から出てきた人物に、ぶつかった。

「宮殿では静かにしろと、言っているだろう」

 ランディはギクリとした。鼻を押さえながら、恐る恐る顔を上げた。

 案の定ジュリアスの碧い瞳と目が合う。

「ごっ、ごめんなさいっ」

 とたんにまた萎縮してしまう。

 ジュリアスはしゅんっとなったランディを見て、ため息をついた。

「…まあよい。そなたのそのように楽しそうに笑った顔は初めて見た。本来のそなたの姿はこうであったのだな」

 その瞳から厳しい光が消え、優しく細められ、そして微笑した。

(ジュリアス様の笑顔こそ、初めて見た…)

 普段の厳しい表情が嘘のように、ジュリアスは優しく微笑んでいた。

 ランディはもっともっとこの笑顔が見たいと思った。

「ジュリアス様、オレ頑張ってジュリアス様に認められるようになります」

 そう言ったランディの言葉にジュリアスは心外そうな顔をする。

「そなたはまだまだ未熟だが、いずれは立派な守護聖となることと私は考えている。これまで必要以上厳しく接してきたのは、そなたに見所があるからだ。私は最初からそなたのことは認めているぞ」

 ランディの顔が執務室の時と全く別の意味で真っ赤になった。

「………そうですね、オレはまだ未熟者です。でも、いつかオスカー様やオリヴィエ様のように一人前になって、ジュリアス様のお役に立ちたいと思います!」

 ランディは高らかに宣言した。

 宣言された相手・ジュリアスはランディの意気込みに感心するどころか、眉を顰めた。オスカーと言えば、腹を抱えて大声で笑い出した。

「…オ、オリヴィエのようだって? ハハッ、そりゃあ傑作だ」

「オスカー」

 ジュリアスが笑いを制止するように注意したが、オスカーの笑いは一向に止まらない。

「ひぃ〜〜っ、苦しいっ。ランディ、お前どこからそんな話を仕入れて来たんだ? オリヴィエはお前より少し前、たった1カ月前に来たばっかりで、まだまだ完璧に一人前とは言い難いぞ」

「………へっ?…」
 ポカンとした顔でランディは聞き返した。

 ようやく笑いの発作が収まったオスカーは目尻の涙を拭いながら答えた。

「確かに、あいつはお前より要領もいいし、飲み込みが速い。…だがつい先日惑星に夢のサクリアを送り過ぎて、2カ月以上も惑星中で仮装大会が開かれて、ドンチャン騒ぎが延々と続いたそうだぜ」

「……そう、なんですか」

 ランディは項垂れた。オリヴィエに一杯食わされたのだ。なんて騙されやすい単純なオレ。腹が立ってくる、自分自身に、オリヴィエに、目の前にいるオスカーやジュリアス、聖地、宇宙全体に。(とにかく、あ〜っむかつくなぁ)

「オレは、怒っているんだ〜!」

 出し抜けにランディは大声で叫んだ。

 ジュリアスとオスカーは驚いてランディを見る。

 そんな二人の顔をランディはくすっと見つめた。

「あ〜っすっきりした。もやもやがスッキリと晴れたみたいです」

 まだポカンとしている二人にニコッと笑いかけた。

「未熟でけっこう! オレが何でもできたら、オスカー様やジュリアス様のすることがなくなっちゃいますね。だから、これからもご指導よろしくお願いします」

 ランディは大きく一礼した。

「それじゃあ失礼します。オレ、まだ仕事が残ってますから」

 二人を残しランディは宮殿に入った。入り口でクルッと振り向く。

「ジュリアス様、オレホントに頑張ります。だからオレが満足いく働きをしたら、ただ微笑みかけて下さい。そのためだったらオレ、何だってします!」

「……ああ」

 ジュリアスはわけがわからないといったふうに頷く。横でオスカーが苦虫を噛み潰したような顔をしている。そうこうしているうちにランディは風のように消えていた。

「…………変なところだけは成長早いんだからな」

 オスカーは小声でぼやいた。オスカーの声が聞こえたのか聞こえないのか、ジュリアスはこう言った。

「なかなか先の楽しみな若者だ。そなたが聖地に来たころによく似ているぞ」

「まさか」

 オスカーは笑って答えた。が、内心ではこれからはうかうかしていられないなと思っていた。

(ボウヤ、まだまだ俺は越えさせないぜ)

 ランディが追いついてきても、自分はもっと先にいる。追い越されるなんてオスカーのプライドが許さない
 そう心に誓いながらオスカーはジュリアスの後に続いて宮殿の門をくぐっ。






 自分らしくいこう。
 オレはオレ以外にはなれないんだ。

 始まりはこれからだ。

 一歩一歩しっかりと歩いていこう。

 この背中を風がしっかりと後押ししてくれる。

 ファイト!




このお話は友人の勝俣薫さんのご本にゲストとして書かせていただいたお話に
少し手を加えた物です。この本のコンセプトはオスジュリ←ランディなんですけど
(勝俣さん、まちがっていたらゴメンナサイ(汗))書いていて、楽しんでいました。
私はしがないオスジュリ女ですが、聖地が好きなんだ。守護聖全員が好きなん
だと実感しました。機会があったらまたランディ、他の守護聖、教官たちの話を
書いていきたいですね。もちろん、趣味でジュリアスとオスカーは出てきますが。

このコンセプトでヴィクトールのお話を書いています。近日UP予定です〜〜〜。


HOME