真冬の熊(携帯版)


海に突き出した山脈・知床半島。
急峻な陸地からは、数多くの滝が直接海に落ちている。
その一つの『乙女の涙』、ビジターセンターからも近く、小粋な探索には最適なのだけれど・・・・
そこから少々岬寄りにひっそりとたたずむ滝、『男の涙』をご存知だろうか?。
熊出没&崖からの転落の危険などから立ち入り禁止になっていて、あまり観光案内図にも紹介されていないけれど、乙女の涙よりも数段迫力が上回っている。
(観光船で、海上から見る事は出来ます。)
乙女の涙は滝を上から見下ろす形だけれど、男の涙は、急峻な崖を下り、海面近くから見上げる事になるのだ。
ビジターセンターから知床五湖方面に向い、知床峠との分岐から1kmほど進んだ左側の路肩に、クルマを停められそうなスペース&ちょっとした更地&チェーンがかけられた廃道風がある。
その道を歩く事しばし、いきなり海に面したガケの上に辿り着き、そこから一気に断崖を下ると、小さな入江の左側に滝があるのだ。
(94年の夏に行ったのが最後です)

ここに初めてチャレンジしたのは、学生最後の冬(正月)。
当時は知床ビジターセンターなど無く、ウトロより先に有るのは、岩尾別YHと岩尾別温泉のホテルだけ。
共に冬季閉鎖中で、ウトロの市街地を抜けると道はゲート閉鎖されていて、全くの無人地帯と化していたのだ。
何も考えずに、YHで貰ったオニギリを手に10時頃ウトロを出発。
当然歩きである。
ほどなく、町外れの食堂のアニキに呼び止められる。
「おいっ!どこに行く?」
「男の涙を見に・・」
「ばかやろう!その格好でか?」
店に引きずり込まれ、ゴム長・ダウンなどを着用させられる。
「これだって寒いくらいだぞ!ヤバかったら、直ぐに戻ってこい」
ゲートをくぐり、踏み痕の無い雪を踏みしめながら歩く。
これから歩くであろう道が、小さな湾の向こうの山の中腹に延々とへばりついている。

どれだけ歩いただろうか、更に深くなった雪を掻き分け、当時は柵も無かった乙女の涙に到着。
再び道路に戻り、男の涙への分岐へ。
たまに小雪が舞う曇り空の下、絶壁の上に到着。
ここを降りれば・・・
しかし、ゴム長などで降りれるのだろうか?
ましてや、降りてしまったら登れるような気がしない。
でも、ここで引き返すのはあまりにも・・・・
後先を考えずに、一気に下る。
ケツを地面につけ、ボブスレーのような状態での下りである。

まだ流氷が訪れる前のオホーツク海、白濁した荒波が絶壁を洗う。
そこに注ぐ、半分以上凍結した滝・・・
ついに男の涙に到着したのだ。
何気に『終末』という言葉が頭をかすめるシュールな光景。
時のたつのを忘れ、この数キロ圏内には自分以外の人間など存在しない事実に寒気を感じる。
「帰ろう・・・・」
しかし・・・・
凍結し、雪がへばりついた岩。
やはりゴム長などではとても登れる訳が無く、登った分だけ滑り落ちる事を繰り返すのみ。
この滝が、我が脳裏に映る最後の光景になるのだろうか・・・・

果てしなく時間が経過し、気が付けば断崖絶壁の上。
ヨタヨタと歩き、乙女の涙あたりで力尽きる。
もう一歩も動けないのだ。
カチンカチンになったオニギリを投げ捨て、雪面に大の字に寝転ぶ。
果てしない寒さの中、「もうどうでもいいや」などと考え始めている。

ヴォオ・・・・ヴォオ・・・・・
なにやら呻き声が聞こえる。
く・熊?まさかこんな季節に・・・
呻き声は次第に近づき、断続的だった音は、やがて連続音に変わる。
熊は冬眠するものじゃないの?
こわいよう!
どうでも良くないよう!
近づいてくる雪を踏みしめる音!
体を揺すりながらやってくる、黒い物体が視界に入る。
「やあ!元気か」
正体はスノーモービルだったのだ。
フラフラと出掛け、余りにも帰りの遅いワタクシを案じ、YHのシトが救助に来てくれたのだ。
「俺は帰るけど乗ってく?やっぱり歩きたいか?」
「の・乗せとくれよう!」

雪道を疾走するスノーモービル。
延々と歩いてきた道を、あっというまに駆け抜ける。
「アタマさげろぉ!」
「えっ?」
猛スピードのままでゲートの下を通過。

漁師小屋の様な建物が見えてくる。
扉がキッチリと閉鎖されていて人の気配など全く無いとは言え、それでも何ともいえない安心感を与えてくれる。
ああ・・人間界に帰ってきたぁ・・・・

食堂でゴム長とダウンを返し、熱いお茶とモチをいただく。
「マジで行っちゃったのか・・・すぐに帰って来ると思ったのに・・」

大都会の様にさえ感じてしまうウトロの街の灯りを、最終バスの中からいつまでも振り返りながら・・・・
BAKAなワタクシの、学生時代は終ったのであった。


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