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遠かった四国

(レポート:岡村2号)

 年末は四国へ行く予定だった。
二十九日まで会社があるから、準備は三十日・出発当日にしようと思っていた。
(準備をするのはあんまし好きではない)
 四国へはフェリーで行く。
 フェリーなら暖かい。
高速を走ってタイヤが減ることも心配せずに済む。
オイル交換も考えないでいい。
去年は高速道路を走って行こうかと思ったが、雨にて断念。
今年は前もってフェリーを予約をしておいた。
帰りのフェリー代はすでに入金済みである。

 行き/東京有明19:10発−四国徳島13:00着のフェリー。
 2等しかないから、ちょっとハラハラしていた。
私は船酔いするタチだった。
ここで言う2等というのは、大部屋に雑魚寝のことを言う。
ザコネがわからない人は辞書を引いて下さい。
(会社の子が『雑魚寝』という言葉自体を知らなかった)

 帰り/四国高知20:20発−東京有明16:00着のフェリー。
 2等寝台だから、船酔いしても、寝台ベットでグターっとしていられる。
ここで言う2等寝台というのは、寝台列車のような二段ベットのことを言う。
(蚕棚、というのだろうか?)
 とりあえず、行きは2等だ。
船酔いは免れない。
ついでに、冬の海なのだ。
冬の日本海程ではないにしても、春よりは荒れているだろう。
私は冬のフェリーに乗ったことがない。

 前日。
ウーロン茶の2リットルペットボトルを購入した。
船酔いにはウーロン茶が効く、と私は信じている。
それから日本酒も買った。
同じく、船酔いには日本酒が効くと信じている。
それに、行きのフェリーは”がんじ”さんと”しかた”さんが一緒なのだ。
なにはなくとも酒だけは持っていかねばなるまい。
 ワイルドターキーも買った。
三年近く前に”がんじ”さんのワイルドターキーをガバ飲みしてしまったからだ。
 日本酒・ウイスキー・ウーロン茶。
これだけあれば大丈夫だろう。

 十二月三十日当日。
私は朝の十時過ぎに目を覚ました。
 荷物を集める。
 バイクに乗せる荷物には、寝袋(×2)、コンロセット、着替え。テント。
途中でコンビニメシを二食か三食買おう。
聞いたところによると、有明徳島のフェリーは食堂がなくて、カップラーメン券をくれるらしい。
カップラーメンなんて食べたら間違いなく船酔いする。
 買いそろえた船酔い防止飲料は、バイクにくくりつける荷物には入れなかった。
少し大きめのザックにコップや温泉セットと一緒に入れる。
 金品と金券とフェリーの券はウエストポーチに入れる。
 よし、準備は万端だ。
 バイク用荷物をバイクに乗せ、ザックを玄関においた。
それから、昼飯を用意した。
スパゲッティペペロンチーノ。
スパゲッティは腹持ちすると聞いているから。

 すでに十二時近くなっていた。
当初の予定では十二時家発・有明フェリーターミナルに四時半着だった。
(フェリー出発の二時間近く前に着いていなければならない)
大抵の場合は、我が家から有明まで四時間もかからない。
だが、私は四時間かかった実績の持ち主だった。
 すでに十二時を過ぎている。
 でも、きっと大丈夫よ。
今日は道も空いているだろうし、関越で練馬まで行って、環七を右に曲がってずーーーーーっと行けばいいんだから。
(でもその道順は四時間かかったときに予定していたものと同じだった)

 スパゲッティを腹いっぱい食べてから、服を着る。
 寒いだろうから、とタイツを履いた。
ハイソックス一枚、厚手の(山用)靴下を一枚。
バイク用のブーツを履く予定だった。
なにしろ、あのブーツは暖かい。
しかしふくらはぎがきついから、靴下はこれ以上履けない。
靴の中敷きカイロも持ったが、東京までだから今日は必要ないだろう。
 上はまずTシャツ(半袖)。
その上に長袖ハイネックの黒いコールテン(コーデュロイというのか?)のシャツ。
黒は重要だ。
白なんて着た日にゃ、帰ってきてから着れなくなってしまう(排気ガスで汚れるから)
 黒いシャツの上に、セーター(山用)。
ボロく汚い。
風をすかすか通す。
その上にだいだい色のウインドブレーカー。
チャックが首のところまでくるやつだから、結構暖かい。
夏は、半袖の上にこのウインドブレーカーを着る。
 で、一番上には真理ちゃんからもらったバイク用のジャケット(裏付)を着た。
これはやはり暖かい。
 それからマフラーをした。
月光仮面のように。
でも、今日は昼間だから暖かいかもしれない、と思いなおし、首のところまで下ろした。
伸びる手袋をしてヘルメットをかぶった。
ヘルメットのバンドを締めて、風避けのメガネをかける。
陽が当たると色の変わるメガネだ。
会社に行くときは東に向かうから、朝日に輝いてサングラスになる、というアヤシゲナメガネだった。
 それからウエストポーチをして、ザックを背負った。
 玄関を出た。
 エンジンをかけてから、スキー用の手袋をする。
 えんしょえんしょ、とバイクを押して、公道に出た。
スタンドを出す。荷物が大きいため、ステップに乗らなければ、シートを跨げないのだ。
 はあ、と息をついて、バイクにまたがった。
 さあ、出発だ。


 鶴ヶ島インターまでは約二十分。
エッソの手前のコンビニで食料を買い込もう。
 家を出て、左折右折交差点直進直進、汚水処理場の横を抜けて突き当たりを左折交差点直進。
県道川越日高線を真っ直ぐに進み、ブックセンターひまわりの横を抜けて、どんどん進む。
高麗小学校の前を過ぎた辺りから、いくらか混雑してきた。
まあ、いいさ。
 前の車にくっついて私は野猿田の交差点を左折した。
 前を走る白い乗用車は速かった。
なぜか知らないが、どんどんと離される。
それほどスピードが出ているようには見えないのに。
バイクの調子が悪いのかな、とか思いつつ、アクセルを開ける。
だが、富士見台幼稚園入口で左から出てきた車に行く手を阻まれる。
白い乗用車はどんどん離れてしまった。
追いつくのは無理そうだ。
 私は諦めて普通スピードで走った。
ちょっと急いだところで、フェリーターミナル着時間がそう変わるワケはない。
三芳SAでトイレ休憩を取らなければいいだけのことだ。

 車がいた。
左の道から出ようとしているところだった。
軽トラだ。
そのうしろにも一台並んでいる。
軽トラは一時停止していた。
目を引くような車ではなかった。
私はその軽トラの前を通り過ぎようとした。
軽トラが発進した。
距離は? ブレーキをかける。
間に合わない。
距離は? なんて思うほどの距離もなかった。
軽トラのミラーが、左手のそばにあった。
 ガツン、と音がした。
 多分、音はしたと思う。
 一度、地面に頭をぶつけたのは覚えている。
 目を開いた。
 地面に倒れていた。
 うーん、やられた。
 起きあがれなかった。


 目の前には畑があった。
左手を下に倒れている。
人が集まってきた。
起きあがろうと、腕に力を入れたが、力が入らない。
ここで起きあがれても、フェリーには乗れないだろうなぁ、なんて考えた。
下になっている左側の腰やら腕が痛かった。
倒れたまま右手でヘルメットのバンドをはずす。
あれ、顎のところにヘルメットがない。
そうか、ジェットヘルだったっけ。
マフラーをずらした。
メガネをはずす。
人が集まってきた。
間抜けだなぁ、と思った。
左手が痛かった。
スキー手袋をはずす。
伸びる手袋もはずした。
小指の付け根が切れている。
誰かが救急車を呼ぶように言っていた。
目の前に立っているおじさんが言っているようだ。
二、三人か、もっと多くの人が立っていた。

 目の前のジャージのおじさん、あれ?
「佐藤さーん、痛いよー」
 おじさんが地面に倒れている私を見た。
「え、岡村か?」
 おじさんは同じ会社の設計部長の佐藤さんだった。
 どうしたんだ、と聞くから、これから四国に行く途中だったんです、と言った。
横から出てきた女の人(佐藤さんの奥さんだった)が、「四国から来たの?」とか聞いていた。
佐藤さんがうちの会社の子だ、と説明している。
 私はもぞもぞと動いてザックを肩からはずした。
それをマクラ変わりに頭を乗せる。
そういえば、ザックの中身は大丈夫だろうか。
ペットボトルはいい。
日本酒も紙パックだ。
 ワイルドターキーはどうなったのだろうか。
 想像してみる。
ワイルドターキーのビンが割れて、ザックからウイスキーの匂いがした、と想像してみる。
車にはねられただけでも間抜けなのに、ザックからウイスキーがもれていたら輪をかけて間抜けだ。
「ワイルドターキーが割れてるかもしれない」と私は言った。
 誰かが地面にこぼれているシミを指して、ウイスキーがこぼれている、と言った。
 私はどうにか首を回して、地面を見た。
バイクを起こしてくれたらしい。
その近くの地面にシミがあった。
 いやいや、それはガソリンですよ、と私は返事をした。
 動けないままで。
 ウイスキーの匂いはしない。
良かった。
妙に助かったような気分になった。


 サイレンの音が聞こえる。
 救急車が到着した。
 ヘルメットを見て、消防署員が頭を打っている、と言っていた。
目撃者の誰かが、飛んだから、と言うのが聞こえる。
頭を打ったか、と聞かれたから、一度は打った、と答えた。
こんなに元気な人間がいていいのだろうか。
でも、倒れたままだし、担架まで出してくれたのだから、運ばれていくしかない。
 佐藤さんがバイクと荷物は預かっておくから、と言った。
じゃあ、お願いします。あとで電話します。はい、家には病院から電話しますから。
 そんなことを言いながら、私の横には担架がおかれた。
二つに割れている型だ。
ケガ人を持ち上げずに、担架に乗せられるようになっている。
半担架と半担架で私を挟むようにする。
それから、金具(それは見ていない)で半担架同士を固定し、持ち上げるのだ。
「佐藤さん、電話番号教えて下さい」
 私は持ち上げられてから叫んだ。
「85の1234よ」
 と奥さんが返事してくれる。
「覚えられませーん」
 私は叫んだ。
 そのまま救急車に乗せられた。
 メチャクチャ間抜けだ。


「ウエストポーチはずせますか?」
 消防署員の兄ちゃんが言った。
 私はウエストポーチの位置を考え、どうにか右手でバックル(?)の位置を探し出し、ウエストポーチをはずした。
動くと、車にぶつかったと思われる左手と、地面にぶつかったと思われる左腰が痛んだ。
だが、痛みは打撲の痛みだった。
 消防署員のおじさんが、佐藤さんから電話番号を書いたメモを受け取ってきた。
荷物に入れてもらう。
「上着脱げますか?」
 そりゃ、脱ぐこともできるけど?
 とりあえず、チャックをおろした。
だが、消防署員のお兄さんが取り出したのは、血圧計のようだった。
私はチャックを下ろす手を止めた。
「上着脱いでもまだかなり着ていますけど?」
 着ている服を列挙しても良かったが、じゃあいいです、と兄さんが答えたため、自己主張はしなかった。
消防署員の兄さんは諦めて手首で血圧を測ることにしたらしい。
袖をちょっとまくって、血圧計のバンドを手首にまく。
 うーん。
血圧高いだろうな。
初献血のときだって、いくらか血圧高くなっていたんだから、こんな事故した直後じゃ・・・。
「117の78です」
 おいおい、これじゃいつもと変わらないじゃないか。
 他の誰かが消防署にでも連絡しているのか、運転席の方から話す声が聞こえた。
顔色正常、うんたらかんたら。
「A病院でいい?」
 えっ、Aさん?
 だって、あそこじゃ会社のすぐ近くじゃない。
それに飯能だと会社に連絡いっちゃうし
(すでに飯能警察署の管内なので、どこの病院にいっても同じだということに気付かなかった)
「他は?」
「いや、電車で帰るとしたらあそこが便利かと思って」
と消防署員のおじさんが言った。
そうですね、と思いつつ「あとはB病院かどっちかになるけど」おじさんの言葉に「Aさんでお願いします」と返事をした。
 救急車に乗って病院を選べるという話は聞いていたが、本当に選べるとは思わなかった。
B病院はヤブだと評判なので(行ったことはない)Aさんの方がいい。
Aさんならよく行くから。
でも、院長先生は捻挫した足とかでもグキグキ動かして「痛いですか?」とか聞くからヤなんだよなぁ。
 これから行きたいんですが、と消防署員が携帯電話(本当に携帯電話だったのだろうか。いかにもケータイというようなもの)に向かって言う。
 なにか、ウンタラカンタラ話している。
 話がまとまったのか、車が動き出した。
救急車の下半分程シールドをした窓から、近くの雑貨屋の屋根が移動しているのが見えていた。
「今日は午前中で終わりで、今、先生がいないそうだから、これから集めるって」
 というようなことを、消防署員のお兄さんはおしゃった。
 おいおい、ちょっと待ってくれよ。
 だが、待たない。
 車はサイレンをならしながら進んだ。
 荻さんがこの前メールで、救急車の中はサイレンがあまり聞こえない作りになっている、と言っていた。
 なるほど。
 そう言われると、そんな気もする。

 私は担架ごと寝転がりながら、天井を見た。
 なかなかきれいな、新しそうな救急車だ。
天井にはライトがついている。
直径十五センチから二十センチと言ったところだろうか。
ピザを食べないから、インチではわからないけど。
 ライトには取っ手が付いていた。
なるほど、暗いときはあのライトを天井からはずして使えるのだろう。
ふむふむ。車内の広さを測りたかったが、歩くことはできないので、とりあえず、見える範囲だけで推測する。
普通のバンよりは大きいような感じがした。
座席のないバンに乗ったことがないからかもしれない。
 私のところから運転席は見えなかった。
私は運転席のすぐ後ろにいるようだ。
助手席の後ろには掃除用具入れのような扉付き棚がある。
その横が後部座席のドア、それから後部座席。
シートベルトがあったが、若い消防署員はしていなかった。
天井には両サイド一列づつ、蛍光灯が並んでいた。
車内用なのだろう。
蛍光灯自体は短い。
それが、助手席側には壁と天井のあいだに斜めになってついている。
私の真上にある運転席側では天井についていた。
どうやら、運転席側の壁にはなにかあるようだ。
だが、それは見えなかった。
救急車の中に入って観察できるのはいいが、動きがとれなくて、よくわからない。
 若い消防署員がだいだい色の大きなプラスチック箱(工具箱のような)を掃除用具入れに片づけた。
掃除用具入れではなかったようだ。
どちらかといったら、フェリーの救命道具入れのような棚だった。
 棚はすぐに閉められてしまった。

 私は聞き込みを開始した。
 救急車の中には運転手とこの若い消防署員しか乗っていないようだった。
もっとたくさん人はいただろう。
彼らはどうしたんだね?
 現場に駆けつけた消防署員は三人だった。
運転席助手席後部座席で三人だった。
 なるほど。
「農協の隣の消防署から来たんですか?」
 そうだ、という返事が返ってきた。
 他に、聞くことが思い浮かばなかった。
日に出動は何件くらいなんですか? とか、事故はそのうちの何件ですか? とか。
事故でひどいものはどんなのがありましたか、とか。
詳しいことは聞けなかった。
 若い消防署員は私に向かって言った。
「四国に行く途中だったんですか?」
 ええ、そうなんですよ。
東京からフェリーに乗って。
でも行けなくなっちゃいましたけど。
「一人で?」
 いえ、友達がフェリー乗り場で待ってるんです。
そのあとは一人で行動する予定だったが、それは言わなかった。
「友達に連絡は?」
「あとで、携帯に電話しておきます」
「電車なら行けるんじゃないですか?」
 電車だったら行かないよ、って答えてあげた。

 救急車が交差点を直進します、とか言う声が何度も聞こえていた。
窓から外を見る。
会話が途切れて、若い消防署員も外を見ていた。
 動物園の横を通る。
 飯能に入ったようだった。
宮沢湖からバイパスに入ったらしい。
交差点で、若い消防署員が外に向かって手を振るのを、私は見逃さなかった。
お子さまが手を振っていたのだろう。
今度、私も救急車に向かって手を振ってみようかしら。
 救急車はあまり乗り心地がよくなかった。
寝転がっているから、とか担架がアルミ製(ステンレス製かもしれない)で固いから、とかあるかもしれない。
揺れるのだ。
 頭を打っているため散々「気持ち悪くないですか?」と聞かれていた。
病院について車酔いしていたらどうしようか、とか思った。
 コスモとジョモの通りを走る。
 ふうん。
救急車ってのはあんまし裏道を使わないのか。
Aさんに行くなら、私はマンガ45の通りを走るけど。
 もうすぐですから、と若い消防署員が言った。
 原付で事故に会ったという、友人の妹を思いだした。
妹は看護婦で、退勤途中に事故にあったと言っていた。
彼女は自分の病院を指定し(大したケガではなかった?)病院につくと、救急車到着で待ちかまえていた同僚の前に出ていったという。

 A病院に着いた。
 知り合いがいたらヤだなぁ、なんて思いながら担架のまま救急車から降ろされる。
担架は救急車から引き出すと足が出るタイプのもので、救急車から降ろされるのに、救急車移動中の振動ほどの振動もなかった。
 静かなA病院の中に入る。
ダイエー側の入口から入ったようだ。
確か段差があったハズだが、それすら感じられなかった。
 わらわらと、医師らが集まってくる。
頭を打っている、と消防署員が強調していた。
あまり、医師他は気にしていないようだ。
立ち上がれる? と聞くので、担架の高さを調節してもらい、私は立ち上がった。
打った左大腿部から腰辺りが痛かったが、動けないことはない。
 起きあがって、上着を脱ぐ。
ウインドブレーカーも脱いだ。
ウエストポーチは消防署員がベンチにおいてくれた。
レントゲンを、と言われ、レントゲン室に入った。
こんな状況でも、置き引きされないようウエストポーチを持ってきた方が良かったかしら、とか思っていた。
 自分の体調ってのはだいたいわかるつもりでいた。
打撲くらいだろう。
切れた小指の付け根は絆創膏でも貼っておけば治る。
その程度のつもりだった。
 消防署員が頭を打っている、を強調したため、頭もレントゲンを撮られた。
腰とか手とか、何枚も撮られた。
大丈夫。いくらレントゲンを撮ったって、支払いは相手の保険会社なんだから、なんて思った。
レントゲンは高いから。
 レントゲンが済むと、診察室に通された。
いつもの診察室だったが、座っているのはいつもの院長先生ではなく、見たこともない若い医師だった。
他にもわらわらと、診察室に人が入ってくる。
若いのばかり。それも細そうなの。
前、私がA病院に通っていたころはAさんは道場のような病院だと思っていた。
先生他が皆ごっついのだ。
 なのに、今日目の前にいる方々は若い!細い!可愛い?
 院長先生はどうしたの? どうして若い人ばかりなの?
 レントゲン写真を見ながら話す。
骨は折れてないようですね。
当たり前じゃないですか先生、と言いたかった。
あの程度の接触事故で骨が折れるほどヤワな体はしていないつもりだ。
 小指の付け根は絆創膏を貼って、その上から包帯をされてしまった。
 どうして? そんな大ケガじゃないのよ! これじゃ、目立ってしょうがないじゃない!
 若い医師は言った。
 頭を打っているというから、24時間もしくは48時間は安静にして、お風呂にも入らないで、ウンタラカンタラ。
具合が悪くなったらすぐに来て下さい。
 ちょっと待ってよ! と言いたかった。
 年内禁酒遠出不可を約束されられたようなものだ。
 楽しい連休が遠退く。

 待合い室で警察官と少し話をし、会計で手続き等を聞き、がんじさんに電話を入れた。
まだ部屋にいた。
「岡村です」
誰もいないから「2号です」と付け足した。
事故会っちゃって。四国行けないんです。みなさんによろしくお伝え下さい、と。
ええ、ケガは大丈夫なんですけど、これからケーサツ行くし。
 私は涙をこらえて言った。
 四国が遠ざかっていく。
竜河洞もカルスト台地も遠ざかっていく。
 また、来年行きますよ。じゃあ気を付けて、という話をして、私は電話を切った。
 そうして、私の正月休みは終わった。


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