胡椒を使って大航海時代を授業する
『授業プラン集歴史V』(法則化中学社会編)の「不思議なマルテルスの地図―大航海時代―」(35〜36頁)の追試
(準備物)胡椒・七味唐辛子の入ったビン・マルテルスの世界地図(マルテルスの世界地図がない場合は、指示3からを省略してもよい)
「今日はあるものを持ってきました。」と言って、胡椒のビン1個を取り出す。「もう一つ持ってきています。」と言って、七味唐辛子の入ったビンを取り出す。 |
説明1 「胡椒」や「唐辛子」を「香辛料」といいますが、これらはアジアの特産物であり、15世紀になると西ヨーロッパでは、絹織物とともに大変もてはやされました。これらは貴重品で、一般の人人は手に入れることが難しかったのです。 |
板書1 香辛料・絹織物 |
発問1 香辛料を料理に使うと、どんな点がいいでしょうか。 指示1 ノートに自分の考えを書きなさい。 |
説明2 一つ目は肉が腐りにくい点、つまり保存が可能である点です。もう一つは、肉の臭みを消す点です。肉食中心のヨーロッパ社会では、肉の保存が人々の生死にかかわる重大問題だったのです。 |
発問2 香辛料をアジアからヨーロッパに運ぶにはA・Bどちらのコースが安全でしょうか。 指示2 A・Bのどちらかを選び、そうかんがえた理由をかきなさい。 |
A スペインやポルトガル←地中海←トルコ←イラン←パキスタン←インド(陸ルート)
B スペインやポルトガル←大西洋←喜望峰←アラビア海←インド (海ルート)
地図帳でルートを確認させる。
A・Bのどちらを選んだかを挙手で人数確認し、少ない人数のほうから理由を発表させる。
説明3 この時代、外洋で航海することは大変危険だったのです。 波も荒く、船は難破することも多かったのです。それにもかかわらず、スペインやポルトガル人はBコースつまりアフリカ周りで香辛料を運ぼうとしたのです。 |
発問3 スペインやポルトガルの商人たちは、わざわざ危険なアフリカ周りのコースで香辛料を運ぼうとしたのはなぜですか。 指示3 ノートに自分の考えを書きなさい。時間は3分です。 |
3分後、挙手で発表させる。
説明4 当時地中海を支配していたのはイタリアの商人たちでした。彼らはアジアの産物である香辛料や絹織物を、イスラム商人を通してヨーロッパに輸入し大きな利益を上げていました。 そこで、スペインやポルトガルの人たちはイタリアの商人を通さずにアジアと直接貿易をしようと考えたのです。その結果、次々と新しい航路が開かれていくのです。 |
次のように板書する。
板書2 1492年 コロンプス、西インド諸島を発見 1498年 バスコダ・ガマ、インドに到着 1519年 マゼラン、世界一周に出発 |
板書2のコロンプスのところを黄色のチョークで囲み、次のように指示する。
指示3 地図帳で、西インド諸島を探しなさい。見つけられたら、マルで囲みなさい。 |
全員できたのを確認した後、次のように話す。
説明5 コロンブスは、アメリカ大陸に近いこれらの島々をインドだと信じたのです。どうして、これらの島々をコロンブスがインドだと信じたのかを考えていきます。 |
マルテルスの世界地図を配布する。
指示4 アメリカ大陸を探しなさい。 |
どこを指してよいのか分からない生徒の名前を呼び、正解であることを告げる。さらに次のように説明する。
説明5 この地図は、1489年にドイツ人のマルテルスという人が作ったものです。この頃、ヨーロッパ人の間では、アメリカ大陸は知られていません。だから、地図にはアメリカ大陸はないのです。 コロンブスは、ヨーロッパから、西へ西へと進めば、インドにつくと信じていたのです。当然ですね。ヨーロッパ人にはアメリカ大陸が存在しないのですから。アメリカ大陸には、「インディアン」とか、「インディアナポリス」とか、インドに関係ある言葉がずいぶん残っているのです。 |
その後、教科書や資料集で、マゼランとバスコダガマのコースを指でたどらせ、これ以後、ヨーロッパ人の海外進出が盛んになったことを話して授業を終える。
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