書簡集リスト
                                             Feb.2 午前10:53
 今フルブライトのことで手紙を書き終わったところ、急に東京のある出版社から電話が来ました(一瞬の差もなくです)。
 それは私の留学のとき向こふで一冊全部訳した『妹と私』についてで、一部ではあるが引用として出版したいといふのでした。それについて、出版権のことや許可の書式を近日中に送るがOKしてくれるかといふことでした。私としては30年前の労作に久々に対面し、今の電気料ヂゴクから抜けられるので、こんないいことはありません。あなたのインターネットに深く感謝します。
 この先の進展があって、自由価イコール〔ただ〕ではなく定価化し有価して行けば、私の過去の作品が勝手に売れて私を支える第Xの人生が始まるかなあ。
 あなたも若いうちにセッセと働くことですね。
 私の道場びらきは昭和39年で、ビワ湖のほとりに移転したところ、元三がとび込んで来て、あの長いZA旅が始まり、カシハラから生活保護と健康の悪化となり、八十翁になるのです。天子が生まれた生まれた60才からが老でせう。
 ではさやうなら。栄養剤や電気部品等々ありがたう。
                                                     不二
                                                       麟





とほるさん!

                                      2006年2月4日 アサ7:29
 その後思ひ出すと、東京の出版社から来た話は「著作集」のネットワーク経由のものではなく、別ルートと判りました。
 和訳本のタイトルは『陽に翔け昇る』で、この本が印刷されたのは或る独文学者の友人で、この人は一山当てようと私財を傾けたのですが、大損をしただけでした。英語版の原典は My Sister and I といふので私の訳稿はそのまま『妹と私』でした。ドイツ語の友人は私の許可なしで勝手にワケの判らぬ題にしました。
 日本語訳はそのまま立ち消えでしたが、英語版は世界中に相当読まれたやうです。
 一部の出版社の売買ですから金額は大したものにならないでせう。よみうり新聞社から出した『超越瞑想入門』を丸々百万円でマハリシのグループに売りました。ある友人は云ひました。「もったいないことをしたね。丸で捨て値ですよ。」
 著作物を売ることは下手だし、根から嫌ひなのです。
 小学校一年生の学芸会で自作の『ジャバン王とカンキ王』を監督したときは一番幸せでした。日本教文社から『こころの発見』といふ訳書を出したのは言はば処女出版ですが、ホンヤクですからつまらんものでした。ホンヤクでは自費出版の『奇蹟の人』が一番満足できたものです。私家版では『天下の奇書』がナンバーワンです。
 インフォメーション出版社から出したエロスの本は万事書き放題でしたが、社長の死であまり売れず、息子の二代目社長が『ひょうたん日記』と改題して売りを焦ったが、これも行方不明。
 物書きははかないものです。ショウバイにはならないし―。
 人材を求めてゐるフルブライトの試験をどれかに受験なさるやうにおすすめします。
                                                     不二


(B5無地・手書き7枚)




 
徹さん!