クイズとオイラ


オープン大会成績

・ホームページ作ってるプレイヤーがみんな書いてるオープン大会全成績。まさに自己満足。読んで楽しいヤツはいるのか?しかも化石化した戦歴ばっかだ。しかしこうして省みると、徐々に自分がクイズやる気なくなっていく過程が如実に分かってしまう。これ以上大会参加しても成績しょぼくなるだけなんで、今後大会参加したとしても、無かった事にするかも。

年月日 大会 予選結果 最終結果 備忘録
1993.12.18 第1回関西学生クイズオープン 37位 2ラウンド敗退 1回生の時、初めて参加したオープン大会。この頃はまだタマゴン長束さんをすごい人だと思っており、実物を見たときは感動したものだ。
1994. 8. 2 第2回関西学生クイズオープン 8位 3ラウンド敗退 ペーパーは上位で抜け、2ラウンドも1抜け。嬉しさのあまり発狂し、3ラウンドはむちゃくちゃだった。
1994.10.15 クイズナゾラーカップ 15位 決勝進出(4位) タマゴン長束の大会。決勝であの小林聖司さんや門田さんと戦ったことは、当時死ぬほど嬉しかった。
1994.12. 3 第12回Man of the year 17位 3ラウンド敗退 初めて参加したマンオブ。3ラウンドのタイムショックみたいな運が大きく作用する形式で、結局サドンデスの末負けた気がする。ギロチン押しを生で見れたのは収穫だった。
1994.12.17 第3回関西学生クイズオープン 8位 決勝進出(3位) 決勝でバカ押しばっかりの久保Ryuに負けたのは失敗だった。今思えばこの時が全日本優勝の最大のチャンスだった。
1995. 3.18 第4回一橋オープン 29位 決勝進出(4位タイ) アスワンさんとともに関東上陸。田中伸之には衝撃を受けた。しかしこの頃の関東の大会はホント杜撰で、準決勝の時も主宰者がプレイヤーの名前を把握せず、「えーと、左から1番、2番、3番…とします。えー、4番の方勝ち抜けです。」てな具合。今では考えられない。古き良き時代。
1995. 4.29 クイズアスワンカップ 6位 4ラウンド敗退 名古屋では日本開闢以来初めてのオープン大会。4ラウンドでほとんど押せなかったのがショックで、これ以後図書館に通ってクイズ勉強するようになる。
1995. 7. 1 第4回全日本クイズ選手権 9位 決勝進出(4位) ペーパーが9位しか取れなかったのがこの時はショックだった。決勝は正直波長が合わなかった。
1995.10.14 第2回久保隆二杯 5位 準優勝 準優勝は当時の力から言って出来すぎ。しかし課長は鬼のように強かった。当時の課長の強さというのは、実際に戦った者なら分かるが、筆舌に尽くしがたいほどの強さだった。
1995.10.28 ソニックカップ 8位 決勝進出(3位タイ) 自分の参加したラウンドの早押しは、明らかに別の大会の問題の使い回しだった。
1995.12. 2 第13回Man of the year 21位 3ラウンド敗退 イントロ、目で見るクイズなどいろいろあった。サイレントクイズで負けた気がする。だがもう過去の話だ。
1995.12. 9 第5回全日本クイズ選手権 8位 決勝進出(3位) 今思えばこの頃が一番クイズが楽しかった時期だ。決勝進出は最低目標。課長を倒して優勝するのが夢だったが、あえなくはね返された。
1996. 2.24 ホリケ・キムラ杯 12位 3ラウンド敗退 公務員試験勉強の合間に参加したが、いいところなく敗退。この後、スーパープレイヤーの会の解散を知る。大した感慨もなかった。
1996. 8.31 第6回Ryu杯 9位 3ラウンド敗退 Ryu杯に参加したのは後にも先にもこの時だけ。司会のRyuさんの軽妙なMC、絶妙のタイミングで客席から飛ぶ合いの手。紙一重の難易度設定。まさにクイズ大会の理想型だ。
1996.10.12 K-1 GRAND PRIXV 1位 優勝 当時関東の大会はサル問というイメージが根強く残っていたため大して期待していなかったが、いい大会だった。決勝でアッキー秋田を完封出来なかったことが悔やまれる。
1996.12. 7 第14回Man of the year 11位 優勝 最後のマンオブだったんで勝てて良かったよ。マンオブっていうのは準優勝しても名前残らないからねえ。
1996.12.21 第6回全日本クイズ選手権 11位 2ラウンド敗退 最後の全日本だったが、2○2×で「負けるんじゃねえかなあ」と思ったら案の定負けた。しかしこの時点でまだ卒論1文字も書いていなかった。
1997.10.11 K-1 GRAND PRIXW 1位 ベスト8 準々決勝でクール大倉に負けた。ムレネコの優勝した時のサムいリアクションは今でも語り草となっている。
1997.11.15 1997クイズマスターズ 1位 準優勝 一定のレベルの大会での優勝、準優勝者はシードという形式だった。その選考方法にスズSyuが疑問を投げかけたことでも知られる。
1997.11.23 課長杯 1位 ベスト8 準々決勝で沼田に負けた。知識的にはこの頃が一番安定していた気がするが、もう早押しができない体になっていた。
1997.12,20 第2回同志社オープン 2位 優勝 なぜ優勝できたのかは今もって不思議だ。ロートルでも運さえあれば何とかなるということの証左。
1998. 3.21 デカダンスカップ3 2位 準決勝進出 クリシュー主宰による大会。準決勝で飛んで終わった。アンニュイな雰囲気の大会だった。
1998. 3.22 デカダンスカップ2 3位 決勝進出(4位) 沼田主宰による大会。会場が辺鄙だったことが印象深い。この4位がロートル最後の金字塔。
1998. 3.28 ドン・トシキ杯 1位 決勝進出(4位?5位?) ドント式と利樹をかけたというセンスのかけらも感じられないネーミング。Ryuさんの優勝の瞬間の、会場の何とも言えないあの脱力感は忘れられない。
1998. 5. 3 DDT 4位 準優勝 グーチョキパンチョの大会。新幹線に乗り遅れ、遅刻。清水大輔のプロデュースに成功。
1999. 2.20 堀江亮次杯FINAL 1位 準決勝進出 決勝はスルーばっかだった。準決勝でガワユーがむちゃくちゃやった。
1999. 7.24 草カップ 3位 準決勝進出 広島の大会。またしても遅刻しそうになり、アスワン夫妻に救ってもらった。準決勝でイケシノに負けたのはイタかった。貞雄に負けたアッキー秋田よりはマシか。
1999. 9.18 MONKEYS CUP2 3位 4ラウンドくらいで敗退? サル問を主体とした看板に偽りなしの大会。早押しで飛んで終わった。
1999.10.23 第4回久保隆二杯 8位 2ラウンド敗退 日本シリーズ第1戦が気になってクイズに集中できなかった。日本シリーズがなければ軽く優勝していたのに。実に無念だ。


テレビ番組

年月日 番組 備忘録
1986. 3 天才クイズ CBCの世界に誇る長寿番組。出てみて初めて、斎藤ゆうこが伊達メガネであることを知った。天才賞を獲得したら天体望遠鏡でももらおうかと思ったが7問目であえなく敗退。何しろ田舎のこと。一緒に出た友人とともに、しばらくは小学校の有名人となった。
1995. 2.12 史上最強のクイズ王決定戦 番外編 全国を電話回線で繋いで行われたよく分からん番組。名大から5人参加できることになり、おかげで参加した。鳥羽水族館までマイクロバスで移動。○×の仏壇の長谷川問題で敗退。でも最後の100万円山分けクイズで勝ち残っていたため、後に11,000円が支給された。川島なお美、芸能人ぶってやなヤツだった。車だん吉が来ていなかったのが残念。ヤーリーを生で見れたのが収穫。
1995. 6. 4 パネルクイズアタック25 最初はパネル取り間違えたり誤答したりむちゃくちゃだったが結局19枚で優勝し、アメリカも行った。児玉清の「ウミウ、逆から読んでもウミウ」という寒いギャグは放送ではカットされていた。
1998.12.31 20世紀クイズ王決定戦 名古屋港、死ぬほど寒かったよ。でも青田典子はむっちゃいい人。本戦では結局32位だった。同じ係の人がビデオ撮っており、職場のビデオで鑑賞会していた時は人生の中でもベスト10に入るくらい恥ずかしかった。