日本的霊性
鈴木大拙:岩波文庫,1972年初刷、2015年52刷 (780円) 
(2015-7-21)作成

絶対の「念仏」と絶対の「歩行」について……

1972年に文庫化されている。それから45年間、書店の岩波文庫コーナーには何度となく足を運んだはずが、一度としてその存在に気がつかなかった。そんな文庫に、たまたま最近、Bookoffで出会った。なんと刷を重ねて52刷、長く多くの人々に読みつがれてきたものであることが分かる。偶然であるが、出会えてよかった一冊となった。

■国内外を巡礼歩きしている。なぜ歩くかという他者の問い、さらには自らの問いに答えることが出来ない。その問いへの明快な答えを読み取ったような気分である。日本全国に渡って観音参りを中心とした巡礼地は多くある。しかし元々仏教が最初に根付いた京都・奈良には巡礼地は少ない。どちらかというと四国遍路のように僻遠の地を行くというのが、巡礼と見られている。近畿圏全域に渡る西国三十三観音において、京都市内中心部に位置する札所は「清水寺」「六波羅蜜寺」「六角堂」「革堂」だけだ。
 日本人の霊性が目覚める鎌倉時代以前の仏教は、教養であり、政治であり、せいぜい貴族達の心の平安のためであった。だから、京都は巡礼地ではない。著者、鈴木大拙は「渡来したのは仏教儀礼に過ぎず、鎌倉仏教は外来性を持っていない」と断言する。庶民の日本的霊性を根源として苛烈な生活を生き抜くことそのものを「念仏」の一念に込められている。本書の後半に「妙好人」として、念仏人の極致とも呼ぶべき人々が紹介されている。彼らにとっては、「往生」が目的ではなく、「念仏」が「往生」の方法ではない。これを巡礼に敷衍する。一般論としてサンテイアゴ巡礼にとって、その目的はサンティアゴ・コンポステラ大聖堂のヤコブの聖遺物に触れて祈ること、その祈りがかなうことにあるとしてよいだろう。その目的のための方法が「歩くこと」となる。毎日ひたすら歩いているとき、前述の目的が、目的であると感じられなくなる。一日歩き疲れて、目的地は遥か遠い。それでも「今日の道は良かった」「明日また歩こう」と思う。それは、妙好人「才一」のすべての想念が生きながらの「念仏」にのみ飽和して、往生への希求がまったくないのに似ている。この「念仏」と、私の歩きはその純粋さにおいて、次元は異にしてはいるが、同様のものだと感じた次第。

■文中に念仏に関して、以下の記述がある。
 浄土系思想の中心は念仏であって極楽往生ではない。念仏が方法で往生が究極のように、浄土信者はいずれも思っているが、念仏なしの往生はないのである。念仏→往生と続き、往生→念仏と続くとすれば、念仏即往生で、往生即念仏である。しばらく此の世と彼の世とを対照させる意識の上で、念仏から往生へうつるように言いなすが、それは分別上の計らいの話である。念仏のほかに往生があるものなら、念仏のほかにまた往生の途がなくてはならぬ。念仏して往生するとすれば、念仏のところに極楽あり、往生ありとしなくてはならぬ。それが念仏三昧の生活である。念仏しつつ往生を考えていては、その念仏は純粋性をもたぬ、絶対の念仏ではない。法然上人は蓬生坊に教えて、「念仏の行はかの仏の本願の行にて候」と言い、また「ただ本願の念仏ばかりにても候べし」と言っている。

■これを巡礼と読み替えると、次の文章が出来上がる。この「念仏」と「歩き」のアナロジーという着想がすっかり気に入ってしまった。

……
巡礼行動の中心は歩行であって、赦免昇天ではない。歩行が方法で赦免昇天が究極のように、信者はいずれも思っているが、歩行なしの赦免昇天はないのである。歩行→赦免昇天と続き、赦免昇天→歩行と続くとすれば、歩行赦免昇天で、赦免昇天歩行である。しばらく此の世と彼の世とを対照させる意識の上で、歩行から赦免昇天へうつるように言いなすが、それは分別上の計らいの話である。歩行のほかに赦免昇天があるものなら、歩行のほかにまた赦免昇天の途がなくてはならぬ。巡礼して往生するとすれば、巡礼のところに天国あり、赦免ありとしなくてはならぬ。それが歩行三昧の生活である。歩行しつつ赦免を考えていては、その歩行は純粋性をもたぬ、絶対の歩行ではない。

 
「歩くだけでいいんだ。」


……以下、文中のキー・ワードを引用する。


■日本的霊性
 霊性の日本的なるものとは何か。自分の考えでは、浄土系思想と禅とが、最も純粋な婆でそれであると言いたいのである。それはなぜかと言うに、理由は簡単である。浄土系も禅も仏教の一角を占めていて、その仏教は外来の宗教だから純粋に日本的な霊性の覚醒とその表現ではないと恩われるかも知れない。が、自分はだいいち仏教を以て外来の宗教だとは考えない、従って禅も浄土系も、外来性をもっていない。なるほど仏教は、欽明天皇時代に渡来したという。しかし渡来したのは、仏教的儀礼とその付属物であった。
 神道各派が、むしろ日本的霊性を伝えていると考えてもよかろうか。が、神道にはまだ日本的霊性なるものがその純粋性を顕わしていない。それから神社神道または古神道などと称えられているものは、日本民族の原始的習俗の固定化したもので、霊性には触れていない。
…日本的霊性でなければ、この飛躍的経験は浄土系思想の中に生れ出なかったのである。浄土系思想は、インドにもありシナにもあったが、日本で初めてそれが法然と親鷺とを経て真宗的形態を取ったという事実は、日本的霊性即ち日本的宗教意識の能動的活現に由るものといわなければならぬ。
 仏教は、鎌倉時代に来るまではまだ十分に日本的霊性の所産とならなかった。伝教大師や弘法、大師もなかなかえらいお祖師で、こんなお方が素地を作っておかれなかったら、鎌倉時代のために機縁が出来あがらなかったと思うが、それでも天台や真言は日本国土の中までは浸透しなかった、上層部だけの概念的なものでしかなかった。なるほど真言は(天台もその中に入れて)、「神道」と戒る種の抱合を遂げたことによりて、修験道なるものが発展した。修験道は、一方では神道であり他方では仏教である。日本的霊性の外郭に触れたものと言ってよい。真言は或る意味では日本民族の宗教意識を握っている。しかし真言の最も深いところはインド的である。概念性に富んでいるので、日本人の多数はそこまでは十分に到り得ない。かえってその外郭の相貌を捉えて、それに或る方面の神道的解釈を加えて、それで霊性の効能力が十分に出たものと考えている傾きがある。鎌倉時代になって、政治と文化が貴族的・概念的因襲性を失却して、大地性となったとき、日本的霊性は自己に目覚めた。

■何かというと泣いている
 『万葉』が平安以前の日本的情緒と言えるなら、『古今』を以て平安人の情調と言われるであろう。『古今集』二十巻のうち、自然を歌ういわゆる四季の歌が六巻、恋歌が五巻を占めている。物質に恵まれた貴族生活の行楽遊戯的気分のいかに横溢していたかがわかるではないか。そして彼らのいかに涙多いことよ。何かというと泣いている。彼らの長袖はいつも濡れている。『源氏物語』のような文学的作品は世界にないと言うが、こんなもので日本精神が--それがなんであるにしても--代表されては情けない。思想において、情熱において、意気において、宗教的あこがれ・霊性的おののきにおいて、学ぶべきものは何もない。これらの女性およぴさまざまの日記・物語類の作者を出した平安文化は優雅で、或る意味の上品さを示したということのほかに、まず取り柄がないと言ってよい。

■大地の霊
 天に対する宗教意識は、ただ天だけでは生れてこない。天が大地におりて来るとき、人間はその手に触れることができる。天の暖さを人間が知るのは、事実その手に触れてからである。大地の耕される可能性は、天の光が地に落ちて来るということがあるからである。それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間--即ち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。大宮人は大地を知らぬ、知り能わぬ。彼らの大地は観念である、歌の上、物語の上でのみ触れられる影法師である。それゆえ平安の情緒は宗教とかなりに隔たりのあるものである。仏教者という人々のあいだでも、宗教は出世の媒介にこそなれ、自分の心の奥へ分け入る枝折にはならなかった。南都北嶺の仏教、いずれも人間的真実性を欠いている、直接に大地に触れていないからである。四百年の冬眠はずいぶん長いが、歴史的・政治的・地理的諸条件は、それを余儀なくせしめた。

■鎌倉文化
 武家の強さは、大地に根をもっていたというところにある。武家はいつも大地を根城としていたのではない。武家は腕力はある、武家と腕力とは離れられぬ。が、大地に根ざさぬ限り、腕力は破壊する一方だ。公卿文化は、繊細性の故に亡ぴる。武家文化は、その暴力性・専横性などの故に亡ぴる。腕力と大地とは一つものではない。腕力だけしかないものもある。公卿たちでも大地が顧みられていたら、平安時代のようなことはあるまい。この点を深く考えなければならぬ。平安時代に取って代った鎌倉武士には、カもあり、またそのうえに霊の生命もあった。カだけであったら、鎌倉時代の文化は成立しなかったであろう。鎌倉文化に生命の霊が宿っていたということは、その宗教方面に見られる。平安時代は、あまりに人間的であった。鎌倉時代は、霊の自然・大地の自然が、日本人をしてその本来のものに還らしめたと言ってよい。

■蒙古襲来
 日蓮宗は、蒙古来襲と恩想的に関連をもっているので、政治的色彩、即ち愛国的情趣・国家主義というようなものを添加している。鎌倉時代を特徴づける一因子は対外性であるので、おのずから日蓮宗のようなものも出来た。そうしてまた他方に伊勢神道の源泉となるべき『神道五部書』が書かれた。両部神道は仏教の方面から神道を見たもの、『五部書』は神道の方から、仏教などによりて外から伝えられ与えられたものを、いわば日本思想的に統一せんとしたものである。…神道思想を刺戟して、自覚を高めしめた一つの外的因子は、これまた蒙古来襲であると思う。平安時代このかた東方アジアの孤島で桃源の夢を食っていた我らの祖先が、急に敵性をもった外カが加わってくるのを見て、自分というものを見直さねばならなくなった。国家に由緒ある神社に祈祷を捧げるもさることであるが、思想的に神社を存在せしめているものはなんだろうかと考えることもまたしなければならなかった。

■念仏
 働きかけてくる無礁の慈悲の光の中に、この身をなげ入れるということが真宗の信仰生活であると、自分は信ずる。此の土の延長である浄土往生は、あってもよしなくてもよい。光りの中に包まれているという自覚があれば、それで足りるのである。念仏はこの自覚から出るのである。念仏から自覚が出ると言うのは、逆である。とにかく、まず無辺の大悲にひとたびは摂取せられなければならぬ。そしてこの摂取は自分が深く大地から出ているものであるというところに感ぜられる。此の世の憂さもつらさも、悉く大地を離れて、みずからをのみ生きんとするところからくるということを覚悟しなくてはならぬ。此の世が苦しいから彼の土へ往きたいというは、真宗の本義ではない、日本的霊性の特異性でない。これは通俗化した信仰で、他力の真相ではない。それは貴族文化の残浮である。
 浄土系思想の中心は念仏であって極楽往生ではない。念仏が方法で往生が究極のように、浄土信者はいずれも思っているが、念仏なしの往生はないのである。念仏→往生と続き、往生→念仏と続くとすれば、念仏即往生で、往生即念仏である。しばらく此の世と彼の世とを対照させる意識の上で、念仏から往生へうつるように言いなすが、それは分別上の計らいの話である。念仏のほかに往生があるものなら、念仏のほかにまた往生の途がなくてはならぬ。念仏して往生するとすれば、念仏のところに極楽あり、往生ありとしなくてはならぬ。それが念仏三昧の生活である。念仏しつつ往生を考えていては、その念仏は純粋性をもたぬ、絶対の念仏ではない。法然上人は蓬生坊に教えて、「念仏の行はかの仏の本願の行にて候」と言い、また「ただ本願の念仏ばかりにても候べし」と言っている。

■地獄必定
 浄土系の人のよく言う「地獄必定」とは、生死の彼方に在るのではない。浄土と同じように、どこか十万億土--浄土が西なら地獄は東かに在ると思ってはいけない。それは平安文化伝来の不徹底な思想である、地獄も極楽も此の土に在るとは言わぬが、此の土に対する認識の不足からくる見方である。我らの考えが大地遊離的方向に進むと、そこに地獄も極楽もあるが、我らは大地そのものであるということに気付くと、ここが直ちに畢覚浄の世界である。考えそのものが大地になるのである、大地そのものが考えるのである。そこに大悲の光がひらめく。大悲のあるところが極楽である、それのないところが地獄必定である。真宗の信仰の極致がここに在る。

■超個の人
 超個の人は、既に超個であるから個己の世界にはいない。それゆえ、人と言ってもそれは個己の上に動く人ではない。さればと言って万象を撥って、そこに残る人でもない。こんな人はまだ個己の人である。超個の人は、個己と縁のない人だということではない。人は大いに個己と縁がある、実に離れられない縁がある。彼は個己を離れて存在し得ないと言ってよい。それかと言って、個己が彼だとは言われぬ。超個の人は、そんな不思議と言えば不思議な一物である。
 この超個の人が本当の個己である。『歎異紗』にある「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鴛一人がためなりけり」と言う、この親鸞一人である。また『百条法話随聞記』にある「この界にわろき者はわれ一人、地獄へ行くもわれ一人、浄土へまいるもわれ一人、一切みな一人一人と覚えにける」というこの一人である。真宗の信者はこの一人に徹底することによりて、日本的霊性の動きを体認するのである。…これは実に親鸞聖人の個己の霊性の上に生じた出来事であった。超個己の人--この場合では弥陀の本願--は、いつも個己の霊性を通して自己肯定を行ずるものである。…平安時代までの日本人の夢にだもうかがい知らなかった境地であった。「皮膚脱落してただ一真実のみあり」というこの一真実が即ち一人なのである。この一人は大地によりて象徴せられるが、いちばん手近なのである。大地の具体性が即ち一人の具体性--他のものではどうしても置換えられぬ性格--である。

■清浄な生活の否定
 彼(親鸞)が今までのいわゆる清浄な生活--観念性にのみ富んでいて、その中にはなんらの実証的なものを含まない生活--に甘んじなかった事由は、その念仏を人間一般の生活の上に働き出ださんと欲したからである。然らざれば何のための「肉食妻帯」か、わけがわからないのである。彼は聖道門と浄土門との区別を、ただ「肉食妻帯」するとかしないとかいうところ、専修念仏と然らざるところにのみ見んとしたのではないのである。彼は実に人間的一般の生活そのものの上に「如来の御思」をどれほど感じ能うものかを、実際の大地の生活において試験したのである。ここに彼の信仰の真剣性を見出さなければならぬ。彼には出家とか在家とかいうものはなかった。或いはなお当時のイデオロギーを全然脱却し得なかったにしても、彼の念仏観・信心意識には、もはや旧時の「清浄な生活」などいうものはなかったのである。「煩悩織盛」とか「地獄必定」とかいうのは、何も生活形態の外貌にのみついて言われるものではなかったのである。それ故に彼は概念性の生活をなんの躊躇もなく振り捨てたのである。

■アブスルドゥム
 この矛盾が霊性的直覚を性格づけている。矛盾であるから信が成立する、矛盾のないところに信はないとも言える。キリスト教神学者に「アブスルドゥムだからクレドだ(背理だから、私は信ずる)」と言ったものがあるが、その通りである。親鸞の随順は信で成立する、信は非随順で成立する。これほどアプスルドゥムなことはない。霊性的直覚が分別智の定規で計られぬというはこの意味である。「念仏には無義をもて義とす」という、親鸞の念仏はここから出発して、初めて「よき人の仰せ」が成立するのである。

■妙好人の往生感
  浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる人を妙好人と言っている。彼は、学問に秀でて教理をあげつらうというがわの人でない。浄土系思想をみずからに体得して、それに生きている人である。
 最も特殊と見られる一事は、才市の考えが未だ曾て死後の往生に及ばぬことである。死んでから極楽へ引きとられるから此の世の悩み苦しみ等はさもあらばあれと、一言もそれに触れていないことである。普通に念仏宗と言えば、婆婆は苦しみ、極楽はその名の如く楽しいところ、両者は対峠して相容れない。それゆえ此の世では忍順・随順など言う訓練をやって、静かに臨終をまつことにする。弥陀の本願さえ信じておれば、極楽往生疑いなしだから南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言って日々を送る、それにこしたことはないというが普通である。
 然るに才市の歌には、死んでからどうのこうのということがない。親から貰うた六字の名号で、その心は一杯になっていて、そのほかの事を容れる余地がないように見える。「さいち、こんどのつぎ正(次生)は、どこにいく。なむあみだぶつのさと(里)にとられて、なむあみだぶつ。」これが才市の後生観または往生観とも見るべき唯一の手がかりである。

■即非の論理
 鈴木大拙先生は、大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいるが、これは恐らく著者の命名であろう。しかし論理と言ったところで、宗教に関する限り、単なる概念的構成ではなくて、論者自身に宗教的体験の事実のあることが前提されていなければならない、これがないと一切の「論理」は説得性をもたぬことになるからである。『金剛〔般若波羅蜜〕経』に、「仏の般若波羅蜜と説くは即ち般若波羅蜜に非ず、是れを般若波羅蜜と名づく」とあるのが、即非の論理の由来である。ところで人間は、なぜ肯定を否定し、その上でまた肯定に戻るというくどくどしいことをせざるを得ないのかと言うと、これをしないと、或いはこうして物の真実に到達するのでないと、心が落ちつかないからである、いつも不安でいなければならないからである。例えば、我々は死というものに対して、常に不安の念をいだいている。それは--「死は死である」と無反省に肯定しているからである。これを否定して、「死は死でない」と判かれば、死を恐れる必要はない。こうして否定を経た上での「死」は、「在りのままの在る」であるから、もはや恐怖という主観的な情意の対象にならないのである。




【BOOK LIBLARY】