ピルトダウン年表 PILTDOWN A scientific Forgery Originally Published by the British Museum and Oxford University Press (C) Frank Spencer, 1990 ピルトダウン−−化石人類偽造事件 F.スペンサー 山口敏訳 みすず書房(7200円) 1996年1刷 扉辞 故イーアン・ランガム(1942--1984)の調査による |
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| ■この本を読んでも、決してすっきりはしない。かつて、ピルトダウンに関する本が発行される度に、新たな犯人が指名される。この本の結論も、また意外なものである。ザーと読んだのだが、登場人物が多く、かつそれらの主張が一貫していないので、全体の流れが把握できない。そんな状態で長く放置していたのだが、どうしてもスッキリしたくて、下の年表を作った。結果的にはこれでもスッキリはしなかった。 |
| ■ジョーゼフ・プレストウイッチ(1812--1896) ワイン商で地質学者。後年、オックスフォードの地質学教授。ピルトダウン以前における人類の歴史の古さを立証するための中心的人物で、イギリス曙石器運動の指導者。晩年、アイタムの曙石器の発掘と、これの真性性を主張し、イギリスにおいて、曙石器時代の人類が発見されて欲しいという、その後代の期待を招くことになり、ピルトダウン事件の遠因となる。別に彼が悪い訳ではない。 ■エドウィン・タリー・ニュートン(1840--1930) 1888年の秋にアマチュア化石コレクターのロバート・エリオット(1839--1909)がケント州ノースフリートの近く、テムズ川を見下ろすチョークの採掘場で発掘したギャリー・ヒル人骨が、ネアンデルタール人類の系統であると主張した。 |
| ピルトダウン擁護派 | ピルトダウン批判派 |
| ■チャールズ・ドーソン(1864--1916) アマチュア地質学者で、アクフィールドに事務所をもつ事務弁護士。ピルトダウン人骨の第一発見者。 彼が管理人をしていたバーカム荘園(マナー)に通じる並木道にある浅い溝の礫層が発掘地である。 ■アーサー・スミス・ウッドワード(1864--1944) ドースンと自身によるのピルトダウン発掘物から復元頭蓋を製作し、現生人類と類人猿をつなぐ、未発見の最古の人類であると信じた、当時大英自然史博物館の地質学部長。 ■ピエール・テイヤール・シャルダン(1881--1955) イエズス会士の若い古生物学者。彼がピルトダウン滞在するときに、なぜか重要な発掘が行われる。 ■グラフトン・エリオット・スミス(1871--1937) マンチェスター大学解剖学教授。ウッドワードの要請で、頭蓋腔カストを調べる。 ■アーサー・キース(1866--1955) 英国における第三紀人類の主導的な擁護者。王立外科医学院のハンター博物館長。 ピルトダウン人骨は彼の主張を裏付けるものとなった。しかも、発掘者の復元モデルより、さらに人類の出現を古いものとすることを裏付けるような独自の復元を行う。 ■マーティン・AC・ヒントン(1883--1961) 1921年に大英自然史博物館動物学部の副部長となる。 |
■ウィテリアム・ボイド・ドーキンス(1837--1929) |
| 西暦 | 日付 | 出来事 | |
| 1892 | オランダの解剖学者ウジェー・デュボワがジャワのトリニールに近いブンガワン・ソロの砂礫段丘でピテカントロプス・エレクトゥスと呼ばれることになる人骨を発見。 | ||
| 1893 | |||
| 1894 | この頃、プレストウイッチの影響を受けた考古学愛好家がケント州のアイタムで曙石器を発掘する「アイタム・サークル」が発生し、ハリスン、ジョーンズ、アボットらが活動。 | ||
| 1895 | ニュートンが、ギャリー・ヒル頭骨について発表する。 | ||
| 1896 | |||
| 1897 | |||
| 1898 | |||
| 1899 | |||
| 1900 | |||
| 1901 | |||
| 1902 | |||
| 1903 | |||
| 1904 | |||
| 1905 | |||
| 1906 | |||
| 1907 | |||
| 1908 | ある時 | 【ココナツ事件】バーカム・マナーの礫層での作業中に、「ココナツ」に似た形の物体が、ある労働者のつるはしに当たって砕かれた。その断片がドースン(考古学愛好家)に届けられ、ドースンはそれを分厚いヒトの頭蓋の一部と同定した。 | |
| 1909 | |||
| 1910 | |||
| 1911 | |||
| 1912 | 2月 | ドースンは、ウッドワード(大英自然史博物館地質部長)に、「ココナツ」の発見を手紙で報告し、ハイデルベルグ下顎骨に似ていると主張。 | |
| 春 | アーサー・キースはハンター記念講演で、イギリスでは、フランスのムステリアン期よりもずっと以前に現代人が出現していた可能性が高いと発表。 | ||
| 6月2日 | ドースンの元を初めて訪ねたウッドワードとシャルダンは、三人でバーカム・マナーの礫層を発掘。頭骨などを発見する。 | ||
| 夏 | さらに、ドースンとウッドワードは6月2日に発掘した頭骨に断面が一致する骨や、驚くほど類人猿的な下顎骨などを発掘する。ウッドワードは「一立方ヤードの砂礫の中で」別々の個体の化石を発見する可能性は、単に驚くべきことであるだけでなく、確率の法則に反すると考えた。彼は類人猿と人類の間をつなぐミッシング・リングを発見したと思った。 | ||
| 11月21日 | ある匿名の情報提供者によって「マンチェスター・ガーデイアン」紙に漏洩した。同紙は「それが地球上で発見された人骨の中で最古のものである可能性が高いらしい」と述べた。 | ||
| 12月18日 | ロンドン地質学会で正式発表。ドースンは発見経緯を説明。ウッドワードは10ケの断片からの復元模型を発表。エリオット・スミスは類人猿のようにアゴとヒト的な脳という、一見逆説的な組み合わせは、驚くべきことではないとした。そしてこの人骨は曙人類(エオアントロプス)と名付けられた。ランケスターは、下顎骨の復元法について発言。曙石器論支持者のアーサー・キース(ハンター博物館長)は復元が「チンパンジーに近すぎる」と批判。ドーキンス(ウッドワードの上司)は、人類が第三期に出現したという見解に反対する。ウォータストン(キングスカレッジの解剖学者)は頭骨と下顎を同一個体することに反論。 | ||
| 1913 | 4月 | デイモン社がピルトダウンの頭蓋骨カストの復元模型を発売。最初の購入者の中にアーサー・キースも含まれていた。 | |
| 7月10日 | キースはウッドワードとは異なるコンセプトで独自の復元モデルを作成し、ウッドワードと議論。提案された、そのモデルの脳容積は大きく現代人の持つ特徴が現れていて、ウッドワードのモデルよりも正しいと考える学者が出てくる。 | ||
| 8月8/10日 | 6月にドースンとウッドワードはピルトダウンの発掘を再開し、この日頭骨の左右と鼻甲介の破片を発見する。 | ||
| 8月30日 | 下顎骨に本来生えていたはずの歯を捜していたが、この日、一番重要な犬歯が発見された。発見者はたまたま訪れていたシャルダン神父。 | ||
| 10月 | ネイチャー紙上で、復元モデルと犬歯の扱いなどについて、ウッドワードとキースの論争が続く。これは「鮮新世派」と「更新世派」の争いとなった。 | ||
| 1914 | アイタム・サークルやモイアが主張する曙石器は、自然石との差異がはっきりしないので、学術的に認知されていなかったが、ピルトダウンから出た石器や骨器の年代の議論に参加し、ピルトダウンの年代が古いものと主張。ピルトダウンを自分たちの学説の証拠にしたいという動きでもある。 | ||
| 1915 | 1月 | ドースンは、発掘の範囲を拡張し、第二の個体(ピルトダウンU号)を発掘。この発掘の正確な記録は保存されていない。 | |
| イギリス国内では、ピルトダウン原人の存在は認知されつつあった。 イエールのピーボディ博物館のジョージ・グラント・マカーディーが「サイエンス」に「自然は科学者に対していろいろな罠を仕掛けるが、ピルトダウンで仕掛けた一連の罠は一段と巧妙なものであった」と、醒めた見方も現れはじめる。 |
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| 1916 | アメリカの哺乳類学者ゲリット・スミス・ミラーが、ピルトダウンの頭骨と下顎は別個体であり、下顎は化石類人猿のものだと論文発表。 | ドースン死去。 | |
| 1917 | 2月28日 | ウッドワードは地質学会で、ピルトダウンU号の化石を発表。これによって、アメリカの二元論派の前進を食い止める。 | |
| 1918 | |||
| 1919 | |||
| 1920 | |||
| 1921 | ミラー派であったマシューやマグレガーは、現物を見て、ピルトダウン真正派に転向する。 | ||
| 1922 | 秋 | 反対派ハードリチカは、ロンドンを訪問し、2日かけて、ピルトダウン化石を吟味。最初の信念は変わらず、さらにT号とU号の大臼歯が非常によく似ていることに疑念を持つ。 | |
| 1923 | |||
| 1924 | 南アフリカのキンバリーの北、バクストン石灰工場で発見されたタウング頭骨がレイモンド・ダートに送られる。 | ||
| 1925 | 2月 | ダートは「ネイチャー」に「タウング・ベイビー」を発表し、「アウストラピテクス・アフリカヌス」と命名。人類のアフリカ起源を予言する。 | |
| 1926 | |||
| 1927 | 1922年の周口店で発見された大臼歯を元に、ディヴィッドスン・ブラックが「シナントロプス・ペキネンシス」という、ヒト科の属を創設。その後、これを裏付ける発見が続く。 | ||
| 1928 | |||
| 1929 | |||
| 1930 | |||
| 1931 | |||
| 1932 | |||
| 1933 | |||
| 1934 | |||
| 1935 | 6月29日 | ロンドン近郊の歯科医アルヴァン・T・マーストンは、ケント州スウォンズカムでピルトダウンに似たヒトの頭骨を発掘。こちらの方が時代が古いと考えられた。 | |
| 1936 | マーストンはピルトダウン頭骨を研究し、ミラーの主張する二元論に同調する。これはマーストンの化石のプライオリティを主張する根拠であった。マーストンとウッドワードは、直接話し合いをするが、内容は不明である。 | ||
| アーサー・キースは「解剖学雑誌」に、スウォンズカムよりピルトダウンの方が古いと発表する。 | |||
| 1937 | |||
| 1938 | |||
| 1939 | |||
| 1940 | |||
| 1941 | |||
| 1942 | |||
| 1943 | |||
| 1944 | ウッドワード死去。 | ||
| 1945 | |||
| 1946 | |||
| 1947 | 6月 | マーストンは地質学協会の集会で、ピルトダウン段丘の高さの再評価から、ピルトダウンの頭骨と下顎は別個体として切り離すべきだと主張。その後の討論で、ケニス・オークリーが、骨のフッ素分析を提案。 | |
| 1948 | オークリーは、スウォンズガム化石とギャリー・ヒルズ人骨のフッ素分析を行い、スウォンズガムは更新世中期だが、ギャリー・スルズはフッ素がわずかしか含まれず、後世に埋葬で掘り込まれたものと判定。 | ||
| 1949 | 9月 | 大英博物館の許可を得たオークリーはピルトダウンの人骨と動物化石のフッ素分析を行い、英国学術協会で発表。動物化石のフッ素は多かったが、人骨のフッ素がかなり低いという結果が得られた。 | |
| 1950 | |||
| 1951 | |||
| 1952 | |||
| 1953 | ワイナーは、チンパンジーの大臼歯を削り、過マンガん酸カリ溶液で着色することで、ピルトダウンの大臼歯を再現することを実験的に示し、歯の磨耗が人工的なものであることから、ピルトダウンが偽造であることを確信する。 | ||
| 11月21日 | ワイナーとオークリーとクラークによる偽造に関する報告が出版される。「下顎骨と犬歯のごまかしはきわめて巧妙に行われており、犯行は化石の発見の歴史に類を見ない、まったく道義に反する不可解なものであった。」 | ||
| 1954 | ドースンが偽造したとする種々の証言が得られる。ピルトダウンの発掘当時、地元の教師をしていたエセックスは、ワイナーに対して、シャルダンが犯人であると述べた。シャルダンの発見したものは、すべて偽造品であり、その疑いは捨て切れなかった。 | ||
| 1955 | シャルダン死去。 | ||
| 1956 | |||
| 1957 | |||
| 1958 | |||
| 1959 | |||
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| 1969 | |||
| 1970 | |||
| 1971 | |||
| 1972 | エスブルックは著書「ピルトダウン偽造事件の真相」で、ヘイスティング博物館館長のバタフィールドが、ドースンを陥れるために偽造を行ったと主張。 ロナルド・ミラーは著書「ピルトダウン人」で、エリオット・スミスを真犯人として告発。 |
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| 1973 | |||
| 1974 | |||
| 1975 | |||
| 1976 | オックスフォードの地質学教授ダグラスは、死の直前「ピルトダウン頭骨」という録音テープを残し、その中で、同僚のウィリアム・ジョンソン・ソラスを犯人とした。 | ||
| 1977 | |||
| 1978 | |||
| 1979 | |||
| 1980 | |||
| 1981 | |||
| 1982 | ワイナーは偽造犯を特定する発表をおこなっていないが、その容疑者リストに最後まで、アイタム・サークルのアボットと、マーティン・AC・ヒントンの名前を残した。 | ワイナー死去。 | |
| 1983 | アメリカのジョン・H・ウィンズロウという考古学者が、コナン・ドイル真犯人説を発表。たしかに、ドースンとはピルトダウン当時交流があったが、推測に満ちた仮説にすぎない。 | ||
| 1984 | |||
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