絶対にデジカメなんか買わないぞ!                                                      2004-12-25



デジカメという存在はどうにもうっとうしい。こんなものが出現したおかげでカメラのことを銀塩カメラなどと面倒な言い方をしなければならなくなった。周囲には「絶対デジカメなんか買わない」と公言しているのだが、多くの友人たちは、その発言を信じていない。持っているのに、持っていないと言い張っていると考えている。もう何台も持っているに違いないと主張する。確かに、多くのカメラを妻や友人たちに秘密に所有していることは事実と認めるが、本当にデジカメは持っていないぞ。

■どうしても信じない人に告白するなら、確かに別の意図で購入した物品にデジカメ的な機能がついているのは認める。ソニーのPDAであるCLIEには200万画素のデジカメ機能がついている。しかし、連続撮影能力はほとんどなく、ストロボでも使用するものなら、あっと言う間に電池切れになってしまう。こんなものはデジカメではない。最近購入したソニーのビデオ・ムービーには何と300万画素のデジカメ機能がついているらしい。これは使わないから、持っていないのと同じだ。今のところ、携帯電話は買い換えるつもりはないので、デジカメ付きは持ってない。

■カメラとデジカメの本質的な違いは、「カメラは現像が上がるまで結果が分からない」という点に尽きる。だから仕事にデジカメを使うプロのニーズは理解できる。アマチュアが写真を楽しむ上では、たまたま偶然にうまく写るという楽しみが多い。だからデジカメは不要なのである。知人のニコンD70を触らせてもらった。外観もホールディングもカメラらしくて素晴らしい。しかし、そのファインダーを覗いて愕然とする。この視野の小ささは何だ。これは一眼レフのファインダではない。デジカメの本質的特徴は、液晶モニタにあるということを理解した。こんなちっぽけなファインダーであるなら一眼レフである必要なんかない。一度でよいからライカフレックスのすかっとしたファインダーを見てみろと言いたくなる。NHKのプロジェクトXでカシオのデジカメ開発の話しをやっていた。その時、開発者はファンダーを取り付ける場所に廃熱用のファンをつけざるを得なかった。その結果、ディスプレーで直接画像確認するというデジカメの本質的新機能を発見した。

■別に意地を張って銀塩カメラを使っている訳ではないのだが、最近ではカメラでなければできない楽しみを見つけた。デシカメがマネできない2つの楽しみだ。1つは「リバーサルフィルム」だ。この発色は意図しても中々出せず、フィルムが上がってのお楽しみだ。画像処理でデジカメでも同じことができると主張する向きもあるが、どんなきれいに画像を作っても、それはシャッターを押した時の感覚を再現することはない。もう一つは広角レンズだ。デジカメの画素面積は一部の超高額カメラを除けば、35mフィルムの面積より小さい。だからルサールや、ホロゴンやウルトラワイドヘリアーといった20mm以下クラスのレンズの楽しみは、ただカメラにのみ残された。

■デジカメはカメラではなく、デジカメという別の世界の道具であると割り切ってしまえば、こんな文を書くまでもなく超然としていればよい。しかし、どうもそうでもない。間違いなく昔カメラと呼んでいたものの、本来的機能はデジカメに取って替わられてしまった。カメラの機能は流れる時を瞬間として記録することだった。カメラは眺めたり、磨いたり、バラしたり、こんな文で語ったりすることを目的とはしていなかった。だからカメラはデジカメに負けた。そんなすばらしいデジカメであるにせよ、デジカメの発明者は歴史に残らない。つまらないものを発明してくれた。CDを普及させることによって、HiFiオーディオという趣味の世界を自らつぶしてしまったソニーのようだ。

■趣味とは、古いものに良さを認める。単に新しいものの方に価値をありとするものは趣味にならない。人より先に新しいもの買い続ける自転車操業にすぎない。だれが5年前のデジカメが欲しいか。デシカメは趣味ではなく、実用物品なのである。だからつまらない。






【カメラの触感】