若き学生が撮った「るみえちゃん」              2000-8-11 



■上の写真は「るみえちゃん」である。土門拳の「筑豊の子供たち」「るみえちゃんはお父さんが死んだ」の中心モチーフとなった方である。新岐るみえさん、撮影された昭和34年当時12歳であるから、現在53歳でご健在のはずだ。1960年代に写真を撮ったり、見ていた人なら誰でも知っている顔である。表面的な貧しさに目を奪われがちであるが、なによりその毅然とした表情に打ちのめされる。

■赤い表紙にザラ紙、中綴じの薄っぺらなこの写真集は、私の学生時代には容易に手に入るものであったが、その頃は土門拳は貧困を売り物にしたような写真しか撮らないやつだと感じられて嫌いだった。奈良原一高の若々しいが閉塞的な感性に近いものを感じていた。

■さて上の写真を見て変だと思うはずです。土門拳の写真集には出てこないカットですね。土門とまったく同時期に筑豊井之浦炭鉱に入った無名の学生が撮ったものです。ほぼ同様のカットを土門も撮ってるが舌を出した平凡な表情で、上の写真の方がよいし、強い。この無名の学生こそ、その後、水俣でルポルタージュし高い評価を得た桑原史成である。

■この時、土門はひどくこの写真の発表を急いでいる。12月に撮影し、次の年のカメ毎の2月号に発表している。これはまったくの憶測だが、土門は、他の写真家が「るみえちゃん」を見つけ撮っていることを知って、その発表前に先取権を主張しようとしたのではないか。

■土門に先を越された桑原はその悔しさを次のように書いている。
[……東京にもどった私は卒業を間近に控え、何気なく書店で写真雑誌をめくっていた。そのとき「しまった!」強烈な衝撃を全身に浴びた。……それは土門拳の写真であった。恐るべき迫力の映像、ローキー調の写真は二ヶ月前に北九州の炭住街で会った、あの姉妹ではないか。それを土門拳が撮っていたのだ。もう言葉がない。私にとって挫折と敗北感がドーツと重く押し寄せてきた。……そして私の水俣への旅立ちはその六ヶ月後である。……]

■写真には著作権があるが、じつはより重要なのはモチーフであって、それを先に見つけることのみに意味があるということを示している。以上、土門拳全集11(小学館、昭和60年4月)に添付された月報に桑原が書いている秘話である。




【カメラの触感】