駒込駅からの富士塚めぐり                      2009-6-13記述




駒込富士(富士神社)登り口(ズミクロン50mm/f2.0)

■5月23日、久々のかめさん会は、JR駒込駅での待ち合わせ。私はライカM3にズミクロン50mmという標準装備。クラカメ・ブームも過ぎ去って、最近ではライカをぶら下げるのが悪趣味と見なされなくなったからだ。しかし盟友のBen氏がついに裏切って、フルサイズのデジタル一眼であるEOS-5Dの新型を持ってきた。ついに、かめさん会でカメラを持ってくるのは自分一人となってしまった訳だ。 そのBen氏、旧古川庭園から駒込駅に戻る途中で中古カメラ屋を発見、目ざとく美麗なRTS用デイスタゴンの25mm?を購入したという事実は記録に留めたい。

 江戸後期から明治時代の庶民信仰の痕跡である「富士塚」を巡るのが今回の趣向だが、それだけではつまらないということで、午前中は「旧古川庭園」「六義園」、午後、富士塚巡りとした。

六義園/旧古川庭園の共用入場券
兵さんのソニーα ライカM3

■昼食からkabu氏も参加、そば屋での小宴会となったが、本来の目的である富士塚巡りにぼちぼち出発。本郷通りを南下して駒込富士はすぐ見つかった。この富士山は3〜4mの高さだが、形状は半円形で頂上も広く、山という感じはしない。さらに向ケ丘の方へ歩くと、急に寺の数が増えてくる。寺が密集している。
 俗に「振袖火事」と呼ばれる大火は天保2年12月、駒込の大円寺から発したとされる。井原西鶴は、「好色五人女」の中で焼け出された八百屋の娘お七が、駒込の吉祥寺の寺小姓吉三郎と恋仲になり、火事があれば再会できると思い放火し、捕らえられて鈴ケ森で火刑にされた」と戯曲化して、それが現在まで伝承されているが、諸説多く、歴史的経緯は分からない。界隈でも大寺に見えた「吉祥寺」を覗くと、「お七」の碑があったが、「お七」の墓は別に「円乗寺」にあるらしい。今回の目的外なので深入りせず、次の目的である海蔵寺を目指す。富士講の中興の祖とされる身禄行者の墓を参るためだ。ここは「○○富士」とは呼ばれないようだが、行者の墓そのものが、富士山の溶岩と思われる荒々しい岩積みで出来ていて、小さいながら、独立した山の形をしているし、周囲の鬱々とした雰囲気はなかなかよろしい。
 次の白山富士は、拡大してきたグーグル・マップを手掛かりにして、東洋大学の裏手に発見。残念ながら入山禁止とあり、即退散。さらに東大の付属植物園の裏手を巡って,不忍通りにでる。後は護国寺まで一直線。山門の右手の斜面が富士山に見たてられていて、○合目表示の碑や、板碑などが、その短い山道に配置されていて、ちょっとした富士登山気分を味わえる。この音羽富士が、今回の富士山で最も高い山であった。

白山富士の頂上を覆う古木 護国寺のネコ
呼称 高さ 場所 ポイント
駒込富士 4〜5m 富士神社
(文京区本駒込 5-7-20)
25段の階段を上って登頂。山頂は広く、大きな社殿あり。下りは女坂から。
元々は現在の東大本郷にあったが、加賀藩の上屋敷が設けられるときに、ここに移設された。
身禄行者
の墓 
約2.5m 海蔵寺
(文京区向山 2-25-10)
行者の墓そのものが富士山の溶岩でできている。享保18年、法富士山中の石室で断食入定した身禄(みろく)は広く庶民の信仰を集め、富士信仰の中興の祖と言われる。
白山富士 3〜4m 白山神社
(文京区白山 5-31-26)
東洋大学の裏手にあって分かりにくいが、グーグル・マップがこういうときに役立つ。周囲はフェンスで囲まれ、登山不可。
音羽富士 約6m 護国寺
(文京区大塚 5-40-1)
今回の探訪では、最も標高が高く、登山気分が味わえる。頂上は狭く、浅間神社の祠がある。別の下山道もある。

音羽富士の一合目
kabu氏のおもちゃ三脚でこんなにきっちりと写った。
音羽富士の山頂
Ben氏のフルサイズ・デジカメ初作品


色鉛筆屋さんではなかった


【かめさん会】