エクサ(EXA)・エクサクタの自殺 2005-4-4
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■EXA(エクサ)を好きだというのは、若干勇気がいる。なんとも貧相な雰囲気を持ったカメラなのだが、妙に親近感の沸く面白いカメラなのである。何しろ安価である。元々安型エキザクタとして登場したのだが、中古品の人気がないので、高くても20000円を越えることはない。最初に手に入れたのは1998年、今は閉店した横浜駅ビルのタナカカメラで出合ったEXA・1aである。ボディだけで18000円であった。最近のYahooのオークションでは10000円ほど準備すれば十分だ。 ウエストレベルファインダのマット面は組立て暗箱を覗くようで、間違いなくフィルムに写し取る以上に美しい。現在エクサのゴロリとしたボディが我が家に 5台転がっている。すっかりエクサの魅力にはまってしまった。ただし私の好きなのは、1a,1b,1cの3台、エリジナル・エクサの良さはまだ分からないし、固定ペンタプリズム化したEXA・Uや、EXA500となると、すっかり間の抜けた外観になってしまった。 ■元祖一眼レフ、エクサクタの不肖の子がエクサであるということになっている。不肖というよりは第二次大戦の東西分断の悲劇の子といた方が正しい。社会主義化された東ドイツにおいては安価な大衆カメラが求められたのか、エキザクタの持つ気品ある機構とフォルムが失われたという。本当にそうであろうか。自分にはエキザクタは中世の甲冑を想起させる。確かにエクサには設計の志の高さは感じられないし、消費者を見くびったところもある。そういう限界を理解し許容できれば、限られた技術リソースの中で、工夫してシンプルな機構を実現した良いカメラだと見ることもできる。まちがいなくエキザクタより信頼性は高い。 それに何といっても最大の特徴はフォルムだ。このフォルムを徹底的に軽蔑したのは佐貫亦男さんである。 佐貫亦男:「ドイツカメラの本」小学館文庫,(1998)引用 ■エクサクタは自殺した ところが、1961年(昭和36年)にイハゲー社は自殺的モデルチェンジを実行した。それは伝統的なボディー前板の形態を改めて、横幅を拡げ、しかも下すぼまりにしてしまった。これでなにを連想させるか? それは日本で嘲笑したようにエプロンおばさんのイメージだ。私は絶望する。最大のセールスポイントであったカメラの顔を決定的に変貌させて、イハゲー社の幹部は改良と信じていたであろうか? どうもそのように信じていたらしいところから察すると、有能な人物はもはや去っていた。 注:東ドイツは1961年8月13日の午前0時からベルリンの壁と呼ばれることになる隔壁作り始めた。東ドイツのドレスデンに本拠をおくイハゲー社のこのモデルチェンジがベルリンの壁と同時期に行われたというのは興味深い。 …これは共産圏からのぞき見た資本主義国の映像にすぎない。自分たちで自由に討論する努力を怠り、こんなものなら売れるだろうとかってにきめた姿だ。これで引導は渡された。そうでなくても日本製カメラの包囲攻撃を受けてよろめいていた状態に加えて、全然売れなくなって死滅した。 ■寂しいエクサ 1951年(昭和26年)に東独のイハゲー社はエクサクタの普及版エクサを発売した。…メカの簡易化によってボデイだけり価格はバレックスUa型の約4分の1の安さであった。…私が別に欲しいと思わぬ理由は、エクサを前方から眺めたときはもかく、上から眺めると形態が萎縮して見られたものではなく、それはヤッコ凧の姿で、こっけいなくらいだ。 ほんとうにすぐれたスタイリングは、このように縮小した場合に発揮される。自動車のローバー・ミニや小型フィアットが絶対にいじけた感じを与えぬのは、設計者の腕による成果で、エクサはその反対例だ。…エクサのスタイリングのこっけいさ、よい形を知らぬための当然の結果だ。エクサクタは天才的な発想から長く続いたスタイリングによって売れた。それをエクサのようにチンチクリンにしても売れるはずだ、とは押しつけにすぎない。…ただし、同じテッサー2.8/50ミリレンズつきで、当時ツァイス・イコンのコンタフレックス(二代目)の6割ぐらいで入手できたのは使用者に有利であった。 注:1954年に発売されたコンタフレックスUの価格は498マルクであった。この6割といいうことになると300マルクがエクサの価格であったことになる。ということはエクサクタのバレックッスは1200マルクということになり、とんでもなく高価である。 ■技術的にゼロのエクサ ドイツの都市で第二次世界大戦最大被害者はドレスデンである。そこにあったツァイス・イコン社は西に逃げ、逃げ損なったイハゲー社は傑作エクサクタを保存発展させたが、固い頭で開発したエクサは技術的に見るべきものを持たない。 八つ当たり的に断言すれば、ドレスデン爆撃を決行したイギリスはカメラマニアの敵だ。 |
エプロンおばさん
EXA | 発売時期 | 1952年 |
マウント | エクサクタ | |
シャッター | ||
ファインダー | ||
ナンバー | ||
EXA 1 | 発売時期 | |
マウント | エクサクタ | |
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シャッター | ミラーシャッタ B,1/30〜 1/175 |
ファインダー | プンタプリズム・マット面のみ | |
ナンバー | 146283 | |
イエナのカール・ツァイスのフレクトゴン25mm/f4をつけてみた。何故かエクサにはラッパ型のレンズが似合う。普通のボデイにつけると威圧感が出るレンズが目立たなくなるからだ。 |
EXA 1a | 発売時期 | |
マウント | エクサクタ | |
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シャッター | ミラーシャッタ B,1/30〜 1/175 |
ファインダー | ウエストレベル・マット面のみ | |
ナンバー | 433980 | |
エクサにはまった組合せ。この1aにこのREトプコール25mmをつけるという着想がなかったら、その後のエクサへの執着は発生しなかっただろう。佐貫亦男さんには失礼だが、非常に洗練された近代的デザインに変貌するのだ。ボディはエクサ1に対して、基本的にはレバー巻上げ化されただけだ。 |
EXA 1b | 発売時期 | |
マウント | M42(プラクチカ) | |
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シャッター | ミラーシャッタ B,1/30〜 1/175 |
ファインダー | ウエストレベル・マット面のみ | |
ナンバー | 607831 | |
エクサ1aのマウントをM42にしたのがエクサ1b。他に違いを見出せないなと思っていたが、巻き戻しノブにクランクがついていた。プラクチカ・マウントの代表としてペンタクスのスーパータクマー35mm/f3.5をつけてみた。こじんまりしてしまうが、思ったほどは悪くないおさまりである。ただしスクリュー・マウントの締りがしっくりせず、緩みやすい。 |
EXA 1c | 発売時期 | |
マウント | M42(プラクチカ) | |
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シャッター | ミラーシャッタ B,1/30〜 1/175 |
ファインダー | プンタプリズム・マット面のみ | |
ナンバー | C 052758 | |
エクサ1bに対しする違いはボディのプラスチック化だけだ。軽量化しているので実用的には悪くない。黒いボディに合う現代ロシア製レンズであるミール20mm/f3.5をつけた。 |
EXA U | 発売時期 | 1959年 |
マウント | ||
シャッター | ||
ファインダー | ||
ナンバー | ||
EXA Ua | 発売時期 | |
マウント | ||
シャッター | ||
ファインダー | ||
ナンバー | ||
EXA 500 | 発売時期 | 1966年 |
マウント | エクサクタ | |
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シャッター | 縦走り布幕フォーカルプレーンB,1/2〜 1/500 |
ファインダー | ウエストレベル・マイクロプリズム面つき | |
ナンバー | 324125 | |
エクサの進化モデルである。特徴だった独特のミラーシャッターをやめて、フォーカルプレーンにしたが、何と縦走りの布幕というユニークな構造で、エクサの幅狭のボディに収めた。レンズはイエナのカール・ツァイスのパンカラー50mm/f2をつけてみた。 |