サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの難題


(2006-11-14)
2007-3-20追補


トーマスクックの時刻表より地図引用

■カミノ・デ・フランス(フランス人の道)をどこから歩き出すかは悩みどころだ。私のサンチャゴ巡礼への関心は、フランスのロマネスク教会への興味から始まったので、「ル・ピュイ」か「ウェズレー」あたりから歩き始めたいと思っていた。約1500kmぐらいで、丁度四国八十八ケ所を一巡する距離より少し多いくらいになる。それでは、まず練習のためにということで、現在四国を歩いている訳ではある。カミノ・デ・フランスの主要4ルートはピレネーの手前で2本に合流し、ピレネーをソンボール峠かロンスボーを越えて、パンプローナの先のプエンテ・ラ・レイナでほぼ1本に合流する。
     ◎<トゥールーズの道>(ウイア・トロサーナ)    アルル経由   (ソンボール峠越え)
     ◎<ル・ピュイの道>(ウイア・ポデンシス)      ルピュイ経由   (ロンスボー越え)
     ◎<リモージュの道>(ウイア・レモウイセンシス) ウェズレー経由  (ロンスボー越え)
     ◎<トゥールの道>(ウイア・トウロネンシス)    パリ経由      (ロンスボー越え)
 特にル・ピュイの道は「ル・ピュイ」→「コンク」→「ロカマドゥール」→「モワサック」と魅力的なロマネスク教会(修道院)を経由するのが魅力的である。



■しかし距離の長さもあるし、長期の孤独な歩行に耐えられないし、歳も歳だしとなると、多くの人達が歩き始めるピレネーの手前、「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー(St Jean Pied de Port)」からとするのが妥当だろうか。これでも800km近く歩くのだ。
「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」にはバイヨンヌからローカル線(50km)で行くことができる。トーマスクック(2005年初夏版)によれば、夜間を除くと4本しかない。
   
Bayonne 07:13発 08:55発 15::04発 18:10発
St Jean Pied de Port 08:17着 09:54着 16:03着 19:18着
3月28日運休 日祭運休

■成田からパリには普通、夕方到着する。パリに一泊して、聖ヤコブの地を参っていくのもいいかもしれない。オランダや北フランスからの中世の巡礼者達はサン・ドニ通りを通って、現在「サン・ジャックの塔」が残っているサン・ジャック・ラ・ブシュリー教会を参る。さらにノートルダムを通って、サン・ジャック通りを経て、パリの街をでていったとされる。ちなみにブシュリーとは「肉屋」であり、肉屋の守護聖人であるが、この教会がサンチャゴ巡礼のパリ出発点となる。シテ島の向かい側、セーヌの右岸に位置する。
 パリからバイヨンヌまではTGV直通でいくのが便利である。例えば、TGV8515ならパリ・モンパルナス駅10:10発バイヨンヌ駅14:54着であり、これならサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに夕方入ることができる。しかし、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーでは、大事な仕事がある。何より「巡礼者手帳(クレデンシャル)」を手にいれなければならないし、地図などの資料も集めたい。となると午後出発となって、次の宿泊地へたどり着けない。そこでもう一泊となると、歩き始めるまでにフランス3泊ということになってしまう。

■長い徒歩旅行に効率を求めるのは無意味ではある。しかし私の四国遍路(区切り打ち)の体験では、歩いている時間がどんなに長くても、それは苦にならないが、歩き始める地点までの交通機関による移動時間は、とても無駄な時間なような気がして、イライラした。たとえば、足摺岬から歩き出すとき、中村駅から足摺岬までの2時間ほどのバスの車内での時間の長かったことか。
 ということで、歩き出しまでの最短時間を考える。シャルル・ドゴール空港にはTGVの新駅がある。TGV5222ならシャルル・ドゴール駅16:37発、ボルドー駅19:56分とすれば、ワインを楽しめるボルドー泊とすることができる。翌朝7:04発でバイヨンヌ8:42着で、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに9:54着。ここで準備と休養のために1泊して、翌朝早立ちすれば、一気にロンスボーまで登ることができるだろう。パリからボルドーは乗り継ぎ便の飛行機にした方が、費用も時間も節約できるが、自分としてはTGVの方にしたい。

■しかし問題は、本稿のタイトルとした難題「クレデンシャルの入手」である。パウロ・コエーリョ、シャリー・マクレーンそして黛まどかの著作には、それぞれ「クレデンシャル」の入手の場面が語られている。シャリー・マクレーンは1994年6月のサンチャゴ巡礼の出発に当たって次のように書いた。
マダム・デブリルはおよそ1メートル60センチほどで、灰色の髪はとかしていなかった。そしてたしかに執念深そうなひどい人で、彼女と会うには霊的な忍耐力をテストされる覚悟が必要だった。彼女はアンナの靴をからかい始めた。それはごく普通の運動靴にすぎなかった。あなたたちには絶対カミーノは歩ききれないわよ、と皮肉たっぷりに言った。彼女はカミーノを歩いたこともなければ、そんな気もさらさらないと言ってのけた。さらにもっと悪意をこめた気の滅入るような言葉を浴びせかけたあと、やっと、スタンプを押してある巡礼手帳を発行してくれた。そして文字通り、私たちをドアの外に押し出した。(カミーノ:シャーリー・マクレーン,飛鳥新社)
 黛まどかさんは1999年5月に歩いている。
マダム・ダブリルは、私がこの巡礼道を知るきっかけとなった小説『星の巡礼』(パウロ・コエーリョ)にも登場する巡礼者の間では有名な婦人。巡礼者が行く先々でもらうスタンプのための小さな手帳を長いこと発行している、いわば巡礼道の番人のような女性だ。彼女の前で『星の巡礼』のことを口に出してはいけないと、すでにそこを訪れる前に出会った何人もの巡礼者から聞いていた。小説の中であまりにもエキセントリックな人物に描かれているのが不満らしい。が、マダム・ダブリルの私への詰問は、小説よりはるかにエキセントリックで手厳しかった。私は大汗をかきながら拙い英語で彼女に食い下がった。「確かに私はカトリックではありません。しかし、この道の存在を知った日から、どうしてもこの道を歩きたいと思うようになったのです。なぜ人々は歩くのか、そこには何があるのか、神とは何か……。そして何か見えない大きな力が、私をここまで導いてきたのです」 話を始めて約30分後、彼女の瞳からようやく拒絶の色が消えてゆくのがわかった。そして、ついに私は巡礼手帳を手にしたのだった。(星の旅人:黛まどか,光文社)
 パウロ・コエーリョは1987年に「星の巡礼」を出版した。フィクションなのか、ノンフィンクションなのか分からないが、間違いなく彼は、書かれたことを実践したのだと感じさせるすごい本だ。小説では、マダム・ルルドとして登場する。
少年はさらにその老婦人にののしられながら、しょんぼりと台所のほうに歩いてゆき、そのシーンもやっと終りとなった。その時になって、老婦人は初めて私の方に顔を向け、何の用か聞きもせずに、それとない仕草で私を軽くして、その小さな家の2階へ連れて行った。2階には一部屋しかなかった。そこはサンチャゴに関する本や物や像や記念品などがいっぱいつまった小さな事務所になっていた。彼女は棚から本を一冊取りだすと、私を立たせたまま、自分は机の前のいすに座った。「あなたもサンチャゴへ巡礼に行くのね」と彼女はいきなり言った。「巡礼者名簿にあなたの名を書き入れておきます」 私は自分の名前を告げた。次に彼女は私が「はたて貝」を持って来たかどうか知りたがった。つまり、使徒の墓へ詣でる巡礼者によって、そのシンボルとされた貝殻のことだった。ほたて月は巡礼者同士が出会った時、お互いの目印となるのだ。…マダム・ルルドは、私のためにさく時間はあまりないようだった。巡礼路ぞいの修道院に宿泊する時に必要となる小さなカードに、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから出発したことを証明するスタンプを押して私に渡し、神の祝福と共に出発するようにと言った。(星の巡礼:パウロ・コエーリョ,角川文庫)


■このような審問に耐えないと巡礼者手帳をいだけないとしたら大変だ。私の語学力ではとても無理だ。旧市街のいりくんだ街路を通ってこのマダム・ダブリルのいる部屋にたどり着くことさえ難しいだろう。しかし、パウロ・コエーリョの影響を受けて2003年5月に歩いた神渡良平さんの文章を読むと多少安心できる。
…同じ電車に乗ってきた、大きなリュックサックを背負った巡礼者とおぼしき人々が20人ぐらい降り、閑静な住宅地を抜けて、城壁に囲まれた中世の市街地へ歩いていった。おそらくシタデル通りにある巡礼者事務所に行く人たちだ。ここで、アルベルゲ(巡礼者のための宿泊所)やリフリジオ(避難所)に泊まることができる「巡礼者手帖」を発行しているのだ。一行についていくと、案の定、巡礼者事務所に着いた。このクレデンシャルは、徒歩、あるいは自転車、または馬でサンティアゴの巡礼道を旅する人なら誰でも発行してもらえる身分証明書のようなものだ。アルベルゲの宿泊料はだいたい3ユーロ (1ユーロ=140円換算で約420円)で、無料のところもある。ただ、寝具はないので、寝袋を持参する必要がある。またクレデンシャルには通過した町の教会やアルベルゲでスタンプを押してもらえるし、最終地のサンティアゴ・デ・コンポステーラでは、歩き通したことを証明してくれる証書も発行してくれるから貴重だ。(星降るカミーノ:神渡良平,PHP研究所)


<追補>黛まどかさんの「星の巡礼」のあとがきに次の文章を見つけた。
…本書に登場するサンチャゴ巡礼の水先案内人マダム・ダブリルが、今年6月に永眠されました。数知れぬ巡礼者を導き続けた彼女は、1999年というサンチャゴ巡礼道にとって特別な年の翌年、まるで自らの大役を果たし終えたかのように神に召されたのです。…
 同書の出版は2000年であるので、マダム・ダブリルは2000年6月に死去されたことが知られる。これによって、サン ジャン ピエ ド ポーの難題であり、巡礼者への試みは解決されたのである。





サンチャゴ巡礼