「Miam Miam Dodo」フランス側四大巡礼路の歩き方


(2015-2-22)


■サンティアゴ巡礼路はヨーロッパ中を網の目のようにおおっているので、この巡礼道を全部歩くというようなことは到底不可能だ。ル・ピュイの道を歩き終えた今、もう少しフランス側を歩きたい。歴史的には、コーデックス・カリクスティヌス「ヤコブの書・第五の書」(上掲写真はサモス修道院の写本)でエミリー・ピコーが記した4本がメイン・ルートだ。しかし他のルートは、ル・ピュイの道に比較して情報は少ないし、歩く人も少なく、私のような気の弱い高齢者には、敷居が高い。と言うより、実行の可能性があるなどと考えられないと言うのが、1年前までの感覚だった。
 ガイドブックをあさったりして、せめてトゥール→ポアティエ→オルネー→サントという、ロマネスク建築のなかで独自の位置を占める細密な様式を持つ聖堂群を訪ね歩きたいという願望が募ってきた。そこで「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」の相談デスクに出かけて、実際に歩かれた方の経験談を伺う中で、もしかしたら歩けるかなという希望が沸いてきている段階。
 と言う訳で、以下のごとくフランス側のサンティアゴ巡礼路の四大ルートについて、もう少し勉強してみることにした。まだ情報収集の段階で、次の一歩を踏み出すだけの自信はついていない。とは言え、今年4月23日出発のパリ行きの予約はできているのだ。あと2ケ月しかない。

トゥールの道
(パリからの道)
リモージュの道
(ウェズレーからの道)
ル・ピュイの道 トゥールズの道
(アルルからの道)
古 名 ウイア・トウロネンシス ウイア・リモウイセンシス ウイア・ポデンシス ウイア・トロサーナ
ルート パリ→オスタバ ウェズレー→オスタバ ル・ピュイ→オスタバ アルル→プエンテ・ラ・レイナ
出発地 サン・ジャック・ラ・ブシュリー教会
(現サン・ジャックの塔))
聖マドレーヌ大聖堂 ノートルダム大聖堂 聖トロフィーム大聖堂
距離  サン・ジャン・ピエ・ド・ポー
まで
→952.5km
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー
まで
→917.7km
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー
まで
→740km
オロロン・サント・マリー
まで
→721.9km
プエンテ・ラ・レイナ
まで→948.9km
GR番号 GR3/GR655 GR654 GR65 GR653
ガイドブック(例)
A<フランス語>ISBN:
9-782841-824632

B<フランス語>ISBN:
9-782841-823987

C<英語>ISBN:
978-1-85284-371-7

D<フランス語>ISBN:
9-782841-823789
Miam
Miam
Dodo


E<フランス語>ISBN:
978-2-916446-33-2

F<フランス語>ISBN:
978-2-916446-12-7

■「ル・ピュイの道」は、ルートや道標が整備されているし、距離も最も短いので、映画「サン・ジャックの道」の美しい映像の影響もあってか、すっかり人気ルートになっている。この道を歩くフランス人の多くは、上掲の「Miam Miam Dodo」を抱えて歩いている。この「Miam Miam Dodo」」は、途中の歴史的史跡や街の説明はない代わりに、宿、食事、店、水場の情報が圧倒的に詳しい。それをわかり易く地図上に示しているので、村々の規模がイメージしやすく、どこまで歩いて休憩しようとか、今日の宿をどこにしようか等、「見方に慣れさえすれば」とても分かりやすい。要するに「見方に慣れないととても分かりにくい」。地図の縮尺は1cm=375m(3.75万分の一)であるので、曲がり角も分かるし、多少道を間違えた場合でも、元に戻る手助けにはなる。

■「Miam Miam Dodo」とは何とも不思議な語感だが、フランス人に聞くと「食べて、食べて、寝んねして」という幼児語だそうで、「Miam Miam」は日本語の「うま・うま」に相当ようだ。よって、このガイドブックは、巡礼の基本的な欲求である「食べて寝る」ことに重点を置いていることになる。フランス語は分からないので、地図だけを参照していたが、このガイドブックに気になる写真を見つけた。下の2つの写真だ。

 

■左の写真は「中世のMiam Miam Dodo」の写本だとする写真。右はコンクのサント・フォアのタンパンの拡大。主キリスの上部、天使が抱える十字架に「Miam Miam Dodo」と刻まれているではないか。しかし、コンクに行った人なら分かるが、現在みることのできる実物には、そのような文言は刻まれていない。どうやら、この写真を掲載したページに由来が書かれているようだ。
 何とか訳出したいと、グーグル翻訳や、仏和辞典を使って苦闘すること約1週間、辞書にない古語が多く使われていて難解だったが、おおよそ次のようなことが書かれているのではないかと分かった次第。

■「Miam Miam Dodo(GR65版」のP.42〜P.43は「La belle hiatoire du miam miam dodo」(miam miam dodo の麗しき歴史)というタイトルが記されている。その物語はこんな感じである。 (以下にどもるという言葉がでてくるが、差別的な意図はない。)

◆…この美しい物語は西暦1428年に始まる。あるとき、ローランヌという若い羊飼いがコンクの町の丘の上で羊を放牧していた。聖ヤコブの墳墓を目差す多くの巡礼が通りかかり、彼女の美しさを褒めそやした。しかし、彼女はまだ女の子だったし信心深かったので、このような道行く人の誘惑に戸惑った。
 ある晩秋の柔らかな日差しのなかでローランヌは口ずさんでいた。そのとき突然、ある声が呼ばわった。< ローランヌよ、もし神を信ずるなら、この私の言葉を聞きなさい!>
ローランヌが驚き恐れて上を見ると白い服を着た天使がすぐそばにじっと立っていた。天使は次のように語った。「ローランヌよ、おまえが神を愛しているならば、おまえはコンポステーラへの勇気ある巡礼者のための本を書かなければならない。」
「天使様、私にはできません。読み書きができないのです。」
「今晩、羊小屋に戻ると、ロバをつれた巡礼がいるでしょう。その巡礼とロバが、手伝ってくれるでしょう。これは神のお告げですよ。」
「天使さまもうひとつ教えてください。一体この本はどういうように呼ばれるのでしょうか?」
「サント・フォア僧院の扉口の前を通るとき、よく注意なさい。そこで答えが与えられるでしょう。

◆その後、夕方になってローレンヌは羊達と一緒に僧院の扉口の前を通りがかった。彼女がタンパンを見上げると、最後の日の光が主キリストを照らすのが見えた。僧院のファサードにはロバをつれた老巡礼が佇んでいた。彼女を見て老巡礼は口を開いた。
「娘さん、見て見なさい。ここにこれから何世紀にもわたって知られることになるであろうおまえさんの本の名前が現れている。miam-miam-dodo”と。」
「でもなんて変な名前でしょう、旅人さん。」 「これはラテン語でこう書いてあるんだよ。」
              Minister Amat Dominum (なんじ主のしもべ)
全能の支配者、われらが主である神。これは古くからベネディクト派の戒律として僧侶達が守ってきた招命の言葉なのだよ。

◆「ところで旅人さん、私にはアルファベットは分からないけれど、何故、同じ言葉が2度も繰り返して石に刻まれているのでしょうか?
「羊飼いさん、これには古い伝説があるのだよ。おまえさんは世紀の名石工として知られたナイメーヘンのヨハン親方のことを知っているかね。」
悲しいことに親方はひどい吃音で、意地の悪い人々の笑いものになっていました。わしは若いころ古い写本を読んだことがあるんだが…、「ヨハン親方は、何とも悲しむべき吃音によって、太陽が沈む前に、章句を止めるときに、これを何度も繰り返してしまった。」
親方は夜のベッドでもどもったので、子供は皆双子で、7組みも生ませたと言われている。親方の工房で、与太者がからかうので、親方はつい彫刻までどもってしまったのです。
 Minister Amat Dominum>これをどもって、<Mi-am do>、さらにこれを繰り返してどもったので<Miam Miam Dodo>となってしまったんだよ。

この題名は、おかしな言葉との批判にも関わらず、親方の良い仕事の象徴として永遠に残るでしょう。このように1428年、私たちの良き王シャルル7世の治世下でMiam Miam Dodoは生まれ、この羊飼いと老巡礼はサンティアゴ巡礼路の歴史の闇に消えていった。写本となって中世の巡礼に長く重用されたが、それらもフランス革命によって灰燼に帰した…

■この伝承話はとても面白いが、私は偽伝創作ではないかとの疑いを持っている。なにより、このような面白い話が他書では一切伝えていない。まず1428年という年であるが、これは百年戦争のさなかであって、神のお告げに従って、ジャンヌ・ダルクが世に出た年である。結果としてシャルル7世はランスで戴冠して、さらに失地を回復して勝利王と呼ばれることになる。すなわち伝承のローレンヌをジャンヌ・ダルクになぞらえていると推定される。しかもこのローレンヌという名は、本書の共同著者であるClouteau夫妻のうち、婦人の名Laurianeと一致しているではないか。フランス人一流のユーモアと理解しているが、本当のところを知りたいものだ。


■話が脱線してしまったが、肝心の残り3ルートについての情報は少ない。ざっと以下の様子。
「トゥールの道」
 パリ市内から、ちゃんとGRの赤白マークはついている。ただし、ル・ピュイの道のようなジットはないので、普通のオテルにとまることが多い。町や村の間隔は短いので、テントは必要ないでしょう。パリを抜けて郊外の道は初日のパレゾーの辺りの高速道路の高架を抜く部分が分かりにくいので注意を要する。その後オルレアンからは、ロワール川沿いで分かりやすい。トゥールあたりからは、歩いている巡礼にも出会うだろう。全体として平坦で山越えはないので、歩行は楽だ。またルートがRERやSNCFの鉄道に沿っているので、ホテルが取れない等万一の場合に、鉄道で移動することも考慮しておけば安心。
「リモージュの道」
 フランス側四大巡礼路のうち、最も歩く人が少ない。道標もまだ整備されていないので、初日、聖マドレーヌの丘を下って、すぐに迷ってしまうくらいだ。巡礼路では、数日間巡礼に出会わないこともあり、道に迷っても、聞く人さえいない。ともかく、今のところ最も難しい道といえる。
「アルルの道」
 この道は「Miam Miam Dodo」が発行されている位だから、ル・ピュイの道に次いで歩く人は少なからずいる。巡礼相手のジットやオーベルジュもかなり整備されている。スペイン国境までの直線距離は4ルートの中で最も短いが、実距離は長く厳しい。ともかく毎日、くねくねした山を登ったり降りたりで大変。経験者のOさんは、私より高齢だが、ご夫妻で歩かれたとのこと。






サンチャゴ巡礼