サンティアゴ巡礼の音楽


(2019-3-16) 深津邦夫 記録

music-san-05まで
 
POCL−1201/2 EDITION DE L`OISEAU - LYRE (DIGITAL)のCDジャケット写真を引用させていただく

往時のサンティアゴ巡礼路の各教会では、どのような音楽が響いていたのだろうか。巡礼達はどのような歌を歌っていたのであろうか。そんな興味はあったのだが、自身のレコード・ライブラリーには、たった1枚「サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院」の「モサラベ・ミサ」があるだけであった。これは、音源に入れて巡礼に持参し、他の参拝者のいないときに教会で鳴らしてみて、一人悦に入っていた。
 数年前に、たまたま上の
「サンテイアゴへの巡礼」というリコーダ奏者としても知られるフィリップ・ピケット(英)の指揮したCDを手に入れたのだが、そのときは自分の期待したものと程遠い単純なリズムに乗った俗謡風な音楽で、聴きなおす機会はなかった。もう少し聴き込んでみなければならない。この種のCDとしては珍しいし、貴重な文献としての価値が高いもので、ライナーノーツの内容を以下に記録しておく。茶色の文章は、「引用文」そのものである。文章はフィリップ・ピケットによるもので、今谷和徳氏の訳による。


曲目リスト[CD1]

曲目リスト[CD2]

はじめに
 …
実際には、サンチャゴとその巡礼者たち、およびその巡礼に関係した歌は、もちろんわずかなものでしかないが、それらの作品はこのCDにすべて収録されている。これは省略なしに、それらを完全に収録した最初の盤である。ここにはまた、ラス・ウエルガスの写本とカリストゥスの写本に含まれる多声楽曲を、より深く探究した新しい研究成果と新しい響きが示されている。…




巡礼の道
#ナバラ

 レイレのサン・サルバドール修道院は、ハーカとプエンテ・ラ・レイナを結ぶ巡礼路の真北にある。カンティガ(スペイン語で歌の意)<聖母様によく仕える者は>(CD1−1)は10世紀のこの修道院長サン・ビリラが、いかに300年間鳥の歌を聞いて過ごしたかを歌ったものである。…
#カスティーリャ
 ブルゴスは、巡礼の道を行く旅行者にとって最も重要な休憩地であり、ここには多くの宿泊施設と、彼らに特別な利益を保障する好意的な慣習が備わっている。「ラス・ウエルガスの写本」(Codex de las Huelgas)は、ここにあるシトー会修道院で編纂されたものである。
 13世紀の聖職者で詩人のゴンサロ・デ・ベルセオは、おそらくサン・ミリャン・デ・ラ・コゴーリャ修道院で、リオハの人々のために「聖母の25の奇跡」を書いたが、それはマリア文学に対するカスティーリャのもっとも重要な貢献であり、その中には、肉欲の罪を犯し、サンチャゴへの巡礼路で悪魔に出会った巡礼者の物語がある。この物語はカンティガ<たいしたことではない>(CD1−4)の中でも歌われている。
#レオン
 カンティガ<聖母マリアは喜んで>(CD2−1)の中で描かれている奇跡は、かつてサンタ・マリア・デ・ビリャシルガ、あるいは単にビリャシルガとして知られていたビリャカサール・デ・シルガのサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会の祭壇の前で起こった。。この12世紀の教会には、賢王アルフォンソの弟ドン・フェリペの墓があるが、これは聖母マリアとアルフォンソの<聖母マリアのカンディガ集>との間の密接なつながりを示している。

#ガリシア
 カンティガ<神のみ母>(CD2−7)に描かれた奇跡の正確な場所を特定することは不可能だが、歌詞を見ると、その奇跡はサンチャゴ近くの山中で起こったことが判る。
サンチャゴ・デ・コンポステラの大聖堂の図書館には、有名な『カリストゥスの写本』(Codex Calixtinus)が所蔵されているが、その成立と内容については数世紀間、甚だしい誤解がなされてきたようだ。この写本には、巡礼路の案内書が含まれているが、同時にまた聖ヤコブと巡礼の旅に関係のある音楽も含まれているのである。
 マルティン・コダスの<7つのカンティガス・デ・アミーゴ>(CD2−9)は、ビーゴ湾を見下ろす丘の上に坐った一人の少女のことを歌っている。

●聖母マリアのカンティガ集
 スペインの単旋律歌曲は、トルバドゥール歌曲の直接の影響のもとに生まれた。アキテーヌ公ギヨーム9世の時代から、南フランスの支配者たちとキリスト教スペインの王たちの間には、常に密接なつながりがあった。…

 
…1252年からその死まで、カスティーリャとレオンの国王として君臨した賢王アルフォンソ(1221--1284)は、芸術や学問の熱心な保護者であり、王国の未来にわたる文化の基礎を確立した。彼は特に詩と音楽を好んだようで、その宮廷はフランス文化、イスラム文化、ユダヤ文化の安息地であっただけでなく、プロヴァンスの異端カタリ派に対するアルビショワ十字軍の結果逃れてきたトルバドゥールたちにとって、自然の避難所となった。
 アルフォンソは、文学の分野では<聖母マリアのカンティガ集>を自分の最大の業績とみなした。この曲集は、1250年から1280年までの間に集められた、400曲を超す膨大な集成で、ゲルマンおよびローマの古典時代の終りの中世ラテンの原典から受けついだ伝統的なマリアの奇跡を、新しい方法で歌った。
 話の中には、聖母マリア以外には、「新約聖書」の中の人物は登場しない。「福音書」では聖母マリアはめったに現れず、それ以上に話をすることはほとんどない。それん゛段々不十分なものと思われるようになったに違いない。こうして初期の頃に正典以外の物語が生まれ、のちには、それが中世の人々のマリアについての情報に対する欲求を満足させることになった。
 キリスト教神学では、マリア信仰は6.7世紀に育ち始めた。それはシャルルマーニュの宮廷のまわりのサークルで進展して行き、9.10世紀の間に、聖母マリアのための様々な聖務や祝日が典礼の中に導入された。
 しかし聖母マリアに対する礼拝は、各聖人たちの様々な礼拝に較べると、まだわずかなものに過ぎなかった。それは11世紀の初めになって、初めて特別な重要性を持つようになり、その時から大衆的なマリアの物語が書かれ始めるのである。それらの物語は、12世紀の間にいくつかの国でさらに集大成され、それぞれの集成には、「祝福されし聖母マリアの奇跡」」といった題名が与えられることになる。その時からマリア信仰は急速に広まって行き、聖母マリアのための聖務が毎日行われ、重要な大聖堂がマリアの名を冠して建てられ、汚れなき受胎という教義が論じられ、フランシスコ会やドメニコ開といった新しい修道会が、その信仰を人々の間に広めて行ったのである。




サンチャゴ巡礼