「ロランの歌」を読む


(2007-1-13)

岩波文庫「ロランの歌」
有永弘人訳(1965年1版)
<引用>La Chanson de Roland(Gallimard)表紙

■岩波文庫の「ロランの歌」は、ずっと前から本箱の隅にあったが、なじまない韻文形式の為か、読まずに放置されていた。このところのサンチャゴ巡礼への個人的な関心の高まりで、いろいろの本を読むと、最初のピレネー越えで「ロランの歌」の現場となるロンスヴォー(ロンセスバージェス)の記述が必ずでてくる。どの本も、さらりと「ロランの歌」に触れているが、それは単にロンスヴォーと言えば「ロランの歌」という決まり言葉に過ぎず、必ずしもこの中世武勲詩に関心がある訳ではない。
 ということで、本箱から引きずり出して読んでみたのだが、これがかなり面白い。ストーリの面白さだけではなく、型にはまった形式と表現の繰り返しと、有永訳の日本語の枯淡な語感が味わい深く、決して複雑ではない物語を飽きさせない。「指輪物語」の原型の一つを見つけた思いもする。最大の特徴は一人ロランだけを美化することなく、敵王の女王ブラミモンドを貴婦人として遇したり、それぞれの登場人物を決して悪く描くことがないことである。まさに正々堂々の勝負で、意図的なキリスト教優位がないのがよい。

■ロラン伯はシャルルマーニュ(カール大帝)の甥として、『ロランの歌』の主人公であるが、歴史の示すところは、フランス領ブルターニ辺塞国(ベディエは実在せずという。)を治める伯爵ということと、ロンスヴォーで778年8月15日に戦死したといぅことだけであり、「ロランの歌」で語られることはすぺて伝説によるのである。
 まずシャルルマーニュ(カール大帝)。われわれ日本人にとってはなじみがないが、フランス・ドイツでは、子供でも、その伝承は知っている。ナポレオンはシャルルマーニュになりたかったし、ヒトラーはカール大帝になりたかったのだ。長き髪のメロヴィング王朝が没落し、カロリング家が勢力を伸ばしゲルマン国家、フランク王国を引き継ぐ。最初に王位についたのは小ピピンで、751年の出来事。その子がシャルルマーニュであり、彼の代で精力的に版図を広げ、現在のヨーロッパEUにまで影響を与える西ヨーロッパの概念となる領域に版図を広げた。「ロランの歌」の作られるきっかけとなったのは、そのシャルルマーニュのイスパーニャ遠征での大敗北である。その敗北は、遠征で成果を上げ、ピレネー山脈を越えて帰国の途中で起こった。たぶんバスク民族に襲われたのだろうが、歌では回教徒との戦いに脚色されている。サンチャゴ巡礼で、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから出発すると、いきなりピレネーをイバニエタ峠で越える。この峠を少し下りたロンスヴォーが戦場である。そこで、ロラン伯が指揮するしんがり軍が壊滅的な敗北したのだ。

■ロラン伯は騎士として、アーサー王のランスロットのような位置付けで、その武勇がたたえられる。ところが、読む限り、どうにも釈然としない。ストーリは以下のようなものだ。

…回教徒が支配するスペインに遠征したシャルルマーニュ軍は、サラセン軍と長く戦っていた。シャルルマーニュはサラセン軍を追い詰めて、サラセンの王マルシルだけがサラゴスに立てこもる状況となった。マルシルは賢者ブランカンドランの進言を容れてシャルルマーニュに使節を送って恭順の意を表し、臣下として王宮のあるエクス・ラ・シャペル(アーヘン)に付き従い、キリスト教に改宗すると伝える。これは結果としてマルシルの降伏に見せかけた姦計であった。

…前線で戦っていたロラン伯は、この講和の申し出に反対する。ロランの義父ガヌロンはロランを頑迷だとして降伏を受け入れるべきと進言する。結局シャルルマーニュはマルシル側の降伏を受入れることとした。サラセン人に送る使者として、王の側近の騎士たちが名乗りを上げるが、シャルルマーニュはそれを認めない。そこでロランは、自らの義父ガヌロンを推挙した。ガヌロンは死の危険さえある使者にされたことで、ロランを深く恨んだ。

…使者ガヌロンは、プランカンドランから鄭重にもてなされ意気投合し、二人はシャルルマーニュ軍がフランスへ戻る時に背後からだまし討ちにする計略を立てる。ガヌロンがマルシル王からの貢物や人質を伴って自陣に帰り、マルシル王の降伏の伝言を伝えると、シャルルマーニュは停戦を決意する。イスパーニャ撤退に当たって、しんがりを誰にするかとなり、ガヌロンは今度はロランを指名する。ロランと2万の軍勢がその任を受ける。

…ロラン軍はピレネー山中、ロンスヴォーでサラセン人の40万の大軍に襲われる。「ロランの歌」の核心は、この戦闘での各騎士達の誠真で勇猛な死をたたえる詩である。ロランの親友で副臣のオリヴィエは、ロランに角笛を吹いて援軍を求めることを勧めるが、ロランの虚栄はこれを拒む。戦いの帰趨が決して、自らの死に臨んで初めてロランは角笛を吹く。シャルルマーニュがロンスヴォーに駆けつけたとき、ロラン軍は全滅していてた。

■さらっと読む限りロランは武勲の人と言うより、単純で表面的な人物であり、深い知慮がない。義父ガヌロンを使者に指名する理由もはっきりしないし、あえて援軍を求めないのも自己中心的なヒロイズムだけであるようだ。指輪物語のボロミアに似たタイプに見える。指輪物語には色々な形で影響を与えているようだが、例えばロランの名剣デュランダルは、アラゴルンの剣アンデュリルにアナグラムされていると感じられるし、ロランの角笛は、ボロミアの角笛と同じだ。

■最後にグーグル・マップに関連地名を置いた図を下に示す。拡大していっても、国道は見えるが、巡礼道は見ることはできない。



フランス・スペイン国境
「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」→→「ブルゲーテ村」約28km
初日の標準的な行程である。
注)ロンセルバジェスは誤記述。ロンセスバジェスが正しい。
<追記>上の地図縮尺は2007年当時、google-mapで見える限界だった。(19-3-25)



サンチャゴ巡礼