「サンチャゴ」?それで?「コンポステラ」?


(2007-1-12)

<引用>小谷・粟津「スペイン巡礼の道」新潮社(1985)
ヤコブの遺骸が到着したスペイン太西洋岸の港、パドロン
<引用>関哲行「スペイン巡礼史」(講談社現代
新書:2006)ヤコブの遺骸の上陸
<出典>F.Cardini, Europe, 1492, New York, 1989

■サンチャゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)について、いろいろ読んでいるとカタカナ標記がまだ統一されていないので、特にウェブ検索などに手間取る。「サンチャゴ」と書く人たちと「サンティアゴ」と書く人たちがいる。「コンポステラ」も「コンポステーラ」という書き方がある。黛まどかさんの「星の旅人」で森田さんという方のサイトの存在を知って、「サンティアゴ 森田」「サンチャゴ 森田」と打っても見つけられなかった。なんと森田さんは「サンチアゴ」と記述していた。ちなみに森田さんのサイトは下記である。
        スペイン900km巡礼旅日誌 (http://www.remus.dti.ne.jp/~ja3eup/junrei.html)
 もっとも、具体的で実践的な記録として評価が高い。

■グーグルで検索してみよう。
     サンチアゴ                 151000件
     サンチャゴ                  237000件
     サンティアゴ                368000件
     サンチャゴ デ コンポステラ         9110件
     サンティアゴ デ コンポステラ      15500件
     コンポステラ                 45200件
     コンポステーラ                26000件
     サンチャゴ デ コンポステーラ      18100件
     サンティアゴ デ コンポステーラ     91800件

■ウエブ上での標準表記は「サンティアゴ デ コンポステーラ」に決まった。私が使っていた「サンチャゴ デ コンポステラ」は最も使用頻度の低い組合せだった。今日、早速表記を変えようと思う。ちなみにコエーリョ(山川訳)は「サンチャゴ デ コンポステーラ」である。ここは山川夫妻の見識を信頼して、当面「サンチャゴ デ コンポステーラ」にしておくことにする。なにかサンティアゴという語音に違和感を感じるのである。
 さらにサンティアゴ(サンチャゴ)は「聖ヤコブ」であるが、各国でもその呼び名は異なる。
      Santo Yacob  サント・ヤコブ      スペイン語
     Saint-Jacques サン・ジャック      フランス語
     Saint-James  セイント・ジェームス  英語
 だから英語になると「サンチャゴの道」は「セント・ジェームス・ウエイ」となって、あまり旅情をそそらない。

■以上は前置きである。問題はコンポステーラである。サンチャゴ デ コンポステーラは、従来「星降る野・サンティアゴ」と訳される。多くの巡礼者は、星に導かれて歩くとされる。サンティアゴ巡礼と「星」は強く結び付けられているのだ。
 しかし以下の関哲行「スペイン巡礼史」(講談社現代新書:2006)は最新の研究成果に基づく記述であるが、かなりがっかりさせられる。茶色部が原文である。

…聖ヤコブは紀元44年、過酷な支配とキリスト教徒迫害で知られるヘロデ王によって斬首され、12使徒最初の殉教者となった。『聖ヤコブの書』によれば、「その瞬間(殉教時)、大きな地震が生じ、空は割れ、海が荒れて、恐ろしい雷鳴がとどろいた。地面が割れて、邪悪な者の多くが飲み込まれた」。 殉教後、聖ヤコブの7名の弟子たちは、彼の遺骸を船に乗せ、埋葬地を神の手に委ねた。聖ヤコブの遺骸と弟子たちを同乗させた船は、奇跡を伴った7日間の航海ののち、聖ヤコブが生前布教したイリア(パドロン)に到着する。弟子たちが聖ヤコブの遺骸を船から降ろし、パドロン海岸の巨石の上に置くと、巨石は蝋のように曲がり、柩の形になった。そればかりではない。聖ヤコブの遺骸は、空中を飛翔し、パドロン東方のサンティアゴに落下して、埋葬地が啓示された。…聖ヤコブの遺骸がサンティアゴに移葬されたのが7月25日、埋葬されたのは12月30日とされる。

(そして、この埋葬の事実は忘れられる。発見されるのは、折からの聖遺物ブームの中、シャルルマーニュというキリスト王権の確立と機を一にしている。聖遺物は必要なときに必要な場所で発見されるのであった。)

…そのカール大帝晩年の814年頃、ガリシア地方の隠修士ベラーヨの前に天使が現れて、長い間忘れ去られてい聖ヤコブの墓のある地を指し示した。多くの信者たちは、そこに異様に明るい星を見つけ、その奇跡をイリア司教テオドミロに伝えた。司教テオドミロは3日間の断食ののち、信者たちとともに大理石で覆われた聖ヤコブの墓を「発見」し、アストゥーリアス王アルフォンソ2世に上奏した。アルフォンソ2世は直ちにサンティアゴに赴き、それを聖ヤコブの墓と認めたうえで、小教会を建立した。サンティアゴ教会の起源である。
…834年のクラビホの戦いでは、「キリストの戦士」聖ヤコブが白馬に跨って天から舞い降り、約7万のイスラム軍を撃破して、ラミーロ1世機几麾下のキリスト教徒を勝利に導いた。


(この「星」がヤコブの墓所を指し示したという伝承が、「星降る野」コンポステラの由来であると信じられている。そしてこの星に巡礼者は導かれて歩く。だから、以下のような関さんの指摘にかなりがっかりするわけである。私も本当にがっかりした。)コエーリョの「星の巡礼」、神渡さんの「星降るカミーノ」、黛さんの「星の旅人」等、サンチャゴ巡礼の象徴としての「星」の根拠がぐらつく。

…サンティアゴ・デ・コンポステーラ ( Santiago de Compostela ) の語源については、不明な点も残るが、サンティアゴは聖ヤコブ(サント・ヤコブSanto Yacob)に、コンポステーラは「墓廟(コンポシトゥーム compositum)」を意味するラテン語に由来するといわれる。コンポステーラの語源を「星の野(カンプス・ステラーエcampuss stellae)」とする研究も散見されるが、最近の研究ではコンボステーラと「墓廟」との関連を指摘する向きが多い。
■この「星の道」に特に強いこだわりを持って歩いたのが、ハリウッド女優シャリー・マクレーンであった。彼女はあるときから高次な「スピリチュアル」なものの実在を信じて行動している。
http://www.shirleymaclaine.com
 彼女の「カミーノ魂の旅路」飛鳥新社(2001)には次のような記述がある。「…道という意味の「カミーノ」は銀河の真下に横たわり、大空にある星々から流れ出しているエネルギーを反映しているレイ・ラインに沿っていると言われている。…」
 かって、サンチャゴを目指す旅人は、その道筋が分からないとき、この東から西に向かって横たわる天の川の方向に向かって歩いたという記述をどこかで読んだ。しかし天の川は、時間によって見え方は異なるはずだ。スペインで天の川がどのような見え方をするのか、星座早見盤で遊んでみた。日本では真夏の夜(24時前)には、天の川はおおむね南北に横たわる。日本の早見盤は北緯36度用である。カミノ・デ・フランスは北緯43度あたりで、ほぼひたすら西に向かっている。日本での見え方とそれほど違わない。時差(サマータイム)でマイナス7時間。9月1日現地21時頃、天の川は東西に横たわる。巡礼は夏場が多いので、この天の川を東西の指標とするのは、間違えではないようだ。





サンチャゴ巡礼